「君は、『ゲド戦記』を知っているかね?」
みすぼらしい擦り切れた服を着たおじいさんが、気味の悪い笑みを浮かべて言った。彼の問いに、私は首を縦に振る。
「知ってるよ。映画で見たから。でも、なんか怖いし、よくわからなかった」
テレビで見た覚えがある。翌日の学校では、男子が悪役の魔法使いの真似をしていた。
本当にやめてほしい。あの敵の魔法使い、クライマックスに近づくにつれて本当に怖くなるのだ。夢に出そうで、布団の中で震えたものだった。
魔法使いの真似をする男子たちは、けれど、どうやらこのおじいさんが怖いらしい。
私も彼が好きというわけでもない。けれど、おじいさんの口から語られる物語はいつだっておもしろくて、私はすっかり魅了されたのだった。今では唯一の常連客になっている。
彼は紙芝居屋なのだという。けれど、不気味な見た目が災いしているのか、私の他に観客は誰もいなかった。
私は『ゲド戦記』があまり好きではない。そして、それはどうも私だけではないらしい。ネットでも良い評価はあまり見かけなかった。
「映画の『ゲド戦記』は儂も見たね。でも、それだけで知った気になるのは、まだ早いさね」
「どういうこと?」
「映画のもととなった、原作の『ゲド戦記』、あれは傑作だよ。初めて読んだ時は、あまりに惹きこまれて他のことが手につかなくなったほどさ」
「えぇ、だって、あんなにわけがわからないのに」
私が驚くと、おじいさんはゆるりと首を横に振った。
「あれは、ストーリーを削り過ぎてしまったんだろうね。原作を読んで、初めて『ゲド戦記』を知っていると言えるだろうよ」
「どんな作品なの?」
私が聞くと、彼はにやりと笑った。お化けみたいに不気味な笑顔。だからお客が寄ってこないんだよ。おじいさんは、紙芝居の幕を開く。
そこには、古めかしい、くねくねとした書体で『ゲド戦記』と書かれている。イラストの中に立っているのは、ひとりの男の人。手には鷹が止まっていた。
「それを今から語るのさ。彼の名はハイタカ。もっとも優れた魔法使いだと謳われた、彼の伝説。けれど、どんな伝説も始まりは、ただの子どもだったものさね」
伝説の始まり
絶え間ない嵐に見舞われる東北の海に、ひとつだけ頭を突き出す海抜千六百メートルほどの山がある。この島の名はゴント。数多くの魔法使いを生んだ地として古来名高い島である。
そうした中で、最高の誉れ高く、事実、他の追随を遂に許さなかった者がハイタカと呼ばれた男である。
ハイタカは”竜王”と”大賢人”の、二つながらの名誉を勝ち得、その一生は数々の歌になって、今日も謳い継がれている。
しかし、これから語るのは、まだその名を知られず、歌にも謳われなかった頃のこの男の物語である。
ハイタカはゴント山の中腹、”十本ハンノキ”という寂しい村で生まれた。幼い日のダニーという名は母親がつけてくれたものだったが、彼女が息子に遺したのは、この名前と命だけだった。
まじない師でもあった伯母に魔法の才能を見出されたダニーは、彼女にさまざまなまじないを教えられた。
村の子どもたちは、ダニーがしばしば、獰猛な鳥といるのを見て、彼にハイタカとあだ名をつけた。それで彼は、その後もずっと、この名を呼び名として使い続けることにした。
ダニーはあちこちの集落をまわって、目くらましの術のいくつかもすでに教わって身につけていた。そして、そのひとつによって、彼はやがて自分の内なる偉大な力を初めて証明してみせることになった。
当時、カルガド帝国は強大だった。征服欲に燃えたカルガド人が、次に狙ったのはゴントだった。
十本ハンノキの村人たちは、立ち上る煙に東の空が黄ばむのを目にした。村人のある者は身を隠し、またある者は戦う準備をしたが、どちらも決めかねてただ嘆いている者も少なくなかった。
ダニーはその場にとどまることを選んだ。彼は、霧が次第に薄れて、カルガド人の姿が浮かび上がるのを見ているうちに、急にある呪文を思い出した。
唱えた呪文の最後の言葉を高らかに叫ぶと、霧が村をすっぽりと覆い、日を陰らせ、物の影をぼやけさせ、ほとんど一寸先も見えなくしてしまった。
霧が見せる恐ろしい幻に翻弄され、恐怖したカルガド人は、一目散に、この魔法のかかった山腹を下っていった。
自分たちは勝ったのだ。村に戻った人々は、大きなイチイの木のそばに、鍛冶屋の息子のダニーが、ひとり、ぽつんと立っているのを見つけた。
武器による傷はひとつもなかったが、ダニーは口がきけず、食べることも眠ることもしなかった。
やがて、ひとりの見知らぬ男が十本ハンノキの村にやってきた。村の女たちは、男の口から彼が医術を心得ていると聞くと、すぐさま男を鍛冶屋の家に案内した。
男はダニーの上にかがみこんで、自分の手を少年の額に置き、唇にそっと触れた。ほどなく、ダニーは口を利いた。力と空腹感がその身体に戻ってきた。
彼の名はオジオンと言った。彼はダニーが成人の儀を迎えたら弟子にしたいと言う。
少年が十三になった日、成人の式はとどこおりなく行われた。オジオンは手を差し伸べて少年の腕を掴むと、その耳元に「ゲド」と囁いた。それが少年の真の名前だった。
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