邁進する「今」という機関車に跳び乗ろう『バーベルに月乗せて』今井聖


 尾崎豊の歌に、『卒業』なんて歌があったなあ、なんてことを、ふと思い出した。

 

 

 そっと唇に乗せて口ずさんでみる。といっても、随分とうろ覚えなのだけれど。普段、音楽なんてほとんど聴かないのだし。

 

 

 夜の校舎窓ガラス壊してまわった、なんてのは、先生の頭を悩ませていたという定評のある私にしたって、さすがにしたことはない。

 

 

 そもそも、その定評に私は真っ当に異議を唱えたいところなのだ。今まで授業をさぼったことなんてないし、誰かと喧嘩をしたことすらない優等生だったのだから。

 

 

 というのも、私はいわばクラスメイトたちと距離を置いていたからである。というと、すわいじめかと騒ぐ人もあろうけれど、そういうわけじゃない。

 

 

 いじめるなんてことを私はしなかったし、いじめられるようなこともなかった。私は自分をいないものと認識していて、クラスメイトたちは私をいないものとして認識していた。

 

 

 この支配からの、卒業。闘いからの卒業。けれど、それで言うのなら、そもそも私は闘いすらもしていなかった。

 

 

 いっそわかりやすいステレオタイプの不良の方が、はっきりとわかりやすかったろう。

 

 

 私の通っていた学校にも当然のように一定数はいて、それらは体育館裏でたむろしているような連中で、私は彼らとは何ら関わりはなかった。

 

 

 大人からしてみれば、彼らは厄介な存在であるだろうし、同じクラスメイトたちにしたって、彼らは恐ろしく、恐怖と侮蔑の視線で見ていたのだろうけれど。

 

 

 私はむしろある種の敬意を持って彼らを見ていたと思う。私は決して彼らのようになりたかったわけではないけれど、彼らは私の内面そのものの姿だった。

 

 

 生きていくことは支配されることだ。私たちはどれだけ成長したって、小さな赤ん坊と同じ。

 

 

 親に支配されて、教師に支配されて、なんてのを考えると、わかりやすく支配されているのは学校にいる頃だろう。生活は親が支配していて、行動は教師が支配している。

 

 

 けれど、卒業したからといって、その支配から逃れられるとは思わなかった。いわば、支配される相手を変えているだけなのだろう。

 

 

 たとえ世界で一番偉い人になったって、結局、私たちは目に見えない何かに支配されて生きていくのだろう。

 

 

 何度卒業しても支配から逃れられない。そう考えると、卒業式なんてのは、まったくの意味がないことなんじゃないか。

 

 

 そんなことを思ったから、今日の卒業式をさぼった私だけれど、何もすることがないものだから、私は困ってしまったのだった。

 

 

 さて、どうしようか。と、そんなことをふと思っていると、ついちょっと前に読んだ句集『バーベルに月乗せて』のひとつを思い出した。

 

 

 ああ、そうだ。コンドルを見に行こう。それはとても楽しいことに思えた。私は思わず口元に弧を描きながら、どこかへと向かって歩いていった。

 

 

自由であることの苦痛

 

 ああ、そういえば、日本にコンドルなんているわけないな。そんなことに気がついたのは、そこらにあった山を汗水垂らして痛い足を引きずりながら登った後だった。

 

 

 仕方がないから、私はイヤフォンで『コンドルは飛んでいく』を聴くことにした。雄大な曲が耳に流れ込んでくる。

 

 

 コンドルが飛ぶ姿はテレビで一度だけ見たことがあった。おぞましい食生活なんて目に入らないほど、それは優雅で美しかった。

 

 

 生まれ変わったらコンドルになりたい、とは思わない。コンドルはコンドルで大変だろう。けれど、あの姿を見たらコンドルになるのも悪くはないなと思うのだ。

 

 

 彼らはきっと自由だ。私たちなんかよりもずっと。けれど、彼らは本当に自由を求めていたのだろうか。優雅に空を飛びたいと思っていたのだろうか。

 

 

 私たちは彼らのようにはなれない。地に足をつけて生きている。ライト兄弟が飛行機を作ったみたいに、私たちは空に飛ぶことを望んだ。

 

 

 空は自由の象徴のようにも語られる。ビルや、木や、山や、そんなものが溢れているよりも、何もない空に、私たちを阻むものは何もない。

 

 

 けれど、それは、何にも縛られることがないというのは、この上なく不安定なものなのではないだろうか。

 

 

 それは手を離された風船みたいに、どこに行くこともできず、ただ空に向かって当てもなくふらふらするだけの、心もとなさ、なんて。

 

 

 コンドルも実は地を歩きたいのかもしれない。何の支えもない空を嫌っているのかもしれない。

 

 

 自由になりたいと私たちは願った。コンドルは自由になりたくないと願うのだろう。

 

 

 自由、というのは自分の好きなことができるということで、誰にも縛られないということで、つまりは世界に自分ひとりしかいないということだ。

 

 

 不自由であることは幸せだ。なにせ、私たちはただ黙っているだけで、誰かが繋がれた糸で勝手に動かしてくれるのだもの。

 

 

 考える必要なんてない。ただ従うだけでいい。生きていくのは、なんて退屈で、なんて楽なのだろう。

 

 

 帰ろう。気がつけば、日が沈みかけていた。コンドルになりたかったけれど、私はもうしばらく人間のままでいいや。

 

 

 卒業式をさぼってもコンドルは怒られないだろう。けれど、私は両親や先生からしこたま怒られるだろう。だから、私は幸せなのだ。

 

 

言葉から言葉以上の思いが湧き出す奇跡を

 

 キャベツ抱えて潜水艦に遭遇す。

 

 

 トマト炸裂教会の白壁に。

 

 

 香水の体を脱いで夜のジムへ。

 

 

 金星や落葉の中にダリの髭。

 

 

 新雪に散乱ランドセルの中身。

 

 

 七並べの八出さぬ人朧にて。

 

 

 卒業式さぼりコンドルを見にゆきぬ。

 

 

 バーベルに月乗せて反る背骨かな。

 

 

 木蓮はアインシュタインの舌塾帰り。

 

 

 凶悪な三歳児立つ霧の街角。

 

 

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