犯罪少年の隠している真実とは『叶うならば殺してほしい ハイイロノツバサ』古野まほろ


脳裏にこびりつくように離れない、ひとつの小説がある。私はその作品が好きなわけではないし、読んでいてむかむかするばかりだった。でも、その作品を、私は忘れたくはないのだ。

 

とある一軒の家が、ある時、激しい炎に包まれた。家は全焼。中からは四人の遺体が発見される。生き残ったのは、その家に住んでいる少年ただひとりだけだった。

 

社会からは、彼は「被害者」として扱われた。しかし、時が経ち、内実が明らかになっていくにつれて、その目は変わってきた。

 

その家から見つかった遺体は、男性が3人と、女性がひとり。女性の手には、手錠をかけられたような痕跡と、激しい虐待の痕が残されていた。

 

女性を監禁し、四人の少年が暴行を加えていた。世間の目は生き残った少年を、「被害者」ではなく「女性を監禁していた犯人のひとり」として見るようになった。

 

黙秘していた少年は、その事実が知られるや否や、堰を切ったように自分たちの残酷な所業を自慢げに語り始める。

 

しかし、取調べ官と担当管理官は、彼の態度を不審に思い、何かを隠していると感じていた。真実を隠そうとする少年は、果たして何を抱えているのか。

 

真実が次々と明らかになっていくにつれて、事件がまったく違った形に変わっていくのが、読んでいて何度も驚かされた。

 

最初は火事、次は男四人による女子監禁事件、その次は……被害者は……犯人は……。ひとつの作品の中に、いくつもの驚愕が詰め込まれている。

 

どうしてその作品が忘れられないのか。あまりにも凄惨な虐待の有様か、ミステリとしての高い完成度のせいか。もちろん、それらも理由としてはあるけれど。

 

私が印象的だったのは、冒頭の場面だった。善良な少女。家族に愛され、まだ世の中の悪意に晒されていない、普通の少女であることを強調されて描かれている。

 

そんな少女が、自転車で転げたと思しき男を助けようとしたばかりに、男たちによって攫われてしまう。この作品に描かれる凄惨な悲劇は、そこから始まるのだ。

 

純粋な善意が、欲望に満ちた悪意によって無残に踏みにじられるその場面こそが、私がこの作品を忘れられない理由である。

 

この世の中には、そんな理由もない、純粋な悪意もあるのだと、そのわかりきっていた真実を、わかっていながらも必死に目を背けていた真実を、ありありと見せつけられたからだ。

 

酸いも甘いも知った気になっていた私もまた、心のどこかでは、彼女のように善意を信じている心を持っていた、ということなのだろう。世界は決して、悪いものではないのだと。

 

だが、そんな思い込みが、ただの幻想なのだということを、この作品はありありと見せつけてきた。

 

真実が明らかになっていくにつれて、この事件は姿を変えていく。けれど、私はむしろ、男たちによる女性の暴行という、もっとも凄惨な形こそが、もっとも現実味があると感じた。

 

平凡な街並み。行き交う人々。手を繋ぐ親子。笑い合うギャル。無表情なサラリーマン。何も変わらない、いつもの光景。

 

けれど、通りすがりの彼らがもしも、ナイフを突きつけてきたら? 殴りかかってきたら? そんなことは絶対にありえない、と、そんな保証はいったいどこにある?

 

一見善良で美しく見えるこの世界こそが、悪人が悪人の顔をしていないその事実こそが、私は怖くてたまらない。

 

 

少年の隠しているもの

 

おだやかな春の宵。三月初頭の暖かな夜。甘酸っぱい沈丁花の香りが、冬に倦んだ人々の心を和ませ、浮き立たせるそんな頃。

 

時刻は、午後十時を過ぎた所。場所は、都心からやや西、東京都武蔵野市。いわゆる吉祥寺エリア。巨大な井の頭公園のすぐ近く。概して、駅前の喧騒とは無縁の、閑静な住宅地である。

 

今、彼女が目指しているのは、いわゆる富裕層が居住するとされる区域であった。彼女は自分の学校から、このおだやかな春の宵、自分の家を目指し駆けている。静かで寂しい街路の下、自転車を漕ぎ駆けている。

 

それがじき、いびつな十字路に差し掛かろうとしたとき。彼女は十字路の極手前に、蹲る何かを見出した。彼女は自転車の速度を落とした。いいや、いびつな十字路の前でもう自転車を停めた。

 

彼女が眼前に見出したのは、弾けるように大きく転がった自転車と、制服姿の男子高校生。それがいびつな十字路の極手前で、蹲りながら悶絶している。

 

「どうしたんですか? 大丈夫ですか? 事故か何かですか?」

 

「轢き逃げっていうか、当て逃げで……車に……」

 

「えっ車に? 大変!!」

 

彼女は携帯電話をぱかりと開けて、119番をしようとした。すると。

 

「――うぐっ」

 

「あっ、痛みますか?」

 

男子高校生の悲鳴。彼女は通話を後回しに、自らもいびつな十字路の極手前で蹲ったそのとき。

 

「ううっ!!」

 

……彼女は、いきなりの、正体の解らない強烈な衝撃を感じた。それはほんとうに突然の、しかも激痛を伴う痛撃だった。頭の中が真っ白になり、だから意識が遠くなる。

 

指先ひとつ動かせない彼女は、自分が複数の男たちによって、黒いバンの車中へと搬入されてゆくのを知った。

 

そんな彼女が最後に見ることのできた、外界の景色はというと……。それはとうとう、誰にも分らず仕舞いとなった。彼女の言葉あるいは供述を獲る機会が、永遠に失われたからである。

 

 

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