老人は、その一冊の本を殊更厳かに開いた。彼は知っていたからだ。その物語こそが、彼の敬愛するアーサー王の最後の一冊なのだと。
アーサー王はカムランの戦いで受けた傷が原因となって最期を迎えた。その戦いと、至るまでの経緯を描いたのが『アーサー王最後の戦い』である。
その物語の鍵を握っているのは、新しく円卓に加わったモルドレッドという騎士だった。
彼はアーサー王が若い頃に姉と罪を犯したことで生まれた、アーサー王の実の息子である。
彼は父であるアーサー王のことを憎悪していて、反逆の糸口を探していた。そんな彼が目をつけたのは、ランスロットと王妃グウィネヴィアの不義の恋だった。
彼はその証拠を押さえ、アーサー王に報告する。それまで二人の関係を見て見ぬふりをしてきた王も、公に報告されてはもう、見逃すことはできなかった。
こうしてアーサー王とランスロットは決別する。アーサー王はモルドレッドに統治を任せ、ランスロットの討伐に赴く。
しかし、その間にモルドレッドが王位を奪ったのだ。怒りに燃えたアーサー王は、モルドレッドと戦い始める。
その最後の戦いこそが、「カムランの戦い」というわけだ。輝かしい円卓の時代は崩壊し、暗黒の時代が訪れる。
しかし、老人が何よりも怖ろしいと思うのは、王国の哀しい結末ではなく、それらの出来事が全て定められた運命であったことだ。
カムランの戦い。そして、モルドレッドの反乱。その結末は全て、アーサー王が若い頃に世話になっていた予言者マーリンが予言したものだった。
それだけではない。マーリンは、パーシヴァルの加入を機に聖杯への冒険が始まることや、グウィネヴィアが結果的に円卓を崩壊させることすらも予言しているのだ。
この物語は、最初から最後まで、運命という一本の筋書きの上に完結している。それを辿っているにすぎないのだ。
それを思えば、老人は運命という途方もないものへと、思索に耽るしかないのであった。
輝かしい円卓の騎士の始まりから始まったアーサー王の伝説は、聖杯の冒険を最後に衰えて、結末に至るまでは時代の終わりを感じさせる陰鬱さが蔓延している。
その原因はやはり、アーサー王の息子、モルドレッドにあるのだろう。まるで読んでいるだけの老人自身にも、その当時の宮廷の緊張感が伝わるようであった。
ランスロットが裏切の騎士と呼ばれるのは、彼が王妃を救うために、主君であるアーサー王と対立することになったからだ。
しかし、ランスロットは最期まで、高潔な騎士の精神を失ってはいなかった。対立してもなお、彼はアーサー王を主君として仕えていた。
円卓の騎士たちには誓いがある。弱いものを助け、正義を全うする、と。それは、円卓が結成された当時から存在する円卓のルールだ。
ランスロットは裏切りの汚名を着てもなお、円卓最高の騎士として君臨し続けたのだ。老人はそう信じていた。
主君の妻であるグウィネヴィアとの恋は、なるほど、正しくないかもしれない。しかし、一方で、ただひとりの女性のために力を尽くす彼は騎士である以前に男として魅力的だった。
カムランの戦いは終わったが、円卓の騎士の多くは倒れ、アーサー王もまた倒れた。偉大な王だったアーサー王と円卓は、こうして失われていく。
彼らの栄華と衰退は、彼らが生まれるよりもずっと前に運命によって定められていた。悲劇はどこから始まったのだろうか。
妖姫モルガンがアーサー王の傷を癒す魔法の鞘を奪ったことか。あるいは、悲劇を招くグウィネヴィアを娶ったことか。
しかし、悲劇でありながらも、彼らの物語がブリテンの歴史に光として今もなお、輝いていることだけはたしかである。
運命、運命か。老人は口の中で呟く。では、俺の運命はどこにあるのだろう。こうして部屋の中で朽ち果てるのが、俺の運命か。
いや、俺がこうして騎士道物語と出会ったならば、俺の胸に冒険への渇望が湧いているのもまた、ひとつの運命だろう。
書を読めば騎士になれるか。否。では、馬に跨り、鎧を着れば騎士になれるか。否。腕っぷしが強ければ騎士か。否。騎士とは生き様だ。騎士道こそが騎士を騎士たらしめるのだ。
運命は待つものではない。いずれは俺のもとにも運命が来るのだろう。それもまた、俺のひとつの運命かもしれない。しかし、また別の運命もあるはずだ。
老人は部屋の隅からかび臭い鎧を引っ張り出した。それを身に纏い、古びた槍を手に持つ。老人は意気揚々と外に出た。
痩せた馬を見て、思わずにっと笑う。どれほどかっこ悪くてもいい。人に馬鹿にされてもいい。
ランスロットのように、騎士道を貫く。我が名はドン・キホーテ・デ・ラ・マンチャ。俺の冒険は、これから始まるのだ。
アーサー王の最期
聖杯の冒険とともに、アーサー王のブリテン島には、華やかな季節が訪れたが、今は、それもすっかり過去のものになってしまった。
騎士たちはまた円卓の周りの昔の席に着いた。しかし帰ってこなかった者も多かった。そしてそのような空席を満たすために、新しい世代の若い騎士たちがやってきた。
こうした新しい騎士たちに混じってモルドレッドの姿があった。モルドレッドは、アーサー自身の息子であった。
そして、今までずっと機を窺っていたかのように、モルドレッドとともに、にわかに闇そのものが忍び寄ってくるように感じられた。
宮廷に来て七日と経たないうちに、モルドレッドの目は、グウィネヴィアがランスロットと愛し合っていること、そしてアーサー自身は二人の関係に、頑ななまでに目を閉じようとしている様を見てとった。
グウィネヴィアは、アーサーの防御の上の最大の弱点だった。ランスロットとグウィネヴィアの二人を利用すれば、アーサーが背負っている全てを破滅に導くことができるだろう。
モルドレッドはブリテン大王である父を憎んでいた。そして父の王冠に羨望の眼差しを注いていた。
大勢の深山の騎士たちの間で、穏やかならぬ囁きが交わされるようになっていた。ランスロットとグウィネヴィア妃は互いに愛し合っていて、アーサー王を裏切っている、などと。
宮廷の空気を感じ取ったランスロットは、鎧を身につけ、馬をもてと叫ぶと、宮廷を立ち去っていった。
ランスロットが立ち去ってしばらくすると、グウィネヴィアは自分の私室で、非公式の夕食会を開く準備を始めた。
さて、ガウェインは子どもの頃から果物、特にりんごが大好物であった。これは誰もが知っている有名な話だったので、ガウェインを食事に招いたら果物を盛り付けておくというのが例になっていた。
晩餐が始まった。グウィネヴィアお抱えの竪琴弾きが音楽を奏で、招かれた騎士たちは賑やかに食事を始めた。
その時、ガウェインとパトリスがともにりんごに手を伸ばした。ガウェインは、礼儀上、パトリスに先にとらせようと手を引っ込めた。
誰かが注目していたなら、ガウェインを憎んでいるピネルが咄嗟にそれをとどめようとする仕草をしかけるのが見えただろう。また、モルドレッドの眉間に不快そうな皴が寄るのが見えただろう。
パトリスはりんごを芯まで食べ尽くし、残りを火の中に投げ入れた。そして、その同じ瞬間に、パトリスは激しくむせび始めた。
しかし、すぐに仰向けに倒れてしまった。すぐ近くにいた者たちがさっと立ち上がって、助けようとする。しかしすでに何の為す術もなかった。
「毒だ」
モルドレッドは立ち上がりながら、声に嫌悪をみなぎらせながら叫んだ。そして王妃を、まじまじと見つめるのだった。
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