爽快な気持ちになれる奇妙な中華料理店『薬菜飯店』筒井康隆


健康になりたいと、多くの人は言う。健康法なんてものはもう、飽きるほどに生まれては消えているが、何よりも忘れてはならない。我々は口から食したもので出来ている。ゆえに、健康を左右するのはまず何よりも「食」なのだ。

 

さて、ここに一冊の小説がある。筒井康隆先生の『薬菜飯店』である。この本を読んで「おいしそう」だと感じたならば、あなたはきっと、身体のどこかが悪いのかもしれない。

 

ある一人の男が、路地にある中華料理店を見つけ、入ってみることにした。メニューを見たところ、薬膳料理のようなものを出してくれるところらしい。どの部位に効くか、その効能が書かれている。

 

おや、ハハン、なるほど。これは一種のグルメ小説というやつであるな。そうとも呼べるかもしれない。だが、そんな軽い気持ちで読み始めると、食欲はむしろ奪われることになるだろう。

 

忘れてはならない。この作品を書いたのは、かのSF作家、筒井康隆先生であるぞ。

 

料理の描写は実においしそうだ。思わずごくりと喉が鳴る。が、次の瞬間にはヒュっとなる。料理を食べた男が、はて、どうなったか。

 

我々の身体が常日頃から行っている汗、鼻水、涙、嘔吐といった行為、またはばかりながら言うところの「排泄」という行為の本質とは何か。それを、この作品は思い出させてくれる。

 

食品にたっぷり振りかけられている添加物。保存料。甘味料。肺臓を侵す毒煙。我々の身体は、毎日のように健康を害する毒物によって満たされている。

 

「排泄」は、そういった毒素を身体の外に追い出す行為なのだ。我々は汗を流すことを疎み、鼻水鼻血を押し止め、涙を流すことを恥ずかしがり、嘔吐を嫌悪する。

 

しかし、そういった忌むべきことを繰り返すことで、我々の身体は毒が排出され、健康になれるのだ。健康だ健康だと叫ぶ前に、まずはそこから始めなければならない。

 

「薬菜飯店」の料理を食べると、身体中の毒を上からも下からもきれいさっぱりなくなるまで排泄することになる。その有様は凄まじい。できれば他の客がいない時に訪れたいものだ。

 

鼻水は止まらない。丼一杯ほどの鼻血が出てくる。汗で服はびしょびしょ。口からも鼻からも黒い塊が吹き出てきて、呼吸すらも危なくなる。

 

そんな姿になるが、それさえ耐え抜けば、身体中の毒素が抜け落ちた、すっきり健康体の自分と対面できるだろう。今までの身体の不調が、何もかもきれいに消えるという経験をすること間違いなし。

 

身体は自分に必要なものがわかっている。だから、身体の悪いところに効く料理ほど美味いものはない。この作中の男もまた、それを身を以て体感している。

 

読んでいて恐ろしさを感じるのは事実だ。料理を食べるたびに排泄で苦しむ彼のようにはなりたくはない。だが一方で、「食べてみたい」という怖いもの見たさにも似た感情を覚えている自分がいるのも事実である。

 

健康になりたい。最近、身体がどうにも調子が悪い。デトックスしたい。そんな願望も、この店に来ればすぐに解決。

 

ただし、食べるからにはある種の覚悟を決めておいた方がいいかもしれない。食べて健康になることは請け合いだが、やはり健康になるのは楽ではないのだ。

 

「薬菜飯店」、ぜひ一度お越しあれ。しかし、ご注意を。行く時には、服の替えを二、三着とティッシュペーパー、バケツを持参した方がいいかもしれない。

 

 

究極の健康食

 

ある日おれは散髪に行った帰途、下山手通りから国鉄三ノ宮駅に出る路地を抜けようとした。「薬菜飯店」を見つけたのは、近道をしようとして南北に通じる路地へ入った時である。

 

戸の片側のわずかな壁を利用してショウ・ウィンドウがあり、その中には手書きのメニューが一枚貼られているだけである。

 

ぐび、と、おれの喉が鳴った。今流行の、いわゆる漢方料理とか薬膳とかいったもののようだが、長ったらしい料理の名前がまことに刺激的であった上、その効能が現在のおれのからだの具合が悪いところすべてに関係していたからである。

 

「食べていこう」と、おれはつぶやき、各色の色ガラスを嵌め込んだ賑やかなガラス戸を開けた。「食べよう、食べよう」

 

「いらっしゃあい」黄色い声が上がり、隅のテーブルでマンガ週刊誌を読んでいた赤い中国服の娘が立ち上がった。おれは中ほどのテーブルに向かって腰をおろし、さっそく大きな二つ折りのメニューを拡げた。

 

ごく、と、おれの喉が鳴った。メニューを見ただけではどのような料理なのかよくわからず、やはり解説してもらわねばならないのであろうが、単に字面を見ただけでその旨さを想像させるものがあり、味覚を刺激した。

 

「あのう」おれは顔をあげて中国服の娘に言った。「料理の説明をしてほしいんだけどね」娘はにっこり笑ってうなずき、奥へ向かって叫んだ。「お客さんよ」

 

調理上の戸をあけてあらわれた主人というのは血色のいい、よく肥った初老の人物で、満面に笑みを浮かべ、お定まりの泥鰌髭を生やしていた。「あなたよく来たな」

 

 

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