床に、文字の書かれた札が無造作に散らばっていた。私は目を皿のようにしてその文字を睨みつける。読み手が下の句を詠んだ時、私の目が、一枚の札を捉えた。左手をしならせる。
『やくやもしほのみもこがれつつ』。取った札を眺める。詠み手が持っている読み札には、上の句の、『来ぬ人を まつほの浦の 夕なぎに』と書かれているはずだ。そして男性の絵と、「権中納言定家」の名前。
毎年、新年には、我が家で必ず百人一首をしている。今年はできなかったそれを、今になって、やりたいと言ったのは私だった。
どうして急にそんなことを言い出したか。それは一冊の本がきっかけだった。今まで私はそれをただのカルタのようなものだと思っていたけれど、今は違う。歌そのものや、作者にも思いを馳せるようになっていた。
小倉百人一首をつくったのは、まさに今、私が取った札に書かれている歌の作者、藤原定家だと言われている。当時ではもっとも優れた歌人とされていた人物だ。彼には一層強い思い入れがあった。
私が読んだ本のタイトルは、『身もこがれつつ』という。周防柳先生の作品だ。藤原定家の生涯と、百人一首を巡る物語が描かれている。
けれど、何よりも私の胸をときめかせたのは、藤原定家、藤原家隆、そして後鳥羽院の三角関係だった。
偏屈だけど歌に向けた情熱が強い定家と、温和で好青年な家隆、自分勝手だけど心に深い傷を抱えている後鳥羽院。男同士の恋愛に興味がない私でも、思わず引き込まれた。
百人一首の和歌を巧みに織り交ぜた恋物語はとても美しくて、どこか上品な色気がある。和歌の美しさというものが、ようやくわかったような気がした。
定家と同時代に活躍した家隆は、定家と並んで当代きっての歌人と讃えられた人物だ。しかし、出世していった定家とは対照的に、晩年は失脚して出家した。
後鳥羽院は神器がないまま天皇に即位し、天皇の世を取り戻すべく北条家に刃を向けて惨敗し、最期は流刑の身となった不遇の人物である。定家の歌に憧れ、歌人としては優れた才を発揮した。
歴史の授業で習うだけのものはあれほど淡泊で何の魅力もなかったのに、そこに物語としての肉付けをするだけでこんなにも面白くなるなんて。
定家は、とにかく「美」を探求していった人であるらしい。恋の歌が得意であったのに、在原業平と違って本人はあまり華々しい話がないというのだから驚きだ。
「詞は古きを慕い、心は新しきを求める」この作品を読んでいて、思わず感嘆したのが、定家のこの言葉だった。これは現代にも通じていて、けれど軽んじられている考え方だろうと思う。
定家は「本歌取り」という和歌を貫いていた。有名な和歌から一句二句を取って、自分の和歌をつくる。つまり、他の和歌を知らなければできない方法だ。
「歌の心とは、この国に一千年積もり積もったみやび男みやび女の思いの重畳」と定家は言っている。和歌は日本の代表的な文化だ。かつては、恋文の代わりとしても用いられていた。
現代、新しいものばかりがもてはやされている。伝統は悪しきものとすら言われていることもある。それは良くない風潮なのではと思う。
もちろん、伝統にこだわりすぎて変化を怠けるのはいけない。だけど、ならば伝統など捨て置けばいいじゃないかと言われると、決してそんなことはないだろう。
私たちは何千年と降り積もってきたこの国の歴史の上に立っている。彼らがいたからこそ、現代の私たちがいる。そのことを忘れてはいけない。
この国に受け継がれてきた人々の思い。その上に、そっと自分の思いを乗せる。伝統を重んじることで新たなものを生み出す。それこそが、私たちの向き合うべき姿勢なんじゃないか。
風そよぐ 楢の小川の 夕暮は。左手が動く。この札は、定家といっしょに取りたかったのだ。下の句は。みそぎぞなつの しるしなりける。
歌人たちの三角関係
文暦二年。春風駘蕩の弥生の半ば。「そは、たしかな筋からの話であろうかの」わが父親が重ねた襟元から皴首を伸ばし、思い切り相手の方へ乗り出すのを、藤原為家は若干肩をすくめる思いで眺めた。
世には並びなき和歌の権威として響いている翁である。その道ではたれしも異論のない頂だ。よわいは七十四にもなる。なのに。
年中何かに憤っている。そのくせところどころに穴が開いている。自信家のくせに気にしいでもある。しかし、まあ、そこがかわいげと言えば言えなくもない。それが――、わがおやじ、藤原定家なのである。
瘦せ鶏のおやじ殿は今度は努めて平静を保ちつつ、向き合っている相手に言葉を返した。「なんとも蓮生殿、初耳であったぞよ」相手は福々しい頬でにこ、とした。この人物は宇都宮蓮生といって為家の妻の父、すなわち舅である。
三人が対面しているこの場所は蓮生の山荘だ。二人連れだって舅の機嫌伺いにやってきた。そしたらとんでもなく重大な話題が飛び出したのだ。
こんな次第であった。今から十四年前の承久の年、後鳥羽院が執権北条義時に対して討伐の兵を挙げた。が、無残な敗北を喫した。義時は加担者をことごとく処刑し、後鳥羽院を隠岐へ、子の順徳院を佐渡へ流した。
その日からこちら、京では両院の話題は禁句となった。かくして十四年間、孤島の旧主はなきがごとくに打ち捨てられてきた。それが赦されて還御されそう――、というのだ。
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