わははは! 平和万歳! 平和万歳! 親爺が高らかにグラスを掲げ、笑い声を響かせた。親族一同踊り狂い、踊っていないのは私と、まだ何も知らない乳飲み子の弟だけであった。
戦争は終わった。憲法によって平和主義が示され、日本はもう軍隊を持つことはない。徴兵されることもないし、防衛はアメリカが結ばれた条約のもとに担ってくれている。
「もし戦争になってもアメリカ様が守ってくれるから安心だねェ」
しかも日本人は直接戦わないから危険な目に遭うこともない。こんなにイイコトはないよねぇ。ほんとほんと、アメリカ様万歳、アメリカ様万歳。
みんなが口々にそう言っている中で、私は内心の疑問を拭い去ることができないでいた。首を傾げるものの、それをみんなの前で口に出すこともできず、みんなと一緒に笑おうとして顔を歪めた奇妙な表情になってしまった。
日本は平和主義を掲げているわけだけれど、他の国はそうじゃない。今も停戦しているだけで戦争しているところなんてたくさんあるし、一触即発の雰囲気になっているところも珍しくはない。
たしかに、アメリカと日本はそういう約束をしている。けれど、約束なんて時として簡単に破られるものだ。個人とのものですらそうなのだから、かつてのソビエトみたいにいつ反故にされてもおかしくないんじゃないか。
もしも。もしも、アメリカが日本を見限ったら。私たちはその瞬間、武器も何も持っていない状態で放り出されることになる。この世界において、軍を持たないとは、そういうことだ。
筒井康隆先生の『歌と饒舌の戦記』という小説を思い出す。先生らしいドタバタの群像劇で、読んでいた当時はパロディやブラックユーモアや社会風刺に、大いに笑わせてもらったよ。あはははは。
でも、改めて考えてみると、それは決して笑いごとではないのではないだろうか、と感じ始めた。もうソビエトはなくなったけれど、その作品はまったくのフィクションとも断ずることはできないのかもしれない。
アメリカとソ連が密約を交わして、ソ連が北海道に攻め込んでくる、というストーリー。もちろん、アメリカは助けてくれない。
日本を守るべく彼らに立ち向かうのは、ミリオタグループや網走刑務所の受刑者たち。右翼団体やテレビ局の人気女性タレントまで入り交じって、北海道を占領したソ連軍にゲリラ戦で対抗していく。
物語では戦争を一種のエンタメみたいにして、コメディとしておもしろおかしく描いているけれど、現実に起こったとすると、それはもう悲惨だろう。
作中で筒井康隆先生本人が嫌がっているにもかかわらず無理やり戦争している場所に連れ出される場面があるけれど、いつそれが自分自身にすり替わっても何らおかしくはないのだ。
長きにわたる物語の結末は、思わず考えさせられるものだった。あらゆる武器がなくなる。それは本当の意味での平和な世界の到来だろう。筒井先生の願いだろうか。
けれどそれは、物語の中ですら、魔法みたいなものでしか実現できないような虚構なのだ。その事実が、どことなく哀しい。世界中の人たちが平和を望んでも、今さら武器を持たないなんてことが、私たちはできなくなってしまった。
「おいおい、何を辛気臭い顔してんだよ。ホラ、お前も叫びな。平和万歳! 平和万歳!」親爺が肩を組んでくる。ま、それもそうだな。所詮はフィクション。この物語も、私の思考も、全部ただの虚構さ。だからそう睨むなよ。さあ叫ぼう、平和万歳! 平和万歳!
ドタバタ戦争活劇
第六キャンプを出発したのは午前五時十五分だった。日本を発ち、インドを経てカトマンズに入り、ルクラ飛行場に降り立ったのが九月二日であり、その日は十一月二日、ちょうど二か月が経っていた。
三十四人の隊員のサポートによって、エヴェレスト主峰八八四八メートルへあと約四〇〇メートルにまで迫った登頂アタック隊員は夷、杉浦の二名とシェルパ一名だった。
ナイフ・リッジの稜線が最後の行程だった。三人とも極度に疲れていた。頭上に雪庇が張り出していて上は見えず、三人はアイゼンをきかせながら横へ横へと移動した。
八時三十二分、ついに夷はエヴェレスト頂上に立った。彼は振り返って杉浦に叫ぶ。「やったぜ」
着ぶくれたふたりがようやく並んで立てるほどの頂上だった。しかし頂きへどちらかの足をかければよいという体勢のままで杉浦は登れなくなってしまった。
ふたりがやってきたのとは反対の北稜側から、突然奇声をあげて頂上へおどりあがったのは金ぴかのタキシードを着たマイク片手の森下義和、他の二人のコメディアンとナンバー・ワンの人気を争っているテレビ・タレントだった・
「はあい到着。おめでとうございます。イエイ。ようこそエヴェレスト頂上へ。GRTテレビ『突然おじゃま虫』です」
「ハーイみどりでーす」日野みどりがマイクを持って首を出した。「まあ、すっごく寒いの。それでですね、今隊員の夷さんと杉浦さんが、めでたく登頂にご成功でーす。おめでとうございまあす」
「貴様ら。何事だ」怒りに震えてものも言えない夷にかわり、頂上へ上半身を見せたままの杉浦がわめき散らした。「おれたちが二か月かかって登頂した苦労を、よくもお前らコケにしやがったな」
「あのですね、ディレクターの遠藤と申しますが」カメラマンの横に首を出した男が言った。「そろそろ、やらせをやらしてください。頂上で森下さんとみどりちゃんと抱き合って喜んでほしいんですがね。ファンであった、ということにして」
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