言葉の持つ力の大きさ『本日は、お日柄もよく』原田マハ


 うつらうつらと、閉じかけた瞼を必死に持ち上げる。隣を見ると、男子が欠伸をかみ殺していた。彼を見て、私の奥の方からも欠伸がじわりとこみ上げる。

 

 

 眠気覚ましにと周りに視線を送ってみると、堪えきれず欠伸をしていたり、首が前後に揺れていたりしている姿がチラホラと見えた。

 

 

 無理もない。校長先生の話と聞くと、まるで子守歌でも歌われているかのよう。条件反射のように欠伸がこみ上げるくらいだ。

 

 

 どうして、校長先生の話はこんなに眠いのだろうか。先生も、みんなが寝ているのに気づいていないはずはないのに、どうにかしようとか思わないのだろうか。

 

 

 先生の話の最中に寝ていると、いつも「寝たらいけません!」と怒られる。けれど、それじゃあもっと面白い話をしてくれないだろうかと思わないでもない。

 

 

 話を聞いているこれだけの人が眠いのなら、聞いている私たちのせいじゃなくて、校長先生がスピーチ下手なのだ。それで私たちが責められるのはどこか釈然としない思いが残る。

 

 

 先日読んだ本を思い出す。『本日は、お日柄もよく』という作品だ。作者は、原田マハ先生。

 

 

 原田マハ先生の作品は今まで、『楽園のカンヴァス』をはじめとする、絵画にまつわる作品しか読んでいなかった。

 

 

 作者の生涯とストーリーを上手く組み合わせた作品に、私はすっかり魅了されていた。

 

 

 けれど、『本日は、お日柄もよく』は、そんな先生の今までの作品とは、また違う面白さがある作品だった。

 

 

 こと葉は、幼馴染の結婚式で眠気のあまりにスープ皿に顔を突っ込んだことをきっかけに、久遠久美と出会う。

 

 

 彼女は言葉のプロフェッショナル、伝説のスピーチライターと呼ばれている人物だった。

 

 

 彼女の人柄とスピーチに心惹かれたこと葉は、彼女に弟子入りを志願し、彼女のもとで言葉の力を学ぶことになる。

 

 

 いろいろな経験を通して成長していくこと葉の姿とクライマックスには涙腺が崩壊したのだけれど、それ以上に感動したのは言葉の力に、だった。

 

 

 たかが言葉、なんて思っていたけれど、言葉は時として多くの人を動かすほどの力を持つ。

 

 

 ケネディも、ガンジーも、オバマも、政治家や活動家の人たちの言葉は、多くの人を導き、感動させたという。スピーチには、それだけの力がある。

 

 

 その力の底知れない可能性に、私は感動したのだ。私は人前で話すのは好きではないけれど、この本を読んだ時は、私も頑張ってみようと思うくらい。

 

 

 校長先生も、この本を読んでみたら、少しは話もまともになるんじゃないだろうか。

 

 

 今日もまた、校長先生はその魅惑的なボイスで多くの生徒たちを眠りの世界に誘っている。

 

 

「本日はお日柄もよく」

 

 

 先生の話はいつも、その言葉から始まる。その瞬間だけ私は、なんだか少し嬉しくなるのだ。

 

 

言葉の力

 

 えー、ただいまご紹介にあずかりました、鈴木でございます。厚志君、恵理さん。このたびは、ご結婚おめでとうございます。えー、本日はお日柄もよく……

 

 

 ああ、だめだ。猛烈に眠い。自分が結婚するわけでもないのに、なんだかえらく緊張して、昨夜はちっとも眠れなかった。

 

 

 テーブルの向かい側、白いクロスの上に載っている男の人の腕時計に視線を移す。うわ、信じられない。このスピーチ始まって、もう十分も経ってる。あー、だめだ。やばいやばい。猛烈に眠い。

 

 

 ガシャン。派手な音がして、はっとなった。お母さんの、素っ頓狂な声。長い長いスピーチが、一瞬、途切れた。

 

 

 私の顔は、真正面から、スープ皿に見事に命中していた。私はナプキンで顔を覆い、慌てて席を立ち、披露宴会場を出た。

 

 

 トイレに入って顔を洗い、ロビーへ戻った。どうしよう。「あー……」と、瀕死のアザラシのような声を出した。

 

 

 ふと、くっくっと小さな笑い声が、すぐ隣の長椅子から聞こえてきた。あんまりくすくす笑っているので、私は、メイクの剥げた顔をそっちに向けた。

 

 

 女の人が笑っている。三十代後半くらいの、なかなかの美人だ。私が会場から飛び出したタイミングで、彼女も会場を抜け出したという。

 

 

「ねえ、どう思った? さっきの、あなたがスープ皿に激突するほど眠気を誘ったスピーチ」

 

 

「いや、なんていうか……なんにも覚えていません」

 

 

 あのスピーチのせいで眠気を誘われたのか、もともと眠かったのか、どっちなのかさえわからない。すると、女の人は、厚志君のクライアントのスピーチのダメ出しをした。

 

 

 指摘は図星だった。なんだか、このひとすごい。なんていうか、痛快。その言葉が、ぴったりなひとだった。

 

 

「さて、そろそろ行きますか」

 

 

 いったい、何者? 私は、この謎の女の人に、もう十分に関心があった。彼女の後を追いかけるようにして、披露宴会場に入っていく。

 

 

 こうして、私は出会ったのだ。「言葉のプロフェッショナル」、スピーチライター、久遠久美に。

 

 

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