他人の心がわからないがゆえの苦悩『行人』夏目漱石


 私の姉は優秀な人でありました。遊びもせずに机に向かって勉強に励んでいるような人でした。

 

 

 クラスでも上位の成績を残すことなんてのは常のことで、教師からも高く評価されておりました。

 

 

 姉との会話にはしばしば小難しい単語が飛び交い、私には難しいことも時折ありました。

 

 

 そんな時、姉は苦笑しながら話題を変えてくれたものです。私は申し訳なく思いながらも、その厚意に甘えておりました。

 

 

 しかし、彼女は人付き合いが得意でないようでありました。私は姉の友人というのに顔を合わせたことは一度としてありません。

 

 

 もちろん、私の知らぬ友人がいたのかもしれないでしょう。しかし、彼女は人から心ない陰口を叩かれているようですらありました。

 

 

 姉がいじめられていたかといえば、そういうわけではありません。どちらかといえば、敬遠されていたのでしょう。

 

 

 姉はともすれば後輩の目から見ても近寄りがたい人間であるようで、姉の話題は腫物にでも触るようなものでした。

 

 

 そもそもとして、姉は家族の目から見ても変わり者であったのです。親ですらも姉のことは扱いあぐねていたように思います。

 

 

 姉の交友の中でも、私は近くにはいたように自負しておりますが、それにしても姉のことは理解できないでいたのです。

 

 

 姉はいつも何かしらを考えているようでありました。そのせいか、彼女はいつも物憂げな表情を貼り付けておりました。

 

 

 今でも姉が何を思っていたか、私には理解のしようもありません。姉の頭の中は複雑な迷宮のように入り組んでいたように思います。

 

 

 姉を見ていると、私は夏目漱石の『行人』を思い出します。姉の不可思議はどこか一郎と重なるところがありました。

 

 

 姉の苦悩を理解に至ることは、とうとう私たちにはできませんでした。だからこそ、姉は学校の屋上から飛び降りたのでありましょう。

 

 

優秀ゆえの孤独

 

 姉は私たちとは違っていました。考え方も、頭の出来も、行動も、言葉も、才能も。

 

 

 きっと、姉は私たちとは違う世界を見ていたのでしょう。彼女の目はいつも私たちよりもはるか遠くを見ているようでありました。

 

 

 姉はそこに行こうと願ったのでしょうか。だから、屋上から身を投げたのでしょうか。私にはわかりません。

 

 

 しかし、姉はどこか別のところに行きたかったのだと思います。ここは姉の居場所ではなかったのでしょう、きっと。

 

 

 姉は優秀でした。優秀だからこそ、姉の視線は私たちの目の届かないところにまで見通していました。

 

 

 優秀だからこそ、姉の考えは私たちが気にしない些事までもが気になって仕方がなかったのでしょう。

 

 

 姉は優秀でした。しかし、彼女は決して超人にはなり得なかったのです。私たちが気づかない、ほんの小さなことであっても彼女の心に長く居座って彼女を苦しめていたのです。

 

 

 幼い頃から姉は大人びていましたが、ともすれば神経質であり、些事にすらも気にするような性格でした。

 

 

 彼女の本質はそこにあり、年を重ねても変わっていなかったのでしょう。世の中のあらゆることが彼女を苦しめていたのです。

 

 

「私のことを優秀だと人は言うけれど、私からしたらあなたの方がよほど優秀よ」

 

 

 姉はある時、私に言ったのです。その横顔はどこか物寂しげに見えました。

 

 

「私は勉強はできる。でも、勉強しかしていないから、私は人間として大事なことを知らない」

 

 

 人間として、あなたは私よりもよほど優秀なのよ。そう言った姉の言葉を、私はそんなことはないと否定しました。

 

 

 しかし、彼女は寂しげに微笑むだけでした。彼女がいなくなったのは、その翌日のことだったのです。

 

 

 あの時、私はどう答えればよかったのでしょう。空に向かって問いかけますが、答えは返ってきませんでした。

 

 

優秀だからこそ芽生えてしまう他人への不信感

 

 二郎は友人である三沢と大阪で落ち合うために、母方の遠縁にあたる岡田の家を訪れた。

 

 

 しかし、三沢からの報せはなかなか届かない。やむを得ず二郎は岡田の家に数日世話になることになった。

 

 

 やがて、ようやく待望していた報せが届いた。しかし、そこには三沢が潰瘍を患って寝込んだ挙句に入院したことが記されていた。

 

 

 彼を見舞いに行くうちに、二郎は同じ病院に入院している女性が気になっていた。

 

 

 三沢もまた、彼女のことが気になっているようである。しかし、彼女は重篤の身であるようだった。

 

 

 退院した三沢は、嫁に行って精神を病ませてしまった女性の話を始めた。彼女の顔は病院の女性とよく似ているのだという。

 

 

 三沢は東京へと帰り、二郎はそのまま大阪に残った。翌日、二郎の母と兄夫婦が上京してきた。

 

 

 二郎は兄から兄嫁の直が二郎に心を寄せているのではと疑っている旨を聞かされた。

 

 

 それを確かめるため、彼は二郎にとある提案をした。あまりの提案に二郎は拒否しようとするも、ただならぬ兄の様子に断り切れず敢行することとなる。

 

 

 兄の提案とは、兄嫁と二人で一泊し、彼女が二郎にすり寄るかどうかを試してほしいというものだった。

 

 

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