クローズド・サークルの代表作『そして誰もいなくなった』アガサ・クリスティー


孤島に行くというロケーションは実に魅力的だ。敬愛するアガサ・クリスティー先生の『そして誰もいなくなった』を思い出すよ。

 

「部長、あまり不吉なことを言わないでくださいよ。それってアレじゃないですか。孤島で事件が起きてどんどん人がいなくなっていくミステリでしょ」

 

「オイオイ、何を怖れているのかね。同じ状況になるのだ。ミステリ同好会としては歓迎すべきではないか」

 

ミステリ同好会の部長がそう言うので、私は眉をひそめて「いやいや、ミステリ好きでもその状況に自分が陥ろうとは思いませんよ」と小声でぼやく。

 

部長は聞こえなかったらしく、機嫌良さげに船からこれから向かう島の方向を眺めていた。私はその傍らで思わずため息を吐く。

 

大学でどのサークルに入ろうかと迷っていたら、ミステリ同好会なるサークルを見つけて「お、見てみようかしら」と興味を惹かれたのが運の尽き。

 

まさかミステリ同好会に部員がひとりだけしかおらず、しかもその部員が構内きっての変人とは、足を踏み入れるまで予想もできなかった。

 

部長と少しばかりミステリ談義で盛り上がったかと思えば、すぐに入部が決まっていた。事情も教えてくれずに「ここにハンコを」という詐欺みたいな方法で。

 

何が予想外なのかといえば、意外と活動的な内容だったことである。てっきりミステリ談義に花を咲かせる程度だと思っていたのに。

 

部長はミステリ好きが高じて、「自分も何らかの事件に遭いたい」と願う人間であった。しかも、探偵役でも犯人役でも被害者役でも構わないという。

 

そんな部長に連れられてミステリの舞台になりそうな場所を巡る日々はひどく神経を使う。何せ、彼は犯人役もやりたい人間なのだ。いつ被害者役に仕立てられるやら。

 

「どうだい、ちょうどインディアン島のようではないか」

 

『そして誰もいなくなった』はアガサ・クリスティー先生の代表作のひとつである。クローズド・サークルものの作品であり、見立て殺人の原典でもある。

 

一見共通点のない、年齢も職業も性別もばらばらの十人の男女がインディアン島に招かれた。島の持ち主はオーエン氏という謎の人物である。

 

しかし、オーエン氏のことは誰も知らず、その場にも現れなかった。一同が怪訝に思う最中、レコードが流れ始める。それは、彼らの法で裁けない罪を告発する内容であった。

 

恐慌に陥る一同の中で、ひとりの青年が命を失った。彼は喉を詰まらせて亡くなったのだ。

 

それを皮切りに、次々とひとり、またひとりといなくなっていく。『10人のインディアン』の歌詞の通りに。彼らの中の誰かひとりが、『オーエン』だ。

 

「ほら、見たまえ。原作と同じだ。インディアン人形があるぞ。実に趣向が凝らしてあるな」

 

部長が何やら騒いでいる。見てみると、二つのインディアン人形が置かれていた。私は少し背筋が寒くなる。原作通りだと、私と部長はいなくなるじゃないか。冗談じゃない。

 

「そういえば部長、どうして私たちはここに来たんでしたっけ」

 

「どうしてって、何を言うのかね。招待を受けたからだ」

 

「招待って、誰の?」

 

「庵野という奴だ。とはいえ、僕も詳しくは知らないのだが」

 

「へえ……」

 

絶海の孤島。謎のインディアン人形。たとえば、今、私たちが来たあの船が行ってしまえば、私たちはこの孤島に取り残されることになる。

 

閉じられた中で起こる事件。次は自分かもしれない。誰が犯人なのか。なるほど、その緊張感が、我が身になってようやくわかったような気がする。

 

事件が起こるとするなら、私は被害者? それとも探偵? まあ、どちらでもいいかもしれない。何せ、どうせ誰もいなくなるのだから。

 

 

クローズド・ミステリの傑作

 

最近現職から引退したウォーグレイヴ判事は《タイムズ》の政治記事を熱心に読みふけっていた。やがて、彼は新聞をおいて、窓の外を眺めた。列車は今サマセットを走っていた。

 

彼は時計を眺めた。あと二時間だ。判事はインディアン島について新聞に現れたすべての記事を心の中でくりかえした。

 

ヨット好きのアメリカの富豪が島を買い取って、このデヴォンの海岸に近い島に贅を尽くした近代邸宅を建てた記事が最初だった。

 

ところが、邸宅と島とが売りに出されることになった。人目を引く広告が何回も現れた。そして、オーエン氏なる人物が買い取ったという簡単な記事が掲載された。

 

ウォーグレイヴ判事はポケットから一通の手紙を取り出した。ほとんど文字の判別のつかぬ筆跡だったが、ところどころに思いがけないほどはっきりとわかる懐旧の文句があった。

 

おなつかしきローレンスさま……ぜひインディアン島へ……非常に美しいところで……パディントンを十二時四十分……オークブリッジでお待ちして……発信者はコンスタンス・ミス・カルミントンと美しい筆跡で署名していた。

 

ウォーグレイヴ判事はレディ・コンスタンス・カルミントンに最後に会ったのはいつだっただろう、と回想した。七年、いや、八年も昔のことだ。

 

たしかに、コンスタンス・カルミントンは島を買い取って謎の生活を送ろうとするような女性だった。ウォーグレイヴ判事は自分が下した結論に自ら頷きながら頭を垂れた。彼は眠り始めた。

 

 

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