「なあなあ、これって絶対UFOだよ、なあ!」
興奮したように鼻息をふんふん鳴らしながら、駆け込んできた友人の瞳は爛々と輝いている。
彼が半ば無理やり見せてきたのは、先日みんなで遊びに行ったときに撮った写真だった。
夜に撮影した写真である。
私と彼を含めた数人がこちらに向かってにこやかにピースサインを見せており、背景には天を突くようなタワーが映りこんでいる。
「これがどうかした?」
「わからないか? これだよ、これ!」
彼が指差したのは、東京タワーのそばにぽつんと浮かんでいる光点だった。灯りをともすビル群よりも不自然に高いところにある。
「これ、絶対UFOだよ!」
すげえすげえと騒ぎ立てる彼を、私は呆れたように見た。
「UFOじゃあないよ」
私が言うと、彼は興奮に水を差されたように押し黙った。むきになったかのように反論してくる。
「いや、だってよ、これ、ビルの明りにしては高いし、東京タワーの頂上のほぼ隣だぜ」
「星だよ、星。それか、何かに光が反射したかだね。UFOなんて現実にあるわけないじゃん」
私が言うと、彼はそっかぁと呟いて肩を落とした。彼のロマンに水を差したのが少し申し訳なく思う。
「なあ、もしも宇宙人が本当にいたらさ、どうする?」
「宇宙人、ね」
テレビでもしばしばUFOだとか宇宙人だとかの映像が流れている。私はあまり信用していないが、もしも現実に存在しているならば。
「怖い、かな」
「怖い?」
問いかけてくる彼に、私は頷いた。
「だって、宇宙人は私たちよりも頭が良くて、優れた技術を持っているんでしょ」
しかも、人間に友好的かどうかもわからない。UFOが存在しているならば、それは人間の科学技術を遥かに超越しているらしい。
「そんな存在がいるってなると、怖いじゃん」
言いながら、私は有川浩先生の『空の中』という作品を思い出す。
上空で気が遠くなるほど長く生き、人間よりも優れた知能とあらゆる波長を操る能力を持っており、巨大な身体を持つ『白鯨』と呼ばれる生物が登場している。
彼の登場に人間たちは大いにパニックを起こした。彼が何もしていないにもかかわらず。
温厚な『白鯨』を排除しようとする身勝手な人間たちには読みながら腹を立てたものだけど、彼らの気持ちもわかるのだ。
だって、私も人間だもの。
人間の常識を超えた存在
クジラ知的生物論というものがある。
クジラは人間よりも遥かに巨大な容量の脳を備えており、知的な生物であるという考え方である。
そんな中で持ち上がったのが捕鯨問題だ。知的生物であるクジラを生物学、生態学、文化政治の観点から特別な生物として捕鯨の禁止を巡る問題である。
人間は知能の優劣で生物の程度を測る傾向を持ち合わせている。同じ人間の中ですら、そうなのだ。
動物の扱いに至っては、明確に彼らを自分たちよりも下等の存在としている。管理・飼育・保護などの考えは自分たちが上じゃあないと出てこないだろう。
しかし、もしも知能がそのまま優劣の差に直結しているのならば、自分たちよりも高度な存在には、どのように対応するのだろう。
人間は宇宙人の存在や未確認生物、未来人などの存在を夢想する。それらの存在は遥か昔からまことしやかにささやかれている噂である。
しかし、それは根底に「そんな生物なんて存在するはずがない」という自信が垣間見えるように思えるのは、私だけだろうか。
もしも、本当に自分たちよりも高度な知的生命体が存在していたとするならば、人間はどういった反応を示すだろう。
『空の中』はまさしくその反応を如実に表しているのではないだろうか。まずパニックに陥り、そして排除しようとする。
人間は自分たちこそが地球に存在する知的種族であるという傲慢とも呼べる自負があり、自分たちの知識の常識外にいる存在を否定する傾向がある。
『空の中』における『白鯨』は温和な気性の生物だった。彼は他の種族に対しては関心が薄く、彼に対する全てのアクションは人間側から行われている。
しかし、もしも『白鯨』のような高度な存在が、人間のように傲慢な気性を持っていたとするならば、果たしてどうなるか。
私たちの動物に対する扱いが、そのまま自分たちに返ってくるのではなかろうか。個人ではなく種として扱われて、管理され、保護を謳われ、飼育される。
だからこそ、私は宇宙人が怖い。彼らが人間と同じようであるならば、彼らとの対話なんて望めるはずもないからだ。
だって、私たちは動物と対話しようと思うだろうか。そこにはきっと、言葉の壁だけでない、もっと根本的な壁がある。
ふと見ると、彼が窓の外を見て唖然と口を開けていた。目が驚愕に見開かれている。私はその視線につられて窓の外に視線を移す。
無数の円盤状の物体が、青空を埋め尽くしている。その光景はまさに圧巻だった。
危惧していた未来は、実はそう遠くないのかもしれない。
上空に住んでいた不思議な生物との邂逅に日本中が揺れるスペクタクルSF
二〇〇×念、二月一二日。晴天となったその日の午後、航空自衛隊岐阜基地をイーグルの二機編隊が飛び立った。
そのうちの一機を操縦していたのが、武田光稀三尉である。
そのフライトは演習というより飛行実験の色合いが濃く、演習空域として設定された四国沖で高度一万メートルから二万メートルへの急上昇を実行することになっていた。
光稀の先行していたのは編隊長の斉木敏郎三佐だった。年齢がそうさせるのか、彼は何事にも動じることなく、口調は常にどっしりとしている。
二機は四国沖の訓練空域に向かった。そう言えば、同じ空域で先日事故があった。そんなことが頭をかすめたのも一瞬のうちだ。
正面のレーダー画面が、一瞬全体を瞬かせた。光稀はとっさに操縦桿を捻った。何か根拠があったわけではない。勘――むしろ反射だ。
錐揉みに入った機体を立て直した時、頭上で爆発音が響いた。尾を引いて落ちてくる火の粉を先触れに燃え盛る機体が一文の価値もないスクラップと化して落下する。
三月下旬――年頭から世間を賑わせた四国沖の二度の航空機事故の原因は、未だ解明されていなかった。
最初の航空機事故となった機体の製造元である特殊法人日本航空機設計から事故調査委員として春名高已が岐阜基地へ派遣されたのはその頃である。
彼は事故を間近で目撃した武田光稀に聞いてみるが、すげない返答を返されてしまった。
光稀は証言を疑われ、精神失調を疑われた挙句に航空徽章を取り上げられそうになった。そのことが光稀の態度を頑なにしていた。
それでも春名は通い続け、ようやく真相を教えてもらえることになった。現場を確認するため、春名は光稀とともにイーグルに乗り込む。
事故現場の上空で当時の再現を試みる。レーダー画面の全体が一瞬光った。同時に機体が背面に入り、反転しながら水平飛行に戻る。
そろそろ二万メートルに達しただろう。高高度では、わずかに高度を上げるにもズーム上昇が必要になるはずだが、光稀は通常上昇で軽々と高度を上げた。
気圧計は地上とほとんど変わらない気圧を示している。生存すら困難なはずの二万メートルが一気圧とは、物理法則がひっくり返るような異常事態である。
光稀がさっきの上昇ポイントに近づく。何もない空間に向かってバルカンを放った。
高已は驚愕よりも唖然とした。何もない空の中に――ペイントの蛍光塗料が着弾したのだ。
巨大な何かが空に擬態している。と、無線の中に突然ノイズが入り始めた。救難信号の割り込みで入ってきた音声は何者かからのコンタクトだった。
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