なんでも願いを叶えてくれる悪魔様の噂『花物語』西尾維新


 高校に通っていた頃、クラスメイトにひとり、変わった子がいたことを、今もまだ覚えています。

 

 

 彼女はいつもからかわれて、いじめられていました。クラスでもみんなから遠巻きにされ、腫物のように扱われていたのです。

 

 

 というのも、彼女はいつも肌身離さず人形を持っていたからです。高校生にも人形なんて持って、というのがいじめる理由だったのでしょう。

 

 

 それは薄汚れた犬の人形で、いまいちかわいいとも形容しがたいような容姿をしていました。

 

 

 彼女は授業中でも、昼休みでも、いつもその人形を抱えていて、先生に怒られようとも決して手放そうとはしませんでした。

 

 

 彼女は大人しく、どことなく陰気な雰囲気の女の子だったのですが、人形が絡んだ時だけ、苛烈な性格になりました。

 

 

 一度だけ、当時彼女へのいじめを主導していた子が彼女の人形を取り上げようとしたことがあります。

 

 

 普段は逆らおうとも泣きもせず、されるがままだった彼女が、そこで初めて反応を示しました。

 

 

 反応が見られたことにいじめっ子の彼女がほくそ笑んだのも一瞬でした。人形を取り上げられそうになった彼女が怖ろしい形相でカッターナイフを突き刺したからです。

 

 

 幸いにも後遺症が残る怪我ではなかったのですが、当時は学校でも大きな騒ぎとなりました。

 

 

 結局、その騒動が生んだのは、教室での彼女への無関心でした。教師にとっても腫物だった彼女は、ほぼいないものとして扱われることとなったのです。

 

 

 いじめっ子だった彼女も、その騒動以後は、めっきり彼女をいじめようとはしなくなりました。それだけは、彼女にとってはたして僥倖であったのか。

 

 

 むしろ、彼女に怯えているような素振りすらありました。その後しばらくして、彼女は転校してしまいましたが。

 

 

 それ以降は、彼女は強い存在感でありながらも、何事もなく卒業まで過ぎていきました。

 

 

 彼女は人形に何もされなければ大人しい子で、クラスメイトも教師も、もう彼女には触れないようにしていましたから。

 

 

 そんなわけで、卒業してからは進路先も別れたので、彼女との縁は切れたように思えました。

 

 

 ところが、奇縁と申しましょうか、その奇縁を辿るように、卒業後の私は再び彼女の話と相まみえることになりました。彼女本人との再会というわけではありませんでしたが。

 

 

 いえ、再会は果たしたと言うべきでしょうか。私が会ったのは、彼女の死に化粧ではありましたが。

 

 

願いを叶える人形

 

 彼女の葬式に呼ばれたのは私だけではありませんでした。どうやら、当時のクラスメイトみんなが呼ばれているようでした。

 

 

 その多くは不参加を選んだそうですが、それでも、ぽつぽつと当時のクラスメイトの姿がありました。

 

 

 聞いた噂では、卒業した後の彼女は次第に言動がおかしくなっていき、そして、とうとう自ら命を絶ったのだとか。

 

 

 私はそこで、彼女の母親から彼女についての奇妙な話を聞いたのです。すなわち、彼女の大切にしていた人形の話を。

 

 

「あの子は、小さい頃から大人しくて話すのが苦手な子でした。友達もいなくて、見かねた私が買ってあげたのが、あの人形です」

 

 

 あの子はとても喜んで、あの人形を本当の友だちのように扱うようになりました。毎日のように話しかけて、ひとりで笑っているのです。

 

 

「けれど、おかしいと思い始めたのは、小学生になった頃でした」

 

 

 あの子は人形を手放しませんでした。さすがに私と夫も叱ってあの子に人形を手放させようとしましたが、決まって暴れ出すのです。

 

 

「あの子は、この子はお願いを叶えてくれるのだと、いつも言っていました。つまり、人形が、ですけれど」

 

 

 それだけなら、あの子の妄想、で済むのかもしれませんけれど、不思議なことに、その願望が本当に叶っていたのですよ。

 

 

 オシャレな服が欲しいと思えば、親戚から唐突にあの子が欲しいって言った服が渡されて。

 

 

 運動会が嫌だって言ったら、大雨が降って運動会が中止になる、なんてこともありました。

 

 

「私と夫は不気味に思って、ますます取り上げようとしたのですが、無理やり取り上げようとした夫が事故で亡くなり、私もまた、片手が不自由になりました」

 

 

 以来、私はあの子に従うしかなくなりました。怖かったのです。学校に呼ばれたときも、いずれはそうなるだろうとは思っていました。

 

 

「高校の卒業式を終えて、家に帰ったあの子の部屋の前で、私はあの子のお願いを聞いたのです」

 

 

『世界なんて、なくなってしまえばいい』。それは、言うなれば、あの子自身の世界がなくなるのも、願いが叶ったということになって。

 

 

「あの子は自分で命を絶ったのだと結論されましたけれど、私はそうは思いません。あの人形が、あの子の願いを叶えたのだとしか思えないのです」

 

 

 だって。もう二度と動かないあの子のそばに、あの子が片時も放さなかった人形の姿が、どこにもなかったのですもの。

 

 

願いを叶えてくれる悪魔様の噂

 

 最悪の寝覚めだ。神原史上最悪の寝覚めだ。まあ、今日は夢見のせいだったけれど、そもそも私は随分長い間、『気持ちよく目を覚ました』ことなんてないんだけれど。

 

 

 部屋の柱に、ぐるんぐるんに縛りつけている自分の左腕のガムテープを引き千切りながら、私はゆっくりと落ち着きを取り戻す。

 

 

 あの五月以来。阿良々木先輩を、睡眠中、トランス状態で無意識下で襲って以来、私はずっと、こんな馬鹿な拘束を続けている。

 

 

 身支度を始める。裸で寝るにはまだ肌寒い季節だ。とりあえずガムテープの粘着力でべとべとになった包帯を交換するところから、私の朝は始まる。

 

 

 制服に着替え終えて、学校に向かう。阿良々木暦と戦場ヶ原ひたぎのいない、私立直江津高校へ。

 

 

 なんて言い方をするとあのふたりがまるで死んでしまったみたいだけれど、彼らは普通に高校を卒業していっただけのことである。

 

 

 彼らは卒業し、私は高校三年生になった。それだけ。それだけのことである。

 

 

 四月九日。私――神原駿河は三年生になった。たったひとりになった。目標も目的もない。たったひとりで――高校に通う。

 

 

 それとなく自己陶酔的な感慨に耽りつつ、学校までの道のりを走っていた私の隣りに横付けする、一台の自転車があった。

 

 

 去年の暮れ頃、直江津高校に転校してきた生徒で、その名も忍野扇という。あの忍野さんの親戚筋ということらしいが、その真偽は定かではない。

 

 

「扇くん、何か話があるんだろう? そうでなければ、きみが私に声をかけてくるはずがないからな」

 

 

 笑って、扇くんは本題に入る。さんざんもったいぶった挙句、本題に入るときは異常に出し抜けというのが、それは確かに、アロハ服のあの人を思わせるのだった。

 

 

「駿河先輩。『悪魔様』の噂を知っていますか?」

 

 

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