ドミノ倒しのようなコメディ『ドミノ』恩田陸


 私は震える指先で、そうっとドミノを並べていく。連なっていく小さな板を倒さないように、一枚ずつ、一枚ずつ。

 

 

 うっかり倒してしまったら目も当てられない。そうなったら、もう、結末まで止まることはない。

 

 

 だから、それまでの積み重ねが大切なのだ。積み重ねた数だけ、世界は広く、カタルシスは大きくなる。

 

 

 このドミノを最後まで並べてみて、初めて最高の瞬間を味わえることができるのだ。あの身も震えるような大団円を。

 

 

 私はまた一枚のドミノをつまみ上げる。厳しい表情をしたひとりの女性。彼女が関東生命八重洲支社で事務職を務めていることを私は知っている。

 

 

 彼女を並べたあとは、汗っかきの中年の男と、黒帯を締めた若い女性、そして和風の美女のドミノを続ける。

 

 

 でも、一本道だけのドミノなんてつまらない。やっぱり、ドミノというからには、分かれ道がなくちゃいけない。

 

 

 若い女性から上品そうな老人へ、和風の美女からピザ屋の店長へとバトンを繋ぐ。そこからさらに、警察のOBや、巡査部長へと伸ばしていこう。

 

 

 ううん、でも、それだけじゃあつまらない。だから、私はもう一本、ドミノの道をつくることにした。

 

 

 迷った末に選んだのは、子役オーディションに挑む少女。その後ろにもうひとり、別の少女を並べる。

 

 

 さらに欲張ってもうひとつ、別の道を。三人の美男美女、そして東日本ミステリ連合会、映画監督をテンポよく並べていく。

 

 

 そして、それらが集まるところに三つのドミノを置いた。どこか剣呑な雰囲気を漂わせた三つ。『まだらの紐』のメンバーだ。

 

 

 そうして出来上がった壮大なドミノの道を、私は見下ろしてうんうんと頷いた。いい感じ。

 

 

 結末はやっぱり派手でないといけない。尻切れトンボじゃ意味がないのだ。きれいに、広げていた全部の道が集まってこそ、ひとつの作品として完成する。

 

 

 でも、ドミノはやっぱり倒してこそドミノなのだ。並べただけじゃ意味がない。並べて、倒して、それで初めて意味がある。

 

 

 私はすべての始まり、起点となるべきところに控えた。それは、関東生命八重洲支社の女性だ。

 

 

 ああ、わくわくするね。始まりはいつだってわくわくして、それはいつの間にか楽しいままに最後まで突っ切って終わるのだ。

 

 

 私は高ぶる胸の躍動を抑えて、そうっと、そうっと、震える指の先で、ちょんと。ドミノを、ぱたんと倒した。

 

 

人生における偶然は、必然である

 

 ドミノは、どこか人生と似ている。一本道ではなく、いろんなところと交わって、それぞれの道が交差していく。

 

 

 彼らはそれがただの偶然の出会いだと信じているだろう。この広い世界の中で、奇遇にも出会うことができただけなのだと。

 

 

 でも、その運命なんて、最初から決まっているのだ。出来上がっているドミノの道が倒れていく最中で、彼らが交わることは並べた時から決まっていた。

 

 

 奇跡なんてない。どんなにありえないような出会いも、すべては決まっていたことなのだ。

 

 

 ドミノを並べるのは楽しかった。彼らの道を、私が好き勝手に並べることができたからだ。

 

 

 ひとたび倒れ始めてしまえば、倒れていくドミノは止まらない。板の道が尽きるまで、ドミノはいつまでも続いていく。

 

 

 君のドミノは、あとどれくらいだろう。あといくつの道と交わって、いつになったら終わるのだろう。倒れていくドミノを眺めるのが、何を見るより面白い。

 

 

 ああ、もうすぐ終わりだね。じゃあ、次はどんなドミノの道にしようか。私は少しの寂寥感を胸に、未来へと思考を伸ばして微笑んだ。

 

 

次から次へと倒れていく運命のドミノ

 

 関東生命の相模原本社への最終便は、東京本社を六時十五分に出る。その前に、八重洲支社から東京本社への便があるが、これは四時半だ。

 

 

 営業部長には遅くとも三時までには契約書を持ってきてもらわないと困ると念を押した。

 

 

 支社の金庫は三時で閉められる。経理には前もって根回ししてあるが、入金が遅れたらどんな目に遭うか考えるだに怖ろしい。

 

 

 どうしても今日のオンライン時間が終わるまでに入金入力をして、契約書を本社への便に載せなければならない。

 

 

 今月は出だしは順調だったのだが後半伸び悩み、目標金額に九千万足りない。それを奔走のすえ、来月に予定していたのを前倒しし、滑り込みで契約にこぎつけたのである。

 

 

 この一億が落ちると、八重洲支社は目標が達成できない。そして、今日は七月戦の契約受付の最終日である

 

 

 北条和美はイライラと支社長席の後ろの壁掛け時計の針を見つめていた。時計の針は、今午後一時二十分。

 

 

 今月の契約はあらかた出尽くしてしまったので、今は待つしか仕事がない。最後に来る滑り込みの契約は、チーフである和美が処理することになっている。

 

 

 和美が近くを通りかかった入社二年目の田上優子に声をかけると、真ん丸の目が勢いよく振り向いた。

 

 

「ね、もう少ししたらみんなに何か冷たいお菓子でも買ってきて」

 

 

 和美が財布から五千円札を取り出すと、優子はぱたぱたと小さく跳びはねた。優子は手で小さくマルを作ると、和美から受け取ったお札をポケットに入れた。

 

 

 突然、窓の外が白く光る。気付かないうちに、空が暗くなっていた。しばらく間を置いてゴロゴロと遠雷が響いた。まだかなり遠いようだ。

 

 

 優子は予定表の自分のネームプレートのところに『外出』の札を貼ると小走りにオフィスを出ていった。

 

 

 その姿を見送っていると、また小さく空に閃光が走った。和美は腕組みをして外に鋭い視線を投げた。

 

 

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