人生に迷ったら読むべき青春群像劇『桐島、部活やめるってよ』朝井リョウ


 学校帰りに寄る喫茶店で食べるパフェの味ほどおいしいものはこの世にない。私はそんなことを適当に思いつつ、クリームにスプーンを突き刺した。

 

 

 口に運ぶと、とろけるような甘みが勉強で疲れた身体に染み渡る。くぅ、これこれ、この感覚がたまらない。

 

 

「幸せそうな顔してんねぇ」

 

 

 ブスになってるよ、と友人が笑いながら私を指差す。おっと、いけないいけない。

 

 

「ねぇ、そういえばさ、知ってる?」

 

 

「なにを?」

 

 

 友人が私と同じくパフェをスプーンでつつきながら言う。彼女の口元には噂話に花を咲かせるときにいつも浮かぶ悪戯げな笑みがあった。

 

 

「バレー部のキャプテン、部活、やめたんだって」

 

 

「え、マジで」

 

 

「マジマジ。バレー部に彼氏がいる恵理子に聞いたんだから間違いないよ」

 

 

「へぇ、そっかぁ、やめたのかぁ」

 

 

 特に特徴のない凡庸なわが校であるが、今年のバレー部は強豪らしいという噂があった。地方大会でも優秀な成績を収めたとかなんとか、校長が言っていた気がする。

 

 

「興味なさそうねぇ」

 

 

「だって、私、バレー部に仲の良いやついないし」

 

 

 今年のバレー部はスポーツがすごくてかっこいい男子が多いことから女子人気が高い。

 

 

 目の前にいる友人もバレー部に好きな男子がいるらしく、試合の度に足しげく通っては声援を飛ばしていた。

 

 

 しかし、どうやって他のライバルを出し抜こうか狙っている彼女たちの水面下での争いを、私はいつも遠くから眺めていた。

 

 

 やっぱバレーよりサッカーでしょ、サッカー。サッカー部の佐藤君が私のお気に入りだった。

 

 

「でさ、そのやめたキャプテンって誰なの?」

 

 

「桐谷君だよ。ほら、同じクラスの」

 

 

「あー、惜しい」

 

 

 私が思わずぽろっと零した呟きに、友人は首を傾げて問いかけてくる。その表情にどことなく彼女らしくない必死な感じがあるのを不思議に思った。

 

 

「惜しいって?」

 

 

「ああ、えっとね」

 

 

 私はカバンから一冊の本を取り出した。『桐島、部活やめるってよ』と書かれている。彼女はそれを見て合点が言ったような、それでいてどこか拍子抜けしたような顔をした。

 

 

「あー、なるほど、惜しいって、そういうこと」

 

 

「この本の桐島って人、バレー部のキャプテンなんだよね。だから、惜しいなって」

 

 

「ふっ、くくっ、たしかに惜しいわ。桐谷君、改名してくんないかな」

 

 

「ねっ、本当に」

 

 

 桐谷、部活やめるってよ。私はしれっとした顔で呟いた。ようやく彼女らしい笑顔が戻った。私と友人は二人してくすくすと笑う。

 

 

 笑顔の裏で私は首を傾げる。それにしても、今日の友人にどことなく違和感を覚えたのはどうしてだろう。

 

 

 しかし、その疑問はパフェを食べると、まあいいかの思考の先に流れていった。甘いのは、やっぱり正義だよね。

 

 

恋、部活、青春

 

 パフェ好きの友人と別れた私はそのまま帰路につく。彼女と一緒の時には無理して笑っていた頬が引き攣っていた。

 

 

 ポケットに入れているスマホが震える。見てみると、それは予想した通りの相手で、私は慣れた手つきで指を滑らせた。

 

 

 やがて、道路の脇に自分の家が見えてくる。しかし、私が入ったのはその隣にある家だった。

 

 

 チャイムを鳴らして戸を開けると、どたどたと騒がしい音がして、奥から男が顔を見せる。

 

 

「どうだった?」

 

 

「……玄関先で話させる気? とりあえず上がらせてよ」

 

 

「あっ、ごめん」

 

 

 彼は素直に謝った。私は靴を脱いで、自分の家のようにずかずかと上がりこむ。その間に彼は私のスクールバッグを担いでいた。さらっとそういうことができるから、この男はズルい。

 

 

「で、どうだった? 彼女、何か言ってた?」

 

 

 彼の散らかった部屋に入って座り込んだ途端、身を乗り出して聞いてくる。私は思わずどきっとしながら、しかし平静を装ってわざと意地悪に言った。

 

 

「全然、なにも。バレー部のキャプテンがやめたって伝えても興味がなさそうだったわ」

 

 

 そもそも、彼女はあんたの名前すらも覚えてなかったわよ。とは、さすがに言ってやらない。あまりにも酷だし。

 

 

 早く彼女のことなんて諦めて、私を見てよ。そんなことを内心で言ってみる。もちろん言葉にはしないけれど。

 

 

 彼はそうだろうな、と力なく頷く。落とした肩には落胆が透けていて、口元に浮かぶのは苦笑だった。

 

 

「わかっていたけど、こうも興味がないってなると、俺もへこむな」

 

 

「いい加減諦めたら? 正直、脈なしだと思うわよ」

 

 

 だから諦めてよ。そんな私自身の自分勝手な願いも込めたけれど、彼は首を横に振った。

 

 

「いや、無理なんだ、どうしても。諦めきれないんだよ」

 

 

 苦笑を浮かべていても、その瞳の奥には強い決意が燃えていた。こうなってしまえば、彼は梃子でも考えを変えないことを、きっと私が一番知っている。

 

 

「なあ、頼む。君には迷惑をかけていることには、本当にすまないと思っている。だけど、もう少しでいい、協力してくれ」

 

 

 滅多に見せない彼の弱い一面。それを見せてくれるのは私だけだという優越感と、そこまで彼女のことが好きなのかという敗北感が同時に私の胸に押し寄せる。

 

 

 荒れ狂う内面を、それでも面に出さないように苦心して、私はぶっきらぼうに言った。彼の頼みを、私が断れるはずがない。

 

 

「わかってるわよ。また連絡するわ」

 

 

 私はそれだけ言って彼の部屋を立ち去ろうとした。もう耐えられそうになかった。そんな私を、彼は待ってと引き止める。

 

 

「ありがとう」

 

 

 子どものように純朴な彼の笑顔に、私は背を向けて手を振って応えた。

 

 

 隣の自分の家に入って扉を閉めた途端、堪えきれなくなった涙が溢れだした。子どものようにぐずぐずとすすり泣く。

 

 

 私がバレー部のキャプテンだった彼と幼馴染であることを、多くのクラスメイトは知らないだろう。

 

 

 私は彼のことが昔から好きだった。家が隣同士なこともあり、子どもの頃はよく互いの家を行き来していた。

 

 

 いつからだろう。自分の家同然だった彼の家に上がるのが気恥ずかしくなったのは。やがて、私たちの交流は途絶えた。

 

 

 それでも、彼のバレー部の応援には必ず駆けつけていた。彼の想いを寄せる女子は多かったが、彼は頷かなかった。

 

 

 私は彼女たちと違う。それが私に優越感を与えた。思えば、その驕りがあったからこそ、こんなことになってしまったのだろう。

 

 

 彼に呼ばれたのも、彼の家に上がったのも数年ぶりのことだった。彼からは、相談したいことがある、とだけ言われていた。

 

 

 彼の相談は私の友人である彼女のことが好きだというものだった。それを聞いた時の私の衝撃は今でも忘れないだろう。

 

 

 彼は私に、彼女との橋渡しをしてくれと頼んできた。私は断ることができなかった。

 

 

 彼女の予定が合わないことにして会わせないというのは、まるで自分が悪役になったかのようだった。しかし、そうでもしないと耐えられなかった。

 

 

 はたせるかな、彼女は彼の存在すらもうっすらとしか知らない。彼女はサッカー部の佐藤君にミーハーな恋心を寄せていた。

 

 

 彼の恋は実らない。しかし、彼は自分の恋心を諦めないだろう。そして、私もまた、この諦められない、叶わないとわかっている恋を手放せないのだ。

 

 

 私がかっこいいと言ったから始めたバレーボールを、彼は彼女のためにあっさりとやめた。

 

 

 彼が部活をやめた理由が、『桐島、部活やめたってよ』の桐島と同じだったら、私はどれほど楽になれたろう。

 

 

 甘いのは正義だ。パフェみたいな恋ができればどんなにいいだろう。しかし、私が味わっている青春は涙が出るほどに苦い。

 

 

バレー部のキャプテンが退部をしたことで起こった変化を描く青春群像劇

 

 竜汰は俺のチャリの荷台にまたがった。夕陽の熱が自転車のサドルを赤く染めている。

 

 

 お前、チャリ貸したるんやでこげや、と俺は竜汰の肩をごつんと殴った。竜汰はぶつくさ言いながら長めの前髪をヘアピンで留める。

 

 

 俺がこぐのお? と観念したようにサドルにまたがり、少し短めの袖をまくると、色とりどりのミサンガがちらりと見えた。

 

 

 竜汰がぐっと力を込めてペダルを踏んだ。体の芯からふらつくような不安定さに揺れながら、俺は尻の位置を整える。

 

 

 校門とは逆方向にある野球部の練習グラウンドから野太い掛け声が聞こえてきた。練習試合が近づいてくると、キャプテンはいつもメールをくれる。

 

 

「桐島が部活やめるっつってんの、マジなんけ?」

 

 

 言ったかと思うと、竜汰はぐんとブレーキを掛けた。

 

 

 桐島、マジでバレー部やめんのかな。俺はポケットに手を突っ込み、iPodの電源を切った。

 

 

 十七歳の俺たちは思ったことをそのまま言葉にする。その時思ったことを、そのまま大きな声で叫ぶ。

 

 

 たぶん桐島もそういうことなんだ。やめるって思ったのをそのまま軽く口に出して、それがこいつから俺に伝わってしまっただけだ。

 

 

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