警察VS地検特捜部『焦眉 警視庁強行犯係・樋口顕』今野敏


 私は正義の味方に憧れて、警察官になった。しかし、私たちの敵が犯罪者だけでないことを知ったのは、大人になってからのことだ。

 

 

 今野敏先生の『警視庁強行犯係・樋口顕』シリーズが私は好きで、よく読んでいた。主人公の樋口の正義感の強さが憧れだったからだ。

 

 

 本屋に走り、目的の本を手に取る。『焦眉』。ページを開く時、いつも私は胸を躍らせる。

 

 

 しかし、すぐに違和感を覚える。私の胸を襲う軽い驚き。そして、それらが高揚に変わっていく。

 

 

 警察小説といえば、やはり定番なのは犯人との駆け引きだろう。事件の真相、それにまつわる人間関係。真実を隠すトリック。そして、人情。それこそが魅力だ。

 

 

 しかし、この『焦眉』は今までのそれとは一線を画していた。

 

 

 この作品において、警察の敵は犯人ではない。東京地検特捜部。本来ならば協力する関係にある彼らが、この作品における「敵」だった。

 

 

 つまり、警察と検察の戦い。新進気鋭の政治家を失脚させるために暗躍する検察と、犯人を捕らえたい警察。時間に追われる緊迫感に、私は瞬く間に引き込まれた。

 

 

 今の私が感じている緊迫感は、その時の感覚に似ている。自分の呼吸が妙に騒がしく感じる。鼓動が普段より早い。先生の作品には、現実にも劣らないリアリティがあった。

 

 

 私は物陰に片膝を立ててしゃがみこんでいる。壁に遮られていない側の視線に映るのは、犯人がいるという部屋だ。

 

 

 息を呑むことすらできない。気配をなくす必要があった。気付かれてしまっては、多くの人の協力でずっと準備してきたことがすべて台無しになる。

 

 

 犯人は、とある政治家の秘書だった。資金を横領したとされている。必ず捕らえて、自白させるように、と厳命が下されていた。

 

 

 その事件は、真実だろうか。使い走りの下っ端である自分に、それを知る術はない。しかし、その政治家の背後に仄暗い噂があるのは事実だった。

 

 

 彼の汚職が露見したとなれば、大スキャンダルになる。国民からの信頼は大きく落ちることだろう。

 

 

 余計な考えだ。今、こんな時に考えることではないだろう。しかし、一度疑問に思ってしまえば、もう止まらなかった。

 

 

 『火星に住むつもりかい?』という作品を思い出す。作中で、警察は国民を圧政によって苦しませる存在だった。

 

 

 警察は政治と無関係ではいられない。権力を持つ側の人間だ。正義として描かれることもあれば、悪として描かれることもある。

 

 

 下っ端は真実を知る権利はない。ただ、上司の言うとおりに従うのみ。全てのシナリオは、上司の、あるいはもっと上の、頭の中にすでに書かれている。

 

 

 そのシナリオは、事件の影響で起こるその後のことまで決まっているのだ。だから、シナリオから外れた疑問は、些細なこととして見ないふりをされる。

 

 

 テレビ番組で再現される「冤罪」の場面。日頃から国民を守っている正義のはずの警察は、完全な「悪役」として描かれている。

 

 

 幼い頃、私は「正義」を信じていた。正義が悪を倒すヒーローものが大好きで、だからこそ、警察になった。

 

 

 しかし、大人になって、「正義」はあまりにも輪郭のぼやけた、曖昧なものであることがわかった。「正義」と「悪」はどうとでも入れ替えることができる。

 

 

「動いたぞ!」

 

 

 指揮の声でハッと我に返る。そのままの勢いで物陰から飛び出して、犯人がいる扉へと駆けた。

 

 

 部屋の中にいたのは、髪の薄い、いかにも気弱そうな痩身の男だった。私たちを見て、蒼白になって肩を震わせている。

 

 

 悪人には見えない。手錠をかけるまで、逆らおうとすらしなかった。ただ、何かを諦めたような表情が、私の頭の中に残った。

 

 

 私は今、憧れていた「正義の味方」になれたかな。幼い頃の自分に問いかける。返事は、なかった。

 

 

特捜本部と地検特捜部の対立

 

「どうだ、最近」

 

 

 久しぶりに氏家から連絡がきた。二月二十五日火曜日のことだ。時刻は午前十時だった。

 

 

 氏家譲は、樋口よりも二歳下の警部だ。昨年ようやく警部昇任試験を受け、それに合格した。昨年十月には、警察大学校での全国警部研修を受けた。

 

 

「今夜あたり、ちょっと会えないか?」

 

 

 午後七時に待ち合わせをした。二人は、虎ノ門にある店で待ち合わせをしていた。氏家が先に来ていた。

 

 

「異動か?」

 

 

「二課だよ。選挙係だ。俺が公職選挙法や政治資金規正法のことなんて、何も知らない」

 

 

 氏家は不安なのだろう。異動というのはそういうものだ。警察官に移動はつきものだ。

 

 

 そして、氏家ならどんな仕事もそつなくこなすだろう。だから、今夜はただ話を聞いてやればいいのだ。氏家は不安な気持ちを誰かにぶつけたいだけなのだろう。

 

 

 それから半月ほど政局は揉めに揉めていたが、結局、首相は三月十三日金曜日に衆議院を解散した。

 

 

 樋口は氏家のことが気になって、二課に寄ってみようと思った。電話してみるだけでもよかったのだが、どうしても直接顔を見て話を聞いてみたかった。

 

 

 氏家は選挙係の係長席にいた。電話で何事かを話していた。しばらくして電話を切ると、氏家に様子を見に来たと告げた。

 

 

 選挙係の島には、氏家しかいない。他は皆空席だ。二課は内偵や隠密捜査が多いので、都内各所の警察署やその他の関連施設に間借りして詰めていることが多い。

 

 

「おまえは、係員と一緒に詰めなくていいのか?」

 

 

 樋口がそう尋ねた時、課長室から二人の男が出てくるのが見えた。二人ともダークグレーの背広を着ている。彼らが課長に会っているせいで、氏家がここにいるのだという。

 

 

「彼らは何者だ?」

 

 

「東京地検特捜部だよ」

 

 

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