その本をひっくり返すと、まず文字がばらばらと散らばる。鋏や、下敷きや、消しゴムなどの文房具が零れ落ち、そして獰猛な鼬が何匹も、するりと逃げ出していくのである。
私は作者が長きにわたる宇宙の放浪の末にその物語を書いたと言われたとしても、なるほどありえるかもしれぬと頷くだろう。
それほどまでに、この『虚航船団』という物語は常軌を逸していた。もっとも簡潔に言い表すならば、「文房具と鼬の戦いを描く物語」だが、それすらも首を傾げるほどの混沌であろう。
宇宙船団の中に、文房具ばかりが搭乗している文房具船なるものがある。果てのない宇宙の旅路の中で、乗組員たちはことごとく気が狂っていた。
しかし、本部から届けられたあるひとつの指令が彼らを死地へと導いていく。それは終わりのない宇宙の旅よりも先が見えず、危険に満ちた場所である。
その指令とは、クォールという星に住む、鼬の種族の殲滅。その星にいるすべての鼬を駆逐せよという、到底不可能だと思われる指令であった。
とはいえ、本部からの指令に対して、彼らに拒否権はない。各人、否、各文房具の思惑を載せて、彼らは目的地となる星へと辿り着いた。
さて、鼬族とは何か。彼らの文明の発展を辿る歴史はどことなく現代の人間を彷彿とさせる。が、その歴史は人間のそれ以上に凄惨で、残酷である。
予言があった。スリカタ姉妹という占い師の予言である。天から殺戮者が現れる、と。そして、それは現実となった。
文房具たちと鼬の熾烈な争いが始まる。長い時が流れ、文房具たちの狂気はより深く、あるいは正気に戻りながらも、彼らにはすでに退路などないのだ。
この辺りから物語は次第に混迷を増していく。終わりの頃にもなると、文房具も鼬もなく、作者自身が入り混じり、その混沌はさらに拡充していった。
その頃には、すっかりと毒された私の脳髄も、その混沌に順応できないながらも身を沈めている。私の脳もまた、文房具と鼬に侵されつつあった。
かように奇々怪々な物語であるが、私はむしろ、その不可思議さ、そこかしこに横溢する不気味さこそが、何よりも魅力的に感じていた。
筒井康隆先生といえば『時をかける少女』のような青春SF小説から、純文学、本格的なものにまで手をかけているSF作家の巨匠として知られている。
一方で、およそ常人の発想ではない実験的な作品なども、先生の作品の中には多く見られていた。
この『虚航船団』は、その極致のように思えた。だからこそ、この物語にたまらなく心惹かれる者もあれば、一方で「何であろうこれは」と首を傾げざるを得ない者もいるだろう。
しかし、その誰にでも無為に受け入れられるわけでもない読者の姿こそ、昨今の読書界隈にてなかなか見られなくなった価値のあるものではないかと思うのだ。
喧々囂々たる議論を否が応にでも巻き起こす台風の目。その悠然とした姿にこそ、私は本当の文学というものの形を見たような気がする。
願わくば、私もまた、その嵐の中に巻き込まれ、風に身体を預けたまま、右に左へと振り回されていくただ一介の読者でありたい。そう願う次第である。
本から散らばった文房具たちが、あちらこちらへと歩き始める。気が狂い、どこか滑稽な彼ら、可愛い見た目に反して獰猛な鼬、そんな彼らが誰も彼も愛おしい。
彼らを目の前に見ている私もまた、存分に気が狂っているのだろう。むしろ問うが、貴君は本を読んでいながら、何故狂っていないのだろうか。
旅の終わりと文明の崩壊
お集まりの皆さん。この教会がこのように多くの会衆によって満たされたのは何年ぶり、何十年ぶり、いや何百年ぶりのことでしょうか。
この教会はまさに今、この時、皆さんと共に紙に祈りを捧げるためにのみ今まで存在してきたのかもしれないのですから。
わたくしが申し上げたいのは、神を信じる方も信じない方も一様に今信じかけておられることがあるということです。それは今はこの世界の終わりではないかということです。
中には神を信じずにただ例のスリカタ姉妹の大予言のみを信じておられる方もいらっしゃるに違いない。
おお。なんということでしょう。この科学時代の現代にありながら皆さんはまだ信じようとする心を失ってはおられない。何かを信じたいと望むわれら卑小な鼬の本性は失われていなかった。
あるいはまた皆さん方の中には、あの邪悪なるカマキリの乗ったロケット、さらにはそれに続いて次々とやってきたあの忌まわしい文房具の如きものたち、彼らの正体は何か、そうした謎が解けるのではないかと来られた方もおられるでしょう。
しかしわたくしはそうした方々に、またしても今までと同じことを申し上げなければなりません。すべては神のみこころなのです。
もちろん今、光線や熱線を放射しているあのピンセットの如きもの、下敷きの如きもの、三角定規の如きものが知っているわけもありません。
そして意図はともかく、その意味は。それはただ神のみが知りたもうことです。さあ、祈りを捧げましょう。ウィーゼル・ドーンゲル・ド・ド・ド。
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