密室の中で紡がれる人類史『少女庭国』矢部嵩


 『ドアの開けられた部屋の数をnとし死んだ卒業生の人数をmとする時、n-m=1とせよ。時間は無制限とする』

 

 

 私は部屋の扉に貼られた紙を見た。そこに記されていた文章を見て、いっそうわけがわからなくなった。

 

 

 私がいるのは自分の部屋である。だとすれば、この紙も自分が書いて貼ったものだろうか。しかし、そんなことをした覚えはない。

 

 

 もしや、弟のイタズラか。ありえる。弟は意地悪な性格で、近頃はめっきり生意気な性格になってきた。幼い頃の天使はどこへ行ったのだろう。

 

 

 彼が勝手に私の部屋に入って、この紙を貼っていったのだろうか。可能性はなくはないが、しかし、そんなわかりにくいイタズラを弟がするかと言えば首を傾げるところである。

 

 

 この文章は最近私が読んだ『少女庭国』という小説の一文だ。作中でも謎に満ちた展開の発端となるメモ書きであり、それを見た少女たちは混乱した後にどういった行動をするか分岐していく。

 

 

 たしかに私の本棚に『少女庭国』という本が収められているのだが、それを弟が読むとは思えないからだ。弟は本なんて読むより外を走るアウトドア派である。

 

 

 それに、あいつならばもっと直接的なことをやるに違いない。そして目の前で大声で笑うまでが彼のイタズラの流儀なのだ。そのあとのお仕置きまでも含めて。

 

 

 まあ、とにもかくにも部屋から出よう。お腹がすいた。一階の冷蔵庫にたしかアイスがあったはずだ。私の喉は甘味に飢えている。

 

 

 そして、弟にはその時に聞いてみよう。私はそう決めて、ドアノブに手を掛けた。しかし、開けたドアの先に広がる光景を見て、私は愕然とした。

 

 

 そこにあったのは私の部屋だった。寸法違わずまったく同じ私の部屋が二つ並んでいるのである。

 

 

 どうやら、私は本来ならば弟の部屋につながる扉から出てきているらしい。そして、さらにわけがわからないのは、もうひとつの部屋の中にひとりの女の子がいたのである。

 

 

 彼女は首を傾げながらドアに貼られているらしい紙を眺めている。その後ろ姿は私と同じくらいの身長で、私と同じ服を着ている。

 

 

 つまり、彼女は私なのだ。私の部屋が二つあって、私自身も二人いるのである。

 

 

 私が扉を開けた音に気付いたのだろう、彼女が振り向いて、私と目が合った。彼女は目を見開く。ドッペルゲンガーなら三日らしいけれど、どうなんだろう。

 

 

「で、これはどういうことなの?」

 

 

「私に聞かれても。あなたが知らないことを私が知っているわけないでしょ。あなたは私なんだし」

 

 

「それもそっか」

 

 

 私はもうひとりの私と額を突き合わせて話し合っていた。さすが私。自分と話し合っているのだから、当然のことだけれど話が通じるのが早い。

 

 

「これって、あれだよね。『少女庭国』。矢部嵩先生の」

 

 

「だよね」

 

 

 彼女の問いに私は頷く。あの謎めいた紙に書かれた文章。

 

 

「で、どうする? あの作品通りなら」

 

 

「いやいやいや、そんなわけないでしょ」

 

 

「でも、書かれた通りのことってなると、出られるのは私かあなたのどちらかってことだよね」

 

 

「……」

 

 

 あの文章における『卒業生』を私とするなら、あの課題を合格するには。私は私と青ざめた顔で見つめ合う。

 

 

「なんでドア開けちゃったのさ」

 

 

「ごめん。だってイタズラだと思ったし」

 

 

「だよね。たぶん、私も開けてるわ」

 

 

 まあ、結論はひとつっしょ。私なら、これからどうするか、わかるよね。私の問いに、私は頷いた。

 

 

 私と彼女は競い合うように互いを押しのけて、机の上にあったカッターナイフを手に取る。

 

 

 掴み取ったのは、私じゃあない私の方だった。その手に持ったカッターナイフの刃先は、私の首元に。

 

 

「ごめんね。私は生きたいからさ」

 

 

 その捨て台詞を聞いたところで、私はベッドから飛び起きた。

 

 

 私は胸を押さえて荒い呼吸を整えた。汗でパジャマが湿り、気持ちが悪い。思わず自分の首元を何度も確かめるようにさすった。

 

 

 あまりにもリアルな夢だった。夢の中での当惑、自分と会話した時の奇妙な感覚、切られたときの身体が芯から冷えていくような感触。すべて覚えている。

 

 

 ようやく落ち着いて、私はほうと息を吐く。ああ、嫌な夢を見た。自分と会って自分にやられる夢なんて洒落にもならない。

 

 

 ふと視線を落とすと、枕元に矢部嵩先生の『少女庭国』が置いてあった。寝る前に読んでいたのだろうか。夢の感覚が勝って昨日の記憶がいまいち残っていないのだけれど。

 

 

 あんな夢を見たのはこの本のせいだろう。何もない部屋じゃあなくて自分の部屋だというところはまだましなのかもしれない。

 

 

 作中には数多くの可能性が描かれている。すぐに決断した少女もいれば、ずっと歩き続けた少女もいる。かと思えば、生活基盤としての形を作り、文明を築く少女もいた。

 

 

 もしも、私だったら、どうするだろう。読んだ時にそんな妄想を楽しんでいたことを否定はしない。しかし、突然放り込むことはないだろうに。

 

 

 はあ。とりあえず一階に下りよう。何か冷たい水でも飲みたい。私はそう思い、扉へと近づいた。

 

 

 そこに見覚えのある貼り紙を見つける。文面も、夢で見た通りだった。私は思わず蒼褪めた。

 

 

 背後でドアの開く音がする。おそるおそる振り向くと、目を見開いて驚く私と目が合った。

 

 

卒業式を迎えるはずだった少女たちが石の部屋に閉じ込められるSFホラー

 

 講堂へ続く狭い通路を歩いていた仁科羊歯子は気がつくと暗い部屋に寝ていた。床の固さで背中が痛んだ。

 

 

 ブレザーの袖から覗いている腕時計の針は十時過ぎを指していて、式はすでに始まっている時刻だった。

 

 

 取り囲んでいるのは白ぽい壁で、見つめて考えたが見覚えはなかった。空気が変わっていると思った。冬の雨の外気と肌寒さと、隔たれているらしいことにまず気づいた。

 

 

 雨同様に妙な違和感があって、考えるうち周囲に誰もいないことに意識が向いた。つい今まで一緒にいたクラスメイトの姿が消えている。

 

 

 最前まで何をしていたかを思い起こしてみて、大勢の同級生たちと狭く真っ暗な直線通路を一列になって移動していたはずだったが、一瞬後この部屋で目覚めていた。

 

 

 部屋は立方体で、壁は石でできているようだった。光は微量で部屋全体では薄暗く、扉が二個ある感じで、総じて奇妙な光景だった。

 

 

 あるいは今頃しているはずだった卒業式こそ夢なのかとも思ったが、自分の恰好だけは記憶と地続きで、戻れるなら戻ろうと思い、ドアに近づいた。

 

 

 ドアは鉄製で、向かい合う二つの壁にひとつずつ設けられていた。一方の扉にノブがなく、羊歯子の側からは開けられないようだった。

 

 

 反対の壁にあるドアにはノブがあり、また他に白い貼り紙もあった。

 

 

『ドアの開けられた部屋の数をnとし死んだ卒業生の人数をmとする時、n-m=1とせよ。時間は無制限とする』

 

 

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