刑事だったら正義感が強いはずだ、なんて誰が決めた。コンビニ店員がみんなコンビニ好きとは限らないように、その職に就くのにこうでなければならないことはない。
私の先輩である彼女は美しい女性だった。刑事でなければ、女優かモデルになっていてもおかしくないほどの美貌だった。
どうして彼女は刑事を選んだのか。私は幾度か聞いてみたのだけれど、父に憧れたとのことだった。
しかし、私はその答えを疑っていた。私以外の新人がみんなその言葉を信じているようだったけれど。いや、あれは彼女の美貌に従っているだけかな。
ともあれ、私が疑っていたのには理由がある。というのも、彼女の父は警察の中でも有名な正義漢だったのだが、彼女からは全くそういったものが感じられないのだ。
犯人への怒り。犯罪への憎しみ。そういったものが、彼女からはちっとも感じられなかった。
むしろ、彼女が興味を示していたのは、被害者だった。第一線の刑事ともなると、凄惨な事件現場に居合わせることも多い。
私は初めて見た時、思わずトイレに駆け込んだほどだったのだが、彼女はそれを平気な顔でまじまじと見ていた。
いや、あれは平気な顔とか、そういった次元じゃない。彼女のその顔はまるで恋人でも前にしたような、そんな恍惚とした表情だったのだから。
どうやら、彼女は相当の変わり者らしい。それは、悪い意味でも。つまり、彼女は被害者の凄惨な最期を見るために刑事になったのだった。
彼女に熱を上げていた私の同期たちが一斉に彼女から距離をとったのは言うまでもない。それはそうだろう、見える地雷に突っ込む奇矯な輩はいない。
私以外には、という意味だが。
「あなた、珍しいのね。ほとんどの人は、私の本性を知ったら勝手にどこかに行ってくれるのだけれど」
「すみませんね、美人の先輩に指導していただくというのを、もう少し楽しみたいなと思いまして」
というのはもちろん嘘で、はっきり言って彼女の趣味は私をドン引きさせるほどのものではなかったというだけのことだ。
警察の誰もが正義感の強い人間とは限らない。それなのに、誰も彼もが警察というのは犯人を嫌い、犯罪を憎み、正義感の強いのが当然だと思っている。
そんな正義感を押しつけてくる同期たちに、私はほとほとうんざりしていた。それよりも、刑事らしくない理由で刑事を続けている先輩に強い興味を持ったのだった。
それは、重ねたのかもしれない。私もまた、刑事というデフォルトタイプから外れた人間だったから。
イメージの押しつけ
私は金のために刑事になった。親が警察官であることや自分の成績、給料の高さ、公務員であることを鑑みて、もっとも警察官が安定していたからである。
そんな私なものだから、父と違って正義感が強いわけではない。犯罪とか、事件とか、どうでもいいとすら思う。
しかし、同期たちはそんな私の正直な志望動機を盛大になじってくれた。そんな理由で警察をするなんて、お前は警察失格だ、なんて。
若い彼らは正義感に満ちていた。自分たちがこの世を良くするのだと意気込んでいた。
眩しいと思う。だから、どこかに行けと思う。私のいないところで、勝手に正義を全うしてくれ、と。
正義感を持ちながらも苦渋の味を知っている父の背中を見てきた私は、警察が正義だけで成り立っているとは思っていない。
しかし、実態はその組織に属さなければわからないもので、世の中の多くのものは世間の掲げるイメージによって歪曲されている。
そして、勝手に期待して、真実を知ったら、勝手に失望するのだ。私の同期たちのように。
警察は正義感が強い。美人は猟奇趣味なんて持たない。男は力が強い。年寄りはネットに疎い。
ごく一部の人間からそのイメージは作られていて、けれど、全員がそうであるかのように世間は言って、その偶像を押しつけてくる。
その人が何が好きでも良いじゃないか。どんなことを趣味にしてても良いじゃないか。誰に迷惑がかかるわけでもないのに、どうしてそんなことまで決められないといけないのか。
彼女が私に問いかけてくる。
「あなたは警察官になったことに後悔はない?」
「ありません」
自分の道を決めるのは世間じゃない。自分自身が、自分の望む自分を決めるのだ。
猟奇趣味の美人刑事は犯人を追わない
浜松中部警察署の大会議室に帳場が立った。入り口には誰が書いたのか、『海老塚一丁目アベック放火事件捜査本部』と達筆な毛筆体の看板が掲げられていた。
代官山は腕を組んで看板を見上げる。被害者は若い男女だった。二人とも真っ黒に焼けただれていて、かろうじて男女の区別がつくほどだった。
現場は夜になると人通りがほとんどなくなる路地に面したマンションだった。駆けつけた代官山や飯島たちの聞き込みにもかかわらず目撃証言は得られなかった。
被害者とのつながり、そして前科。手がかりの九割方はその中に収まる。その枠から外れれば難航する。今回もそうなのだろうか。
飯島の上司である神田が、別嬪を紹介してやると言って、廊下のずっと向こうを歩いている女性に向かって大きく手招きをした。
女がこちらに向かって近づいてくる。左右に揺れる漆黒の髪が妙に印象的だ。彼女の名は黒井マヤというらしい。巡査部長。高飛車な性格をしているようだ。
しかも、彼女は実質的に警察庁のナンバーツーである警察庁次長、黒井篤郎の一人娘であるらしい。機嫌を損ねたら、僻地の駐在所に飛ばされる、とか。
代官山はあろうことか、そんな彼女とコンビを組むことにされてしまった。
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