昔、「テレビの撮影が来てる」と聞いた時、友だちと騒ぎながら見に行ったのを覚えている。うっかりテレビに映ったらどうしよう、とか考えてドキドキしながら。
私は小さい頃からずっと、いわゆるテレビっ子だった。食事の時にはいつもテレビを見ながら食べていたし、何の音がない時にはなんだか寂しくなって、何を見るでもないけどテレビをつけることも多かった。
改めて思うと、テレビって不思議なものだと思う。ただの重たい箱にしか見えないその黒い面には、自分がいる場所とはまったく違う場所、まったく違う時間の光景が映し出されている。
子どもの頃、私は本気で、テレビは別の世界のことを映していると思っていた。今でも、テレビが実は異世界の光景を映していましたと言われても、信じてしまうかもしれない。
テレビはそれほどまでに異質だったのだ。私にとって、テレビに映る光景は、私がいる世界とは違う別の世界だった。
だからこそ、もしも、そのテレビで突然、自分のことが出てきたのだとしたら、いったいどうなるだろうか。そんな妄想をすることもあった。
その本を読んだ時、まさに私が妄想していた通りのもので驚いてしまった。そのタイトルを、『おれに関する噂』という、筒井康隆先生の作品だ。
ストーリーはこんな感じ。ある時、おれがニュースを見ていたら、アナウンサーが突然おれのことを喋り出した。そのニュースは、おれが会社の女性をデートに誘って断られた、というもの。自分にとってはともかく、他の人にとっては取るに足らない話のはずだ。
最初、おれは幻を見たのだと思う。だが、翌日の新聞にもおれのことが載っていた。会社でも、同僚がひそひそとおれを見て噂話をしている。
おれは尾行や盗聴を疑って疑心暗鬼に陥り、精神病院に行ったり、タクシーで尾行を振り切ろうとする。だが、テレビはマスコミの存在を匂わさないまま、おれの行動だけを狙いすましたように流し続けるのだ。
さて、この物語を知って、あなたは、これを羨ましいと思うだろうか。それとも、怖いと思うだろうか。
よく、「テレビの撮影がある」と聞くと、予定を変えてまで見に行く人がいる。リポーターの背後でピースしてはしゃぎまわる人たちもいる。
だけど、不意に冷静に考えてみれば、テレビに映っている自分自身を見るのは、恐ろしいことではないだろうか。私は、『おれに関する噂』を読んだ時、心底ぞっとした。
世に、有名税という言葉がある。有名になることでプライバシーが侵害されることを指す。主に芸能人に適応されるが、時には事件に巻き込まれた一般人なども対象になる。
何より怖ろしいのは、この有名税に対して、半ば「仕方ない」として黙認されていることである。問題として挙げられながらも、誰も解決には向かおうとしない。
私はそこに羨望や憧憬を裏返した嫉妬や悪意があるような気がしてならない。「有名なんだから、それくらいの被害は受けて当然」みたいな。
テレビは別の世界だ。その小さな箱に映っている「芸能人」が、自分たちと同じ人間なのだという事実を、私たちはしばしば忘れてしまう。
有名なんだから。かっこいいから。美人だから。金持ちだから。成功しているから。だから別にこれくらいのことはいいじゃないか。そんな声が聞こえてくる。
恋愛も、ちょっとした仕草、会話も、不幸も、軽い悪事も、何もかもが無数の目によって暴かれ、持ち上げられるのだ。彼らの住んでいるテレビの中の世界は、全面がガラスケースでできている。
テレビとは、そういうものだ。改めて質問したいのだが、あなたは、テレビに映ることを、羨ましいと思うだろうか、それとも、恐ろしいと思うだろうか。
非日常の入り口
NHKテレビのニュースを見ていると、だしぬけにアナウンサーがおれのことを喋りはじめたのでびっくりした。
「次は国内トピックス。森下ツトムさんは今日、会社のタイピスト美川明子さんをお茶に誘いましたが、断られてしまいました」
「ん。なんだ何だなんだ」おれは茶碗を卓袱台へたたきつけるように置き、眼を丸くした。「なんだ。これはいったい、なんだ」
画面には、おれの顔写真が大きく映し出されている。テレビが次のニュースを流している間もおれはただ茫然と、うつろな眼で画面を眺め続けていた。
「ああ、びっくりした」やがて、おれはそうつぶやいた。幻覚だ。そうに決まっている。原資と、そして幻聴だ。だが幻覚にしては、すべてがあまりにもなまなましく記憶に残っている。
おれははげしくかぶりを振った。「そんな馬鹿な」
ニュースが終わった。決然と、おれはうなずいた。そして断固としていった。「幻覚だ。うん。幻覚だ」つぶやいた。「こんなはっきりした幻覚も、世の中にはあるのだなあ」
ははははは、とおれは笑った。四畳半の部屋に、おれの笑い声が低く響いた。もし今のニュースがほんとに放送されたのだとしたら、と、おれは想像した。
そう考え、おれは吹き出した。笑いがとまらなくなってしまった。布団へもぐりこんでからも、しばらく笑いがおさまらなかった。翌朝、新聞の社会面におれのことが出ていた。
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