世界で一番美しいのは誰? クスッと笑える白雪姫のショートショート『鏡よ鏡、』さき


 地下へ向かう階段は長く暗い。手に持った燭台の灯りがなければ一寸先すらも見えないほどだ。

 

 

 王妃は長いドレスを引きずりながら、その階段を一段ずつ降りていく。その形相は氷のように冷たく、民に見せる優しげな笑みは面影すらもなかった。

 

 

 やがて、開けた場所に出る。そこは小さな部屋だった。王家らしく豪奢ではあるが、家財道具はなく、どこか質素である。

 

 

 そこにひとつだけ、ぽつんと置かれているのは大きな姿鏡であった。縁の装飾はやや古式であるが美しく、見ただけでもただの骨董品ではないことがわかるだろう。

 

 

 王妃は燭台を部屋の中央に置くと、外套を脱いで、ティアラを外し、鏡に相対した。

 

 

 鏡の中にはドレス姿の美女が映っている。それはもちろん王妃であった。彼女は相変わらずの冷たい表情で鏡の中の自分を見つめている。

 

 

 すると、変化が現れた。王妃は動いていないのに、鏡の中の王妃が動き出したのだ。彼女はドレスの端を軽く持ち上げて恭しくカテーテルを披露する。

 

 

「これはこれはご機嫌麗しく、王妃様。この万物を見通す鏡めに、今宵は何の御用でありましょう。」

 

 

 鏡の中の唇から放たれたのは、まさしく王妃の声である。しかし、その声はあまりにも蠱惑的で、艶めかしい。王妃が口を開く。

 

 

「鏡よ鏡、この世で一番美しいのは、誰?」

 

 

「世界で一番美しいのは、白雪姫でございます」

 

 

 魔法の鏡は答える。その表情には不気味な笑みが浮かんでいた。王妃の表情は変わらない。答えを聞いても、彼女の瞳は冷たく鏡を見据えている。

 

 

 やがて、彼女は目を閉じて頷いた。

 

 

「ええ、そうでしょうね。白雪姫は美しいわ。だからこそ、あの子に汚い虫がつくのを止めないといけない」

 

 

 近頃、森番の猟師が偶然見かけた白雪姫に懸想しているという噂を耳にした。気をつけなければならない。

 

 

 汚れた庶民のむくつけき男があの子を抱きしめるなんて、想像するだけでもおぞましい。あんな男は女鹿でも抱きしめておけばよいのだ。

 

 

 それに、森の外れに住む七人の小人もまた、白雪姫に想いを寄せているらしいのだ。猟師よりも、目下の懸念はこちらである。

 

 

 あのような偏屈者どもの心までこうもたやすく捕らえるのはさすがは我が娘と言いたいところだが、彼らは法に縛られないからこそ余計に性質が悪い。

 

 

 姫を手に入れるためならば法外な手段にも出てくるだろう。念の為、姫自身に気付かれないように警備を強化しているが、所詮は予防でしかない。

 

 

 彼らを根絶するよう夫に働きかけているが、夫は為政者として似つかわしくない優しさを持つ代わりに楽天家である。期待はできまい。

 

 

 民からは隣国の王子との結婚を望む声が上がっているようだが、これもいただけない。

 

 

 たしかにあの王子は見た目が良く、優秀だと評判が高い。線の細い美貌は多少の見劣りはしようとも、白雪姫の女神の如き美しさの隣りに立つこともできるだろう。

 

 

 しかし、王妃は母親同士の独自のネットワークにより、彼が特殊性癖の持ち主であることを知っているのだ。隣国の王妃が悲しんでいた。

 

 

 とてもではないが、そんな相手のところに愛する娘なんて遣れるわけがない。言語道断である。

 

 

 結局のところ、王妃であり母でもある自分があの子をなんとかしてあげなければならないのだ。迫り来る男どもの魔の手から救ってやらねば。

 

 

「王妃は本当に白雪姫のことを愛しておいでなのですね」

 

 

 魔法の鏡に映った彼女が呆れたように肩を竦めた。

 

 

「当然です。親として当然のことでしょう」

 

 

「嫉妬、なんてのはしないので?」

 

 

 鏡は煽るように問いかけた。白雪姫がふさわしい年齢になるまで、一番美しいのは王妃であった。

 

 

 女とは、美しさに嫉妬するものだ。この王妃とて例外ではあるまい。ましてやそれが、かつて夫が愛した女の娘であるとすればなおのこと。

 

 

 鏡は人が堕落していく有様を見るのが好きだった。だからこそ、この歪むことがない王妃は面白みがなく、内心うんざりしている。

 

 

 ある意味では歪んでいるかもしれないが、鏡が望むのはそういった類の歪みではないのだ。

 

 

「彼女が消えればあなたが世界で一番美しいのですよ。世界で一番美しい女性に、なりたくはないのですか」

 

 

「あの子に私なんかが敵うわけないでしょう。あなたはあの子の眩いばかりの美しさがわからないのかしら」

 

 

「いえいえ、それはもちろん存じておりますとも。嫌というほど」

 

 

 以前、王妃に三時間ほど白雪姫の美しさについて延々と語られた鏡は慌てて首を横に振った。

 

 

「ああ、それにしても、あの子に群がる男をどうしてやろうかしら。どうやったら、あの虫どもを追い払えるのでしょうね」

 

 

「いっそのこと、白雪姫がいなくなってしまえば、彼らもいなくなるのではないでしょうかね」

 

 

 鏡は半ば捨て鉢に提案する。しかし、その提案を聞いた王妃は目を輝かせた。

 

 

「それだわ」

 

 

「はい?」

 

 

 王妃は妖しくも美しい笑みを見せる。その顔は彼女の本来の正体である魔女の様相を見せていた。

 

 

「あの子がいなくなれば、あいつらもいなくなるわ。そうね、毒リンゴを食べさせましょう。これであの子を守れるわ」

 

 

 王妃は白雪姫を愛していた。しかし、その狂おしいばかりの家族愛は、毒のように体を蝕んでいく。

 

 

魔女と魔法の鏡のクスッと笑える会話劇

 

 王城に住まう城の地下。大きな鏡が置かれているその部屋の存在を、城に仕える者はおろか王も姫すらも知りません。

 

 

 ただ一人、王の後妻である女を除いては。今日も今日とて、彼女は鏡に問いかける。

 

 

 世界でひとつの魔法の鏡、後妻の女は魔女だったのです。

 

 

「鏡よ鏡、答えておくれ。世界で一番美しいのは誰?」

 

 

「俺です」

 

 

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