新感覚数学ミステリ『浜村渚の計算ノート』青柳碧人


「うわっ、次のテスト、数学だよ」

 

 

 嫌だなあ。私ははあと深いため息を吐いた。今さら教科書を見て復習しようという気にもならない。

 

 

 数学は昔から苦手だった。しかし、高校生にもなると、それにどんどん拍車がかかる。

 

 

 算数ならともかく、インスウブンカイだとか、カンスウだとか、そんなのが入ってくると、もうついていけなかった。

 

 

 今では数字の羅列を見ただけでも気分が悪くなる。先生の話している言葉が暗号のように聞こえたものだ。

 

 

 そんな状態なのに、テストなんてできるわけがない。なんとか赤点にならないようにと考えていたけれど、どうかなって感じ。

 

 

 私が脱力したように机にぐでっと突っ伏しているのも、そういう次第があるのだ。

 

 

「勉強しなくていいの?」

 

 

 友人が呆れたように聞いてくる。彼女はきっちりと教科書を開いていた。

 

 

「だって、見てもどうせわかんないし」

 

 

 私が言うと、友人はやれやれといったように教科書に向き直った。彼女も数学、嫌いだったはずなのに。

 

 

 後日、返された数学のテストは、案の定というか、赤点だった。先生から補習な、と言われる。

 

 

「ねえ、何点だった?」

 

 

 私は身を乗り出して友人に聞いてみる。彼女もまた、私と同じ数学嫌いで、数学の赤点常連だった。

 

 

 どうせ、今回もまた、彼女と同じ赤点かなと思ったのだ。だけど、彼女は私に輝かんばかりの笑顔を見せてきた。

 

 

 どやっと言わんばかりの自慢げな表情で彼女が見せてきたテスト用紙。そこに書かれていたのは、彼女とは思えないほどの高得点だった。

 

 

「……カンニングはよくないよ」

 

 

「してないわ」

 

 

 私が思わず言うと、彼女は否定してくる。まあ、そうだろうけれど。彼女は角席だ。しかも、隣の席は私である。

 

 

「え、じゃあ、この点数、まじで?」

 

 

 補習、私一人じゃん。私はこの世の終わりとばかりに呟いた。彼女の自慢げな表情が憎らしい。

 

 

「え、なんでそんな唐突にやる気出したの」

 

 

「いやぁ、実は最近、数学が楽しくなってきちゃってさあ」

 

 

「どういう風の吹き回しよ」

 

 

「これ、読んだんだよね」

 

 

 彼女が机の中から取り出したのは、『浜村渚の計算ノート』という作品だった。

 

 

「貸してあげるよ。おすすめ」

 

 

 私は言われるがままに受け取った。その直後、私の額にチョークが直撃した。見ると、先生が鬼のような表情で私を睨んでいる。

 

 

 あ、やべ、今授業中だったわ。

 

 

楽しい数学を

 

「やった!」

 

 

 返されたテスト用紙を見て、私は思わず声を上げた。それは数学のテストである。以前とは比べ物にならないほど、高い点を取ることができた。

 

 

 席に戻り際に友人とハイタッチをする。彼女には、ついさっき借りていた『浜村渚の計算ノート』を返したばかりだった。

 

 

 友人から借りたその本を読んでみた私は、そのおもしろさにどっぷりとはまってしまった。

 

 

 何より、今までなんとも思わなかった数学がおもしろく思えてきたのである。読めば読むほど、私は数学を好きになっていった。

 

 

 四色問題やフィボナッチ数列、悪魔の数字、円周率。数学にはこんなにもおもしろいものがあったなんて。こうして私は数学の世界にどっぷりハマっていったのである。

 

 

 今までは呪文のようにすら感じていた授業の数学も、私にとって一番好きな時間に変わった。それは、友人もまた同じなのだろう。

 

 

 数式が解けるとすっきりする。世の中の数学者たちは、その楽しさのために、いろんなことを計算してきたのだろう。今ならその気持ちも分かった。

 

 

 でも、難点がひとつ。私は買ってきたその本を読みながら、ううんと頭を掻いた。

 

 

 出てくるのは数学を利用した犯罪をする悪人たちである。であるのに、どうしても彼らが悪人のように感じられず、むしろある種の親しみを持ってしまうのだ。

 

 

 やはり、それは彼らが数学好きな同志だからだろう。本当の極悪非道な悪人なんて、この作品の中にはいないのだ。ここに描かれているのは、数学が好きな人たちばかりなのである。

 

 

計算が解き明かす事件の真相

 

 高木源一郎……現在、日本を震撼させている組織の主導者、「ドクター・ピタゴラス」の本名である。

 

 

 日本を代表する数学者であり、教育界でも名の知れた彼が、戦後最悪の犯罪者と呼ばれるまでになったのは、こんないきさつがある。

 

 

 ことのおこりは、ある心理学の権威が、犯罪の急増の理由を義務教育と関連付けた論文から始まった教育内容の一新だった。

 

 

 新たに導入されていった「心を伸ばす教科」とは対照的に、理系科目は次々と削除されていった。

 

 

 その新しい学習指導要領にのっとった授業が開始されて一年が過ぎようとしていた頃、フリー動画サイトを通じてドクター・ピタゴラスの声明がなされたのである。

 

 

「私は、義務教育における数学の地位を向上させることを要求する。そのため、日本国民全員を、人質とすることにした」

 

 

 政府の対応は迅速だった。しかしそれは、要求を鵜呑みにすることではなかった。

 

 

 政府主導の数学排斥運動によって、学校教育から数学は完全に姿を消してしまった。皮肉なことに、高木の思惑とは真逆の結果になってしまったのである。

 

 

 警視庁にも、特別対策本部が設置され、人員が集められた。しかし、この対策本部には当初から問題があった。

 

 

 高木源一郎の数学ソフトに触れてこなかった人員を集めたため、まったくの数学オンチたちが集まってしまったのである。

 

 

 猶予期間と宣言された一か月が何事もなく過ぎ去ったかに思えたある日、事件が起こった。現場に残されていたカードに、三角定規がかたどられたシンボルマークがプリントされていた。

 

 

 特別対策本部に、その少女が初めて連れてこられたとき、僕は目を疑った。その中学生は、浜村渚と名乗って軽くお辞儀した。

 

 

 彼女こそが千葉県警が見つけてきた、「数学大得意な救世主」なのである。

 

 

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