少女たちが抱えたヒミツ『蛇行する川のほとり』恩田陸


幼い頃、私は小さなピンク色の箱を持っていた。着せ替え人形や、おはじきや、かわいいキャラクターのキーホルダー、そんな大切な宝物をいっぱい詰め込んで。

 

それは、今にして思えばとても陳腐なものだったけれど、当時の私にとっては誰にも言わない、自分だけのヒミツだった。誰にも見つからないよう、自分の部屋の棚の奥に隠して、見えないように。

 

ある時のことだ。私が学校から帰った時、私の部屋の机の上に、そのピンクの宝箱が置かれていた。蓋は開かれていた。

 

きっと、ママが棚を掃除するために移動させたまま元の場所に戻すのを忘れてしまったのだろうけれど、それを見た瞬間の私は、カッと顔が熱くなったのを覚えている。

 

蓋が開いたヒミツの宝箱。私の目には、もはやそれは大切なものではなくなっていた。どうしてこんなものを大事にしていたんだろうと首を傾げるくらいに、くだらない、取るに足らないものになり果てた。

 

今はもう、あの箱はどこに行ってしまったか、わからなくなってしまった。捨てたのかもしれないし、部屋のどこかで眠っているのかもしれない。でも、もう全部どうでもいいこと。

 

私にとって大切だったのは、きっと箱や、その中に入っているものではなかった。誰にも知られていない、ヒミツそのもの。だから、それがヒミツじゃなくなった瞬間、その価値はなくなってしまった。

 

女はヒミツがあってこそ美しくなるという。だから、『蛇行する川のほとり』という小説は、あんなにも美しく感じたのだろう。読んでいた私は毬子と同じように香澄に心惹かれた。

 

毬子は憧れの先輩で同じ美術部の香澄と芳野に誘われて、演劇で使う大きな絵を仕上げる合宿に参加することになる。場所は香澄の家。後に香澄のいとこだという月彦とその友人、暁臣も加わり、ともに過ごすことになった。

 

しかし、彼女たちはどうやら、大きなヒミツを抱えているようだった。そして、毬子自身も。見え隠れする真実の恐ろしさに、憧れの先輩だった彼女たちが、何か別の、恐ろしいものであるかのように映るのだ。

 

ヒミツは恐ろしく、そして美しい。私はその本に描かれる、少女時代の儚さに魅了された。あっという間に過ぎていく、短い時間。それは触れてはならないかのような、繊細な硝子細工にも似た美しさを湛えている。

 

私はいわゆる探偵小説というものが好きではない。ミステリもまた、同じ。探偵がもったいぶったように事件の真相を語るのなんて、どこか安っぽい演劇であるかのようだ。

 

どうして、彼らは謎を暴きたがるのだろう。謎を謎のままにしておくことは、そんなにも悪いことなのだろうか。犯人が誰かわかったところで、死んだ人はもう帰ってこないのに。

 

私たちは知っている。ヒミツというものが、どれほど大切な価値を持つのかを。その領域に土足で足を踏み入れることが、どれほど人の心を引き裂くのかを。

 

それはまるで、私が幼い頃、大切にしていた宝箱のように。ヒミツの持つ美しさは、それが暴かれた瞬間、とても陳腐で色褪せたものへと変貌してしまう。

 

謎は明らかにならず、ヒミツを明かさないまま終わる。そんなミステリがあってもいいじゃないか、と、私は思う。どんなに美しく見えたものも、無造作にベールを剥いでしまえば、その下に現れるのはいつだって醜悪だ。

 

 

船着き場の家

 

彼女がこの夏の九日間を一緒に過ごそうと提案した時、私は新しく買った日記帳の名前を考えていた。あの頃流行っていた、鍵付きの小さな日記帳。

 

その気になればほんの一撃で壊してしまえる代物なのに。少女たちはあの小さく脆弱な鍵に、自分の秘密を託していた。そして、私も、あの日を境にそんな少女たちの仲間入りを果たすはずだった。

 

彼女が学校の階段の踊り場で私に話しかけた時、彼女は私から逆光になる位置に立っていた。彼女の長い髪と肩の輪郭が、踊り場の高い窓から差し込む光にきらきらと輝いていたのを覚えている。

 

「ねえ、毬子ちゃん、ちょっといいかな?」

 

と、あの凪みたいな声で、私に話しかけたのだ。その瞬間、私は奇妙な感慨に囚われたことを覚えている。階段を登って彼女のところまで行くことが、何か特別なことに思えたし、彼女の顔が見えなかったことが、あとから振り返ると不思議な予兆にすら思えた。

 

ほんの少し遅れて、私に話しかけたのが彼女だと気付いた瞬間、たちまち全身がカッと熱くなったことを思い出す。もちろん。それまでも、すれ違えば微笑み、小さな会釈を交わしてはいたけれど、彼女が美術室以外で私の名を呼び、話しかけてくれたのはその日が初めてだったのである。

 

「あたしたち、絵を仕上げなくちゃいけないわ。うちに来ない? あなたと、芳野と、二人の部屋を用意しておくわ。一緒に絵を描きましょうよ。あたしたちだけの合宿よ。両親は避暑に行っちゃうの。だから平気」

 

あたしたち、絵を仕上げなくちゃいけないわ。彼女はもう一度繰り返した。

 

私は彼女の言葉の意味を考えてみるべきだった。なぜあの時、彼女があの台詞を二度繰り返したのか、もし私に理解できていたのならば、あの九日間は別のものになっていたかもしれないのだ。

 

 

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