私はテーブルについて食事を食べていた。目の前には母と姉が座っていて、薄暗い食卓を陰鬱な沈黙が充満している。
母は猪のお面を被っており、惚けたように開けられた口からはダラダラと涎を垂らしていた。
姉は猿のお面を被っている。赤い顔に寄せられた皴が次第に深みを増して、牙を剥き出しにしていた。
私は今まさに自分が箸を向けていた皿の上に視線を落とした。そこには目玉をギョロつかせた魚が乗っかっている。
魚はびくびくと全身を苦しげに痙攣させていた。その身体は胸びれから尾びれに下りていくにつれて次第に人間の足へと変貌している。
魚の黒く沈殿した瞳が私を睨んで、ぽっかりと開かれていた口からけたたましい叫び声が上がった。
「相対的に矮小な太陽との塔が六つの白濁した瞳で電子ケーブルの繋がれたアタッシュケースを突き刺せば、かたわらにしまい込まれたボールペンの切れ端が大きく跳ねあがって」
ふと、顔を上げるとそこは学校の教室だった。幼い私は窓から見える校庭を見下ろしている。
三人の男がひとりを囲んでいた。彼らは高笑いをしながら真ん中にいる少年をからかっているようだった。
私は彼らを止めなければと思った。なぜなら、からかわれているのは私の無二の親友だからだ。
私はいつの間にか彼らの目の前にいた。大声でやめろと叫ぶ。振り返って私を見た彼らの顔は、おぞましい獣の顔をしていた。
私は悲鳴を上げて逃げる。背後から私を追いかける彼らの足音が聞こえてくる。
彼らに追いつかれてしまったらおしまいだ。私は本能でそう感じていた。後ろにちらりと視線を移すと、彼らはもはや人の面影すら残しておらず、完全な獣となっていた。
後ろを見ていたからだろうか。私は何かにぶつかった。それはまるで眼前にそびえ立つように巨大な本棚だった。
私は震えながら本棚を背にして彼らの方を向いた。三匹の獣はげらげら笑いながら私をじりじりと追い詰めてくる。
私は思わず後ずさりした。身体がぶつかった本棚がとんと揺れた。直後、頭に重い衝撃が加わった。
私は自分の机の上で目を覚ます。腕を枕にして、うつ伏せに眠ってしまっていたらしい。頭頂部にはまるで夢がそのまま現実になったかのような鈍痛があった。
その犯人は机の上にあった。筒井康隆先生の『パプリカ』。それが私を夢の世界から連れ出したらしいのである。
夢と現実
私が初めて『パプリカ』を知ったのは今敏監督の監修した映画であった。米津玄師先生の歌を検索する過程で偶然見つけたものだった。
軽い好奇心から見始めたものだが、私はまたたく間にその巧みな映像表現と中毒性のある音楽性、奇怪なストーリーの魅力に引き込まれた。
質感を無視した無機物のパレードは圧巻で、現実と虚構の入り混じる映像は夢と現実の境目すらも見失わせる。
よく作りこまれたSFの世界観でありながら、クライマックスに至るまでの社会風刺を多分に含有した混沌はむしろ幻想的なファンタジーじみた様相を呈していた。
そして、それらを彩るのは平沢進先生の音楽である。その耳に残るリズムは私の心を掴み上げて離さない。
その映画の原作は筒井康隆先生の同名小説だということを知り、読みたいという衝動が抑えきれずについこの前に購入したのがこの本であった。
昨夜の私は寝る直前に一気に結末まで読み上げた。思ったのは、映画と原作での違いである。
ストーリーの大筋は原作をなぞっているが、原作では登場人物が増え、また、それぞれの内面描写も多くなっている。
そのことがより、敦子や、粉川や、小山内を身近に感じさせ、深く物語に没入させるのだ。
映画には映像表現ならではの不気味さがあった。しかし、原作には文字だけの中に狂気が横溢している。
私は本棚から零れ落ちたのであろうその本を再び本棚に差し込んだ。ふと、違和感を覚える。
本棚の片隅に収められていた赤い装丁の本に、不思議と私は視線を吸い込まれた。思わずその本に手を伸ばす。
指先が触れた途端、本棚がぐにゃりと揺れた。驚愕に目を見張る中。壁の先に広がったのは荒涼とした砂漠だった。
冷蔵庫やポスト、カエルのおもちゃ、日本人形が列を成してパレードをしている。どこからか音楽が響いてきた。
私は、まだ夢の中にいたのか。果てのない夢の中の世界を、私はただ茫然と眺めていた。
混沌とした夢の世界を描いたSF
財団法人・精神医学研究所の理事室に常駐している理事は、時田浩作と千葉敦子のふたりだけだった。
二人はノーベル医学生理学賞候補のナンバーワンであった。彼らは精神内部を走査し観察するサイコセラピー治療の第一人者である。
しかし、その治療法の確立により、分裂病が伝染するのではないかという恐怖が精神病医の間で蔓延していた。
事実、津村という研究所に勤めている若い職員がひとり、隣室の六十歳前後の男性の妄想の影響を受けて様子がおかしくなっていた。
そのせいもあって噂はより現実味を帯びており、研究所の職員や理事の間においても派閥が分かれているというのが現状であった。
所長であり財団法人の理事長でもある島寅太郎は善良な人物であるが、それゆえに争いごとが苦手な事なかれ主義的な人柄であり、派閥争いには興味を示していない。
敦子は自分や時田が彼のおかげで研究に専念できていると考えており、彼の身を案じていた。そんな中、敦子は彼に呼び出される。
彼からのお願いはこんなようなことだった。とある人物の治療をしてほしいとのことである。
その人物とは能勢龍夫という男で、島の高校、大学を通じての親友とのことだった。その彼が不安の発作に悩まされているというのである。
彼は無公害車の実用化を推進している自動車メーカーの重役であるらしい。社内外に敵が多く、反発が非常に多い。
そのため、彼の失脚を狙っている者も大勢おり、精神科へ通ったなどと知られては車の性能まで疑われることとなってしまう。それが原因で、より苛まれることとなっているようだ。
彼自身が請け負ってもいいが、それでは時間がかかる。そこで島は、彼女にひとつの頼みごとをした。
「パプリカの出動を要請したい」
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