ふかふかの家族たちが帰ってきた『有頂天家族 二代目の帰朝』森見登美彦


「世の中、賢く立ち回ってこそ、人の上に立つことができるのさ」

 

 

 そんなことを居丈高と抜かしていた友人は、先日家を失って高架下の住処で鶏の骨を齧っている。

 

 

 世の中なんてのはそんなものである。人間は昔から落ちて上がってを忙しなく繰り返しながら毎日を練り歩く。

 

 

 私はふらふらと歩きまわりながら、並び立つ店の商品を買う気もないのに冷やかしていた。

 

 

 そもそも、私の財布には軽い小銭が数枚しか入っていない。買おうと思っても買えないのである。

 

 

 立ち寄った店では、眼鏡をかけた大人しそうな青年が店長と思しき男性に怒鳴られて泣きそうな顔でぺこぺこ頭を下げていた。

 

 

 今はあのように頭を下げていても、いずれは彼もでっぷり太り、あの店長のように新人を怒鳴りつけることになるのだろう。

 

 

 世の中は巡り巡るものである。実に滑稽だ。彼らは何も変わることなく、同じことを繰り返している。

 

 

 世の中は巨大な回る歯車だ。私はそれを見ることこそ楽しいが、いっしょになって回ろうとは、もう思えない。

 

 

 真面目は美徳とされる。真面目にしていればいい企業に入ることができて、いい仕事に就くことができる。親からは散々口を酸っぱくそんなことを言われてきた。

 

 

 私はかつてはそんなことを考えていた。しかし、近頃はなんとも頷けなくなってきたのである。

 

 

 あれはいつの頃だったか、たしか、人間関係に疲れて何もかもを放り出して仕事から逃げ出して以来だ。

 

 

 それから私は家にも帰らず、ふらふらと浮浪生活を送っている。家はない、金もない、仕事もない、

 

 

 賢く立ち回ろうとするのは難しく、しかも、それで上手くいくとは限らない。ならば、阿呆でいる方がよほど賢いのではないだろうか。

 

 

 阿呆みたいにぽかんと口を開けて惚けているあの男を見たまえ。口に虫が入り込んでも阿保みたいな顔を崩そうとはしない。

 

 

 通りすがる人から怪訝の目で見られても気にしない。ぽけっと空を見つめているだけである。

 

 

 かつて、私はああはなりたくない一心であった。今は、ああなりたいとすら思うのだ。

 

 

 ぺこぺこと頭を下げながら働く青年は偉いだろう。しかし、偉くはあるが、賢くはない。

 

 

 阿呆とは何も考えない人のことを指す。賢くなく、働く気もなく、ただ流れるように生き、たゆたう葉のようにのんべんだらりとふらつくだけ。

 

 

 誰もが蔑むその生き方が、実は世の中の真理に最も近いのではないかと思うのだ。

 

 

諸君、阿呆であれ!

 

 面白きことは良きことなり、とは、はて、どこぞの狸が言った言葉であったろうか。

 

 

 その言葉は初めて読んだ時、特に響くところはなかった。にもかかわらず、ついこの前に見た時は、同じ言葉では思えないほど私の心に染み入ったものだ。

 

 

 怒られて、頭を下げながら、涙を流すことすらできないほどの辛苦を心に秘めて、その果てに何が待っているのか。

 

 

 そこには何もない。真面目に生きようとも、怠惰に生きようとも、最後まで行き着く先は同じである。

 

 

 真面目な阿呆にただの阿呆、同じ阿呆ならさぼらにゃ損損。結局、世の中に蔓延るのはどいつもこいつも阿呆ばかりである。

 

 

 私が仕事をやめたとき、仕事先には大いに迷惑をかけた。今でも会う機会があるが、冷たい眼で見られている。

 

 

 父も母も仕事をせず遊び歩いている私に二度と帰ってくるなと勧告した。言われずとも帰る気はない。

 

 

 金はなくなった。もう私の生活は崖っぷちである。以前の私が恐怖した未来が今まさに現実となっている。

 

 

 しかし、今、私は無性に楽しくて仕方がない。現実逃避かもしれぬ。だが、楽しいものは楽しいのだ。働いていた頃とは雲泥である。

 

 

 明日はどうなっているとも知れぬ。一か月後には生きているかどうかすらわからない。しかし、それは働いていても変わらないことを、多くの人は認めようとしない。

 

 

 いつぽっくりいくとも知れぬ。ならば、少しでも楽しい方がいいではないか。今は、まさしくそう思うのである。

 

 

阿呆の道よりほかに、我を生かす道なし

 

 面白く生きるほかに何もすべきことはない。まずはそう決めつけてみれば如何であろうか。

 

 

 私は現代京都に生きる狸であるが、天狗に遠く憧れて、人間を真似るのも大好きである。

 

 

 この厄介な性癖を、今は亡き父はそれを「阿呆の血」と呼んだ。「阿呆の血のしからしむるところだ」とは父の言葉だ。

 

 

 我が父下鴨総一郎は京都狸界の頭領「偽右衛門」として、広く名を知られた狸であり、天狗たちからも一目置かれていた。

 

 

 その偽右衛門下鴨総一郎の第三子として、私は糺ノ森に生を享けた。

 

 

 私は狸界の健康優良問題児として毛深い頭角を現し、矢三郎は無茶な奴だとおおいに顰蹙を買ってきた。

 

 

 しかし阿呆の血をこの身のうちに流す狸として、ほかにどういう生き方があったろう。この道の他に我を生かす道なし。

 

 

 面白きことは良きことなり。五月某日、私という狸があいかわらず面白く生きているところから、この毛深い物語は始まる。

 

 

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