建物に刻まれてきた人々の想い『東京會舘とわたし』辻村深月


大正十一年、皇居のすぐ前に、「民間初の社交場」として東京會舘は開業された。その歴史は今もなお、更新され続けている。

 

開業当初から本格的なフランス料理を提供するフレンチレストランや宴会場、結婚式場などを内包する、当時の技術の結集させた最新鋭の建築であったという。

 

しかし、華々しい開業からわずか一年、関東は未曽有の大災害に襲われる。現代においては「関東大震災」と呼ばれているその災害は、東京會舘にも甚大な被害をもたらした。

 

どうにか復興を遂げた東京會舘だったが、その数奇な運命は終わらない。目をつけたのは、当時権勢を振るっていた大政翼賛会である。

 

東京會舘は彼らが中央本部として使用するようになり、建物の名前も「大東亜会館」に改名された。戦時中は東京會舘の宴会場としての役割は、一時、失われていたという。

 

戦争後はGHQによって接収され、今度は将校クラブとしての役割を持つようになった。牛乳を使った飲み物が人気を博し、マッカーサー元帥をはじめとする外国人にも好まれていた。

 

そしてまた、再び日本人の手に返され、「東京會舘」の名を取り戻すこととなる。ようやく東京會舘は、「民間の社交場」としての役割を取り戻すことができたのだ。

 

エリザベス女王夫妻を迎えた他、多くの文化人たちの間では長く憧れの場所であり続けた。今や社会を動かすほどの人物も、彼の歴史の中のひとつとして刻まれている。

 

そして、2019年。丸の内二十橋ビルに新本館としてリニューアルオープンされた。三代目にあるという。レストランやバー、ショップなどがあり、「バイオレット」と呼ばれるエリアは初代本館の貴賓室を忠実に再現している。

 

私が東京會舘のことを知ったのは、『東京會舘とわたし』を読んだのがきっかけである。辻村深月先生の初の歴史小説で、作中では教科書にも載っているような歴史的事件や人物が現実感を伴って登場している。

 

この作品が書かれたのは、2014年6月から2015年8月の間であった。当時の東京會舘は、建て替えのために二代目本館の営業を休止していた頃のことだろう。

 

それから数年の時を経た2019年。東京會舘の歴史は、新たな一歩を踏み出した。それは、この作品に書かれている歴史よりも先のことである。

 

大正時代から続いている東京會舘の歴史は、今もなお、いや、これからも続いていくだろう。多くの人に愛され、日本の歴史を語る生き証人として今も聳えている。

 

その歴史のひとつとなるか。その選択をするのは自分自身である。東京會舘は今も、多くの憧憬を抱かれながら、訪れる人々を温かく迎え入れてくれている。

 

 

東京會舘の軌跡

 

東京、丸の内。皇居の隣り、ちょうど二重橋の正門の真向かいに”東京會舘”という建物がある。その東京會舘のレストラン、「シェ・ロッシニ」で、その日、白髪の紳士とスーツ姿の若い男が向かい合っていた。

 

平成二十七年一月三十一日。席に面した大きな窓の向こうでは、東京で今年が初めてとなる雪が舞っている。白髪の紳士が、外の様子を静かに眺め、やがて、若い男の方に視線を向けた。

 

「いや、それにしても、驚きました。東京會舘を舞台に小説を執筆したいという申し出は、小椋先生が初めてです」

 

「僕のような者が僭越なことを申し上げて……」

 

「いいえ。とても嬉しいです。どうぞよろしくお願いいたします」

 

東京會舘の創業は、大正十一年。建物の主な役割は、ひと言でいえば宴会場だ。結婚披露宴をはじめ、政財界のパーティーやディナーショーなど、これまでさまざまなイベントが執り行われてきた。百年近い歴史をこの場所で見てきた建物なのだ。

 

「少し調べてみて驚いたのですが、東京會舘の創業は大正十一年なんですね。大正十一年といえば――」

 

「はい。関東大震災の一年前、ということになります」

 

「建物が完成してわずか一年で被災した、ということですか」

 

「それになんといっても、戦争に伴って建物が二度、私たちの手から取り上げられておりますからね」

 

「はい。それも調べてみて驚きました。東京會舘は、太平洋戦争前、大政翼賛会の本部になっていたそうですね」

 

「丸の内の、それも皇居の真向かいという立地から、何かと目を付けられやすかったんでしょうね。戦争が終わってからも、今度は、會舘はGHQのものになりました」

 

大政翼賛会もGHQも、それに戦争も、三十代半ばの小椋にとっては歴史の教科書の中の出来事という印象しかない。この場所とその歴史が繋がっていることが、にわかには信じがたい。

 

「どうですか、お役に立ちますか」

 

「それはもう充分に。逆に、この場所を描くのに僕の筆が追いつくのかということの方が不安ですが」

 

東京會舘を舞台に小説を書く――。この場所を見てきた百年の歴史を描く。自分のような若造が僭越な申し出をしている、という自覚は充分にある。しかし、小椋にもそれだけの覚悟と思いがもちろんあった。

 

 

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