山奥の奇妙なお店『注文の多い料理店』宮沢賢治


「山猫軒へようこそいらっしゃいました。どなたもどうかお入りください。決してご遠慮はありません。当軒は注文の多い料理店ですからどうかそこはご承知ください」

 

いらっしゃいませ。おや、そちらの看板を見て戸惑っている、ということは、お客様はどうやら知っているようで……。

 

ええ、お客様のお察しの通り、当軒は宮沢賢治先生の著作『注文の多い料理店』をオマージュさせていただいたのです。

 

あはは、まあ、そう怯えずに。まさか原作通りに事を進めようだなんて、そんなことを思うはずがないじゃないですか。どうぞ中へ。

 

コーヒーか紅茶をお出しすることができますが、いかがいたしましょう? 紅茶で。ええ、かしこまりました。

 

こちらメニューになります。当店は肉料理がメインとなっておりますので、よろしければ……。ええ、そうですね、そちらも原作を意識しております。

 

いえいえ、私はたしかに店主ではありますが……このお店を建てたのは、私の父です。もう何年か前に亡くなりましたけどね。

 

ええ、宮沢賢治先生が好きだったのは父です。中でも『注文の多い料理店』が大好きで、私は幼い頃からよく聞かされていましたね。おかげで今でも内容を覚えています。

 

イギリス風の身なりをした二人の若い紳士が、山奥で「山猫軒」という奇妙なお店を見つけます。狩りが上手くいかず、連れてきた犬も失ってしまった二人は、空腹を満たすためにそのお店に入ります。

 

すると、そのお店には看板と扉がいくつもあります。お客様がこのお店に入る時に見たようなものが、ね。

 

「当軒は注文の多い料理店ですのでどうかご承知ください」ああ、私、この文言が好きなんですよ。はい、こちらご注文の肉料理になります。どうかお熱いうちにお召し上がりください。

 

ええと、どこまで話しましたっけ。ああ、そうそう、お店に入ったところでしたね。二人は看板の指示通りに、靴の泥を落とし、外套を脱ぎ、金属類を外して、クリームを塗って香水を振りかけました。

 

しかし、「塩を塗り込んでください」と言われたところで、二人はようやく気がつくんですな。そこはお客を料理として食べる料理店なのだと。

 

注文の多い料理店、というのは、一見すれば大人気のお店であるかのようですが、実は、客に対してやたらと注文を出す料理店、ということだったわけです。お客自身に、食べられる準備をしてもらうために。この言葉遊び、面白いと思いません?

 

ええ、私の父はこの作品が大好きでしたよ。料理店を開く、という着想はこの作品から得たそうです。最終的には失敗していましたけど、うまいこと考えるな、と思ったんでしょうね。

 

……うん? ああ、お気になさらず。で、何の話でしたっけね。ああ、ところが、この『注文の多い料理店』は、宮沢賢治先生が書き上げた当時は不評だったようで。あまり売れなかったそうですね。

 

それが今では、国語の教科書に載っているほどの名作として扱われているわけです。宮沢賢治先生としては、あの世で納得いっていないのかもしれませんがね。あははは。

 

私の父は宮沢賢治先生の著作を愛していましたが、正直なところ、私は、実はそこまでではありません。『注文の多い料理店』は好きですけど。

 

先生の作品は、なんていうか、独特なんですよ。歩くようなリズムで、愛嬌があるのに、どこか不気味で、痛烈な皮肉がある。その空気感がなかなか馴染めないんですよね。

 

父が亡くなり、そんな私がこのお店を引き継ぐことになりましたが、正直、道楽のようなものですよ。あははは。いや、何せ私、肉は魚派なので。

 

ああ、お客様。そのお肉、お気に召しましたか? ええ、それはよかったです。以前来られたお客様が、それはもうよく肥えた方でしたからね。

 

 

山猫軒

 

二人の若い紳士が、すっかりイギリスの兵隊のかたちをして、ぴかぴかする鉄砲をかついで、白熊のような犬を二匹つれて、だいぶ山奥の、木の葉のかさかさしたとこを、あるいておりました。

 

それはだいぶの山奥でした。案内してきた専門の鉄砲打ちも、ちょっとまごついて、どこかへ行ってしまったくらいの山奥でした。

 

それに、あんまり山が物凄いので、その白熊のような犬が、二匹いっしょにめまいを起こして、しばらく唸って、それから泡を吐いて死んでしまいました。

 

はじめの紳士は、すこし顔色を悪くして、じっと、もひとりの紳士の、顔つきを見ながら云いました。

 

「ぼくはもう戻ろうとおもう」

 

「さあ、ぼくもちょうど寒くはなったし腹は空いてきたし戻ろうとおもう」

 

ところがどうも困ったことは、どっちへ行けば戻れるのか、いっこう見当がつかなくなっていました。風がどうと吹いてきて、草はざわざわ、木の葉はかさかさ、木はごとんごとんと鳴りました。

 

「どうも腹が空いた。さっきから横っ腹が痛くてたまらないんだ」

 

「ぼくもそうだ。もうあんまりあるきたくないな」

 

「あるきたくないよ。ああ困ったなあ、何かたべたいなあ」

 

「食べたいもんだなあ」

 

二人の紳士は、ざわざわ鳴るすすきの中で、こんなことを云いました。その時ふとうしろを見ますと、立派な一軒の西洋造りの家がありました。

 

そして玄関には「西洋料理店 山猫軒」という札がでていました。

 

 

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