幸せな結婚式の日に起こる、数々の事件『本日は大安なり』辻村深月


 大安。何事においても成功しないことはないと言われる、縁起のいい日。天気は晴天、ああ、今日はなんて結婚式日和なんだろう。

 

 

 今日、雨が降って台無しにならないかしら。そんなことを思うことすら許されないほど、雲一つない晴天だ。いっそ清々しいくらい。

 

 

 天気までが、彼と彼女を祝福している。いや、それとも、天気すらも私を嫌っているのかしら。私は他の人に見られないように、口元を歪ませて自嘲するように笑う。

 

 

 結婚式会場の一番端っこの席。神父さんの声が教会の高い天井に響いて、私のところにまですんなりと届いてくる。

 

 

 彼女たちへの祝福。私にとっては呪い。聞くに堪えなくても、聞かなければならない。

 

 

 白いウェディングドレス。ずっと憧れていた。それを着て、彼の隣りに立つことを。

 

 

 けれど、今、私は目立たない服装をしてひっそりと座り、彼の隣りにいるのは、私の知らない女性だった。

 

 

 彼女は幸せそうにはにかんで、けれどどこか恥ずかしそうにうつむいて、会場からの祝福の言葉に、丁寧に会釈を返している。

 

 

 彼女は、きれいだった。けれど、私の方がきっと、もっときれいに着飾ることができるだろう。彼女なんて目じゃないくらい。

 

 

 私は彼を見た。視線は絡み合わない。彼は新婦の方を向いていた。顔が幸せを噛みしめているかのように微笑んでいる。私は彼のその笑みが、大好きだった。

 

 

 本当なら、彼の隣りに立っているのは、私だったはずなのに。ウェディングベルが響き渡る。

 

 

 本日は大安なり。何をしても成功するという、幸せな日、縁起のいい日。けれど、それは嘘。だって、私はこんなにも不幸なんだもの。

 

 

 いっそのこと、何かしら事件が起こって、この結婚式が台無しになったら。そんなことすら思う。ふと、思い出したのは、一冊の小説だった。

 

 

 辻村深月先生の、『本日は大安なり』。結婚式の会場であるホテルを舞台に、大安の一日に挙げられた四つの結婚式を何人かの登場人物の視点で眺める作品だった。

 

 

 それらの結婚式には、いずれも何かしらの事情がある。人生で大事な日だというのに。いや、大事な日だからこそ。

 

 

 見た目がそっくりな双子の美人姉妹。新郎と知らない女性との密談を聞いてしまった新婦の甥っ子。クレーマー夫婦の式を汗水垂らしながら企画するウェディングプランナー。

 

 

 そして、自分の結婚式を中止にしてしまいたいと願う男。彼は結婚式を中止にするために、他の人たちの結婚式もろとも、火事を起こして中止にしようと企むのだ。

 

 

 私は思い出す。そういえば、初めて読んだ時、その男のあまりに身勝手な行動に、随分と胸がむかついたんだっけ。

 

 

 結婚式は、もしかしたら人生の中でも、もっとも記憶に残るかもしれないくらい、幸せな瞬間。

 

 

 それぞれに、どんな事情があろうが、誰が何と言おうとも、その日の新郎新婦はその瞬間、世界でもっとも幸せな二人になるのだ。

 

 

 それを、ひとりの勝手な思惑なんかで、台無しになんてしてはいけない。ウェディングドレスを纏った女にとって、その日はそんなに軽いものではないのだから。

 

 

 私は、不意にとても恥ずかしくなった。こんな結婚式なんて台無しになってしまえばいい。そんなことを思っていた自分自身に。

 

 

 これでは、あの作品の、憤りを覚えたキャラクターにそっくりではないか。結婚式の大切さを考えていたあの時の私はどこに行ったのか。

 

 

 ふう、と息を吐く。そう、そうだ、彼は結婚する。私以外の女と。そのことを、まず受け入れよう。

 

 

 教会がぼやけて見える。私の目に溜まった涙のせい。涙を通して見る花嫁の姿は、さっきまでよりもきれいに見えた。今なら言える気がする、おめでとう、と。彼の、ひとりの友人として。

 

 

結婚式の日に

 

 結婚式が行われる朝は、チャペルの支度が調ったところで、ウェディングベルを一度鳴らす。ホテル・アールマティウェディングサロンの決まり事だ。

 

 

 願掛けか景気づけのようなもの、と先輩スタッフから聞いたことがある。チャペルの扉を眺めながら、私は下の段までを掃き終え、箒とちりとりを手に、短いため息を落とす。

 

 

――とうとう、今日を迎えることができた。

 

 

 「ウェディングプランナーの人が自分で挙げる式って、すごそう」と、よく言われる。

 

 

 ウェディングプランナーとは、式や披露宴の段取りを提案し、打ち合わせを重ねながら当日までのお手伝いをする職業だ。

 

 

 私、山井多香子はホテル・アールマティのサロンに勤務して五年が経つ。三十二歳。

 

 

 チャペルに入り、ベルを鳴らす紐に先輩と二人して手をかける。カランカラン、という気持ちのよい音が頭上で空を滑るように響き渡った。

 

 

 結婚式の、一日が始まる。私は陽光を弾きながら揺れるベルを仰ぎ見て、眩しさに目を細めながら祈る。

 

 

 どうか、今日が無事に終わりますように。音の余韻に浸っていると、先輩の携帯電話が震えた。

 

 

 彼女が携帯を耳に当てるのと同時に、私も自分の形態を取り出す。見た瞬間、嫌な予感がした。

 

 

 「ええっ?」と先輩が大袈裟な声を上げて、私を見る。

 

 

「予約が、取れてない?」

 

 

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