「ねえ、タイムマシンって欲しいって思う?」
彼女が唐突にそんなことを聞いてきた。私はフライドポテトを少しずつ齧りながら、彼女に呆れた視線を向ける。
彼女は最近ネットで知り合った友人である。会ってみて初めて私よりも随分と年上だと知ったけれど、好みが同じでやたらと気が合った。
彼女からこうした他愛のない話題を振られることは珍しいことではなかった。もともとネット上でもだらだらとくだらない話をし合っていた仲なのだ。
「どうしたの、突然」
「いやあ、実は昨日、録画してた『時をかける少女』を見たのよ」
「細田守監督の?」
「そうそう」
あのアニメ映画が放映されたのも、もう2006年のことである。細田守監督はその頃から人の涙腺を刺激するのが上手い。『ガーネット』は名曲だった。
「まあ、もちろん欲しいかな、タイムマシン。あったら便利だろうし」
私がそう答えると、彼女はしみじみと頷いた。フライドポテトをちまちま食べるその口元には微笑みが浮かんでいる。
「だよねぇ。でもさ、もしも手に入ったら、何する?」
「何って?」
「ほら、たとえば、『ドラえもん』はさ、未来からタイムマシンに乗ってやってきてるじゃん」
「うん」
たしかにそんな話だった。引き出しの中からドラえもんが飛び出してくるシーンは今でも思い出される。タイムマシンはあのストーリーの根幹を握っていると言っても過言ではないだろう。
「その目的って過去を変えることでしょ。ダメダメだったのび太くんを立派にするためにさ。じゃあ私たちがタイムマシンで自由に時間を越えられるようになったら、何をする?」
私は少し考えてみた。過去の恥ずかしい出来事や失敗をなかったことにできるし、未来を見てみることもできる。やれることは無限大だ。けれども、私が望むのは、やっぱり。
「過去に行くかな」
「過去に行って何をするの?」
「自分に会う」
私の答えに彼女は目を細めた。
「理由は?」
理由。私がタイムマシンを手に入れた未来を想像した時、私に会いに来ようと答えた私の理由はなんとも単純で、でも私にとっては何より重要なことだった。
「謝りたいんだよね、過去の私に」
未来の私はきっと、もう存在していないだろうけれど。それを聞いて、目の前の彼女はふうんと小さく呟いた。
時を超えて
筒井康隆先生の書いた原作の『時をかける少女』はモチーフが同じなだけで、細田守監督のそれとはまったく異なる作品といってもいいだろう。
筒井康隆先生と言えば、として名が挙がることが多かろうこの作品が、先生の普段の作風とは異なることは意外かもしれない。
筒井康隆先生は多くの実験的手法を駆使して様々な作品を生み出しているが、中でも目を惹くのは乾いた文体で綴られる皮肉を込めたSF作品群である。
『時をかける少女』はその対極ともいえるかもしれない。同じSFではあるが、その爽やかな青春の香り、仄かな恋心はいっそ瑞々しく、かわいらしい。
筒井康隆先生の作品が好きな私としては、この作品はいささか物足りない。しかし、この瑞々しい作品の中にも、先生の思惑がありありと描かれているのを見ると嬉しくなる。
ケン・ソゴルの暮らしていた未来は科学技術が発展し、幼い頃から大学生並みの知能を持っている。
しかし、彼が言うには、和子のいる時代の人たちの方が温かく、家庭的であるらしい。
それは、彼が恋心よりも自分の仕事を重視したことからも想像できるだろう。未来では情愛よりも仕事や学問が価値観として高いのだ。
知識の探求心は愛情を求める心を阻害する。それを、筒井康隆先生は和子とケンとの別離によって表したのである。
もしも、私がケン・ソゴルのように冷めた心を持てていたならば、こんなことを思わなかったのだろうか。私はそんなことを思う。
私はもういろいろと疲れたのだ。もう幕引きの用意は終わっている。準備が終わったところで彼女から誘いがあったのだ。
最後に会うのが身近な友人ではなく、ネットで会った数回しか話したことのない友人というのも皮肉なものだ。私はひっそりと自嘲する。
しかし、どうしてだか後悔はなかった。彼女と出会ってそう長い時間は経っていないのに、不思議ともう数年来の友人であるかのようだった。
「未来のあなたは謝りたいとは思っていないよ」
「なんでそう言い切れるの?」
未来の自分は今日この時からいなくなる。だとしたら、彼女は私を憎んでいて当然のはずだ。私のせいで彼女は永遠に消えてしまうのだから。
しかし、目の前の彼女はまるで本当に知っているかのようにあっさりと答える。彼女がフライドポテトをちびちびと齧った。私とまったく同じ食べ方で。
「懐かしいなあ、私はあの時、たしかに終わらせようとしていたよ。でも、未来の自分と会って、やめたんだよね」
未来の私は私をこれっぽっちも憎んでいないんだもの。謝らせてもくれなかったし、そもそも、彼女の存在自体が私が生きている証拠だったんだから。
「タイムマシンを手に入れたら、私なら過去に行くね。過去の自分を思いとどまらせて、今の幸せな私が存在できるようにする」
彼女は悪戯げに笑って、じゃあ、私はそろそろ行くね、とその場を去った。ごめん、お金は払っといてくれる? 私、この時代のお金は持っていないんだよね。
まるで夢であったかのようにふっと消えた彼女に、私は一言も口にすることはできなかった。
「……欲しい服あったのに、お金足りない」
また、お金貯めないと。私はぽつりと呟いた。タイムマシンを手に入れたなら、私は未来に行きたい。私にお金を払わせて言うだけ言って帰った彼女に、ひとこと文句を言ってやろう。
きっかけはラベンダーの香り! 時をかける力を得た少女の仄かなSF
放課後の校舎は、静かで寒々しい。三年の芳山和子は、同級生の深町一夫と浅倉吾郎とともに理科教室の掃除を終えた。
和子は一夫と吾郎に手を洗ってくるよう伝えて、ひとりごみを捨てに向かった。
校舎の裏庭にごみを捨て、理科教室に戻った和子は掃除道具をしまおうと理科実験室の扉に手を掛けた。
しかし、彼女は開けるのを躊躇った。無人のはずの理科実験室の中から物音がしたからである。
和子は少し気味が悪く思ったが、思い切って扉を開いた。ガラスの割れる音が響く。
薄暗い部屋の中を見回すと、部屋の真ん中にある机の上に試験官が並べてあり、その中のひとつが床に落ちて割れていた。
床の上には試験管から流れ出たらしい液体が零れ、かすかに白い湯気のようなものを立てていた。
和子が近づいていくと、薬品棚の後ろから黒い影が飛び出して、廊下へ出るドアの手前の、衝立の向こう側へと飛び込んだ。
廊下へ出る鍵のかかったドアをがたがたと鳴らす相手に、和子は叫んで警告した。やがて、ドアは音を立てるのをやめて、部屋は不気味に静まり返った。
和子は足音を忍ばせて、ゆっくりと衝立のほうに歩いていった。おそるおそる覗き込んで、そして思わず叫んだ。そこには誰もいなかったのである。
さっきの人影は幻ではない。そして、たしかにこの衝立に隠れたはずだった。だとしたら、あの影はどこへ行ってしまったのだろう。
和子は考え込みながら、のろのろと試験管の置いてある机の前に戻った。実験室の中にはかすかに甘いにおいが立ち込めている。
彼女は机の上に置かれている三つの薬瓶のひとつを取り上げて、そのレッテルを読もうと試みたが、読むことは叶わなかった。
不意に彼女の意識が薄らいだのだ。彼女はよろめき、崩れるように床の上に倒れ伏した。
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