人類は滅亡の危機に瀕していた。それは誰の目から見ても明白で、その時は決して遠くない未来だった。
大陸にあった大国や強国は次々に滅ぼされていき、とうとう一国を残すのみとなってしまった。
平野を埋め尽くす敵の大軍勢。その数は途方もなく、城から見下ろした景色はまるで蟻が集っているかのようであった。
思わず自嘲する。本当に奴らが蟻だったなら私たちはこうも無残にはなっていないだろう。
数日前、城の上を飛んでいたカラスを見たことが、頭のどこかに引っかかっていた。臓の底まで冷えるかのような、あの寒気。思えば、あれはこの未来の予感だったのかもしれない。
カラスは国の凶兆。災いを呼ぶ鳥だと呼ばれている。あるいは、彼らの軍勢もまた、あの黒点が招いたのだろうか。
貴族は早々に国を捨てて他国へと逃げ、そしてそのまま国ごと犠牲となった。彼らの消息は伝聞でしか知らない。
民たちは怯えて家に立てこもり、終わりの時を震えて待つしかない。強大な敵に対して彼らができることは何もなかった。
国の自慢だった有数の騎士たちはすでに誰も残っていない。誰もがあの軍勢に呑み込まれてひとりとして帰ってこなかった。
次期王として将来を期待していた若き王子は、騎士たちとともに勇猛果敢に国を出て、変わり果てた姿となって返された。
あれは見せしめなのだろう。次にああなるのはお前なのだ、と。以来、王妃は寝込んでしまい、立つことすらできない。
後に残ったのは、すでに役に立たない老骨となってしまった私だけというのも皮肉なものだ。
本来ならば未来を担うべき若者たちが真っ先にいなくなり、今や女子どもと老人しか残されていない。そして、その灯火もすぐに消えてしまうだろう。
彼らに対して油断していなかったかといえば嘘になるだろう。最初はそこまでの脅威だとは思わなかった。
しかし、その傲慢こそがこの有様の原因だった。人間は偉大な種族だという高慢な思い込みが、人間を滅ぼす結果となったのだ。
大陸の大部分を支配していた大国も、大陸一の軍を有していた帝国も、押し寄せてくる彼らの敵意に抗うことができなかった。
こんな小さな国など、瞬く間に呑み込まれてしまうだろう。もう抗う術もないのだ。その時を待つか、あるいは滅びを待つ前に自分たちから滅びるか。
ああ、いや、ひとつだけ。方法がまるでないことはない。私はふと、国に伝わる伝承を思い出す。
しかし、それはおとぎ話の域を出ない、言うなれば鼻つまみものの噂でしかない。真実であるとはとても思えない。
しかし、どうせ、何もしなくても終わるのだ。ならば、最後に試すだけ試してもいいじゃないか。
何も起きなかったら、いや、十中八九起きないだろうが、そうなったら、それこそ本当に万策尽きたと腕高々と言えるだろう。
もしも、上手くいったならば。それでも、絶望的だろうが、もしかしたら、あるいは。何が起こるかはわからない。
だが、だからこそ試してみる価値はあるかもしれない。私は思わず笑みを浮かべた。その笑みは諦観と自嘲に満ちている。
伝承に伝えられた儀式は、ひどく曖昧だ。なにせ、その書物を見たのは一度きりであった。それも幼い頃のことだ。
はるか遠くへと薄れてしまったその記憶を思い出しながら、侍女や従者に命じて用意をさせる。
さて、あれは、なんという表題だったか。たしか、ロゼッタ、とか、なんとか。
その物語の中で、動物が突然変異した「亜人」という敵によって人類は追い込まれ、残すは砦ひとつとなった。
その砦の主である怠惰な王女、ロゼッタ姫は、部屋に引きこもって最期の時を待っていた。
しかし、城の使用人や民衆は、王族に伝わるという「召喚の儀」という希望を持っていた。それが形だけだと知っていたロゼッタは拒否しようとしたが、熱意に根負けして行うこととなる。
本来なら、何も起こらないはずだった。しかし、偶然か否か、ロゼッタ姫が適当に行った儀式は、異界から勇者を呼び出した。
彼女たちによって、亜人の進行は食い止められ、人間の陣営は次第に反撃の勢いを得ることになる。
物語を思い出そうとしながら下りて、今は全く使われていない城の片隅の薄暗い部屋に私は入っていく。
外からの明かりは一切入らず、四方に立てられた蝋燭の灯りだけが揺らめいている。その中央には魔法陣が描かれていた。
しかし、なにせ曖昧な記憶をもとに創り上げた空間だ。正しいという保証はない。上手くいくとは、用意させた王ですら思っていなかった。
それでも、どうにかこうにか儀式を進めていく。ひどく不格好ではあったが、空間の効果のおかげか、不思議な気分にはなってくる。
呪文を唱え終わり、手に持ったタロットカードを魔法陣の中央に放り投げた。ばらばらと、タロットが宙を舞い、散らばっていく。
光が起こったことにまず誰よりも驚いたのは王だった。辺りが眩い光に包まれていく。
目を潰さんばかりの光が晴れたその時、魔法陣の中心にいたものを見て、王は目を見開いた。
人類の危機に現われた英雄たち
人類はあと数年ももたずして滅亡する。誰も口には出さないが、言わなくてもみんなわかっていることだ。
人類の組織的抵抗は一か月前に完全に失敗した。各国が利害度外視でかき集めた最後の兵力。それが徹底的に壊滅させられたのだから。
各国の指導者は軒並みいなくなった。撤退できた兵士は千にも満たない。残されたのは老人や女子どもばかり。この盤上遊戯は、すでに詰んでいる。
ロゼッタは地図を眺めながら、何度目かわからないため息を吐いた。彼女は大陸の半分を支配していた大ロートラック帝国の娘。尊き一族のひとりである。
コルランド大陸はすでに亜人によって完全に制圧されている。支配権を追いやられていった人類は、最後にこのユーズ半島にこもったのだ。
ロゼッタは部屋を出て、外へと出る。大陸の地平線はこうしてみる限りでは、以前とあまり変わりないように思える。
亜人は人間と同じ言葉を話し、独自の文化を持っている。そしてなにより、人間への怖ろしいまでの憎悪に憑りつかれているのだ。
鳥やら馬やら猪、豚、猿、鹿、山羊、兎。ありとあらゆる獣たちが人間へと一斉に牙を剥いた。
人間も最初は難なく撃退していたが、彼らが道具を扱うようになると事態は一変した。人類は徐々に追い詰められ、最後には不落と讃えられた帝都まで落とされた。
「姫はなぜ召喚の儀を行わない!」「お願いです、どうかお慈悲を! 私たちを助けてくださいっ」
要塞にこもるか弱き人々は完全に恐慌状態に陥り、ロゼッタのいる楼閣へと押し寄せた。
召喚の儀はただの形式的なものでしかないとロゼッタは知っていた。無駄に終わるとわかっていることをやって、民たちの最後の希望を奪うのは望まなかった。
しかし、腹心の侍女や近衛兵たちの不安そうな表情の中に、どこか期待のようなものを見出して、なにもかも馬鹿馬鹿しくなった。そのうえで、まあいいかと考え直す。
ミナス要塞の最上階、式典のために用意されたそれなりに広い一室に、ロゼッタはいた。
よくわからない杖やら書物やらを持って。床に描かれた魔法も当然ながら適当だ。これから何をしてよいかもわからない。
仕方がないとロゼッタは懐からあるものを取り出す。一時期熱中していた占いに使っていた小道具。
蓋を開け、中からそれを取り出す。様々な絵柄の描かれた二十二枚のカード。それを適当にきって、魔法陣の周りに配置していく。
侍従のモロクと侍女たちが燭台に火を灯していく。外の明かりは遮断され、不思議な空間が作り上げられる。あとはロゼッタが三文芝居を演じるだけ。
「天にましますクソッタレな神様。クソッタレな亜人どもを道連れにしたいので、どうか我らに力をお与えください。それができないなら、とっととくたばっちまえ、このクソ野郎ッ!」
ロゼッタが罵声とともに杖をへし折り、書物ごと魔法陣に叩きつける。一瞬の静寂の後、カードの何枚かに火が燃え移り、奇妙な光がそこに集っていく。
ロゼッタが逃げようと扉に駆けだした時、集った光が爆発し、凄まじい音と衝撃がその場に巻き起こった。
数分が経過すると光は薄れ、その場に倒れていた者たちが目を覚ます。魔法陣の中には見知らぬ人間?たちがいた。
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