子どもの頃、妖怪がたくさん描かれた絵本を夢中で読み耽っていたことがある。みんなが夢中になったアニメや特撮なんかよりも、それを読んでいた時の方がよほど楽しかった。
つまらない歴史の授業でうつらうつらとしていた時、教科書に載っていた『百鬼夜行絵巻』を見て、その頃の記憶が思い出された。
百鬼夜行。妖怪たちが群れを成して練り歩いていく。その姿はさまざまで、世にも不気味なものもあれば、どこか滑稽にも感じる。
私は妖怪が大好きだったのだろう。昔から。しかし、それは彼らに恐怖していたわけではなかった。むしろ、一種の憧憬のようなものすら抱いていたのだ。
現実とは異なる世界。人間とはまったく違う、姿のさまざまな妖怪たち。私は彼らの世界に憧れた。絵巻の中を練り歩く彼らは、どこか楽しげで、羨ましかったのだ。
京極夏彦先生の『百鬼夜行』を読んだのも、そもそもはその延長線上にあったからなのだろう。しかし、それは私の甘い憧れを打ち壊した。
『百鬼夜行』は京極夏彦先生を代表するシリーズのひとつである。最初に鳥山石燕の描いた妖怪の絵が提示され、その妖怪になぞらえた短編が綴られていく短編集だ。
しかし、その話にその妖怪が出てくるというわけではない。多くはその存在を薄っすらと匂わせる程度で、中には全く妖怪というものに関連付けられてすらいないものまである。
にもかかわらず、その短編集は、私を思わずぞっとさせた。そこには、今まで私が愛してきた妖怪とはまったく異なる妖の姿が描かれていたのだ。
人間の、心。身勝手な欲望や、嫉妬、殺意、子どもの頃の思い出、ほんのちょっとした出来心、この物語に描かれているのは、そんな身の毛もよだつような「妖怪」たちである。
私は、勘違いをしていたのだと、初めて気が付いた。「妖怪」というそれぞれの形を得て、アニメや漫画や絵巻の中で、愉快に騒いでいる滑稽な存在こそが「妖怪」なのだと思い込んでいた。
しかし、それは違うのだ。
そもそも妖怪は、捨てられた道具に宿った怨念や魂、人に災厄を撒き散らす者、人には決して理解できない自然の驚異、人間が巨大な恨みによって姿を変貌させたもの。
彼らは人の怨念や恨み、深い憎悪が生み出した怪物だ。そこには滑稽さなどなく、悲哀と、怒りと、憎しみだけがある。
昔の人たちは、自然が引き起こす奇妙な現象や、疫病に対して「妖怪」という形と名前を与えた。そうすることでそれらを理解し、そして怖れたのだ。彼らを怒らせてはならない、と。
それがどうだろう。今や、「妖怪」は創作物の主要な主題のひとつとなってしまった。鬼との戦い、妖怪の主との恋愛、妖怪同士の戦い。
ある時は倒される悪役として、またある時は人間に味方するヒーローとして。かつて彼らの下地となった本質は忘れ去られ、合わせて創られた形と名前だけがひとりでに歩いている。
けれど、京極先生の『百鬼夜行』は、妖怪という本質を思い出させてくれた。彼らは人の心から生まれた。ゆえに恐ろしく、そして哀しい存在なのだと。
私たちは彼らを面白がるでもなく、倒すべき敵として憎むでもなく、憧憬と崇拝の対象として羨むのでもなく、まさしく畏れるべきだったのだ。
今はもう、私は「妖怪」に憧れていない。「妖怪になる」ということの本当の意味を、『百鬼夜行』が教えてくれたから。
彼らはそこにいる
私には、きょうだいがいた。そんな――気がするのだ。そんな気がするとは、なんともあやふやな言いようではあるのだが、そういう以外にない。わからない、からである。
否、わからないことはないのだ。私には兄も弟も、姉も妹もいない。かつていたという事実もない。いた痕跡もない。戸籍の上でも、私はひとりっ子である。それでも、何故かそんな気がしてならない。
戸籍を疑うわけではない。我が目を疑うわけでもない。ただ、ほんの僅かの違和感が、心の隅に生じたというだけのことである。私に兄弟姉妹はいない。いないというのに戸籍を見るたびに微かな齟齬を覚える。それだけだ。
その小さなしこりこそが、そんな気がするという言いようの正体である。些細な誤謬なのだ。勘違いか、思い込みか、妄想か、そういったものなのかもしれない。
もしや、じぶんは精神や神経に変調を来しているのではあるまいか。そうでないなら、大きな何かを、忘れてしまっているのではあるまいか。そう考えると不安になった。
だが、そんな取るにも足らぬ不安など、毎日の暮らしの中においては埋没させざるを得ぬ些事となるだろう。そんなことで揺れている余裕などない。
私は日々に追われ、不安を無視して暮らしていたのだ。ただ暮らしていくだけでもそんな状況であったというのに――。
動乱があった。それは大きな騒動だった。人が亡くなっているし、世間的にはいわゆる殺人事件でもあった。
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