閉じ込められた十二人のデスゲーム『インシテミル』米澤穂信


「極限状態において、人間はどうなると思いますか」

 

 

 目の前に腰かけた老人がにやにやと笑みを浮かべながら言った。私はわからないと答えて肩を竦める。

 

 

 彼は黒い燕尾服をきっちりと着込んだ細身の老紳士である。しかし、その表情に浮かぶ笑みには、どこか俗じみたゴブリンのような醜悪さがあった。

 

 

「人は社会的な生き物です。集団の中で生き、他人を尊重し、自分の欲求を集団性の中に抑え込んでいる」

 

 

 蟻と同じなのです。集団のために働き、集団のために自分よりも何倍も大きな餌をせっせと運ぶ。

 

 

 しかし、と彼は続ける。

 

 

「私たち人間は蟻とは違います。遺伝子に社会性が刻まれている蟻とは違って人間は社会性を後天的に身につけたのです」

 

 

 本来、私たちはもっと自分の欲望を露わにしてもいい。しかし、社会からの監視の目があるからこそ、それが出来なくなっている。

 

 

 つまり、何が言いたい。私が聞くと、彼はにやりと笑った。

 

 

「人間を社会性から隔離し、閉鎖空間の中で命の駆け引きをさせる。そんな状況に置かれたとき、人間は果たしてどのような行動をするのか」

 

 

 空腹の馬の目前に人参を垂らせば、馬は体力が尽き果てるまで走り続ける。では、人間は?

 

 

「報酬は金銭。人間の欲望の中でも直截的なものです。欲望の前に、人間は果たして人間性を大事に保つことができるのでしょうか」

 

 

 彼の白く濁った瞳には背筋が凍るほど、一種の科学者に特有の、溢れんばかりの好奇心が湛えられている。

 

 

 老人はそれを調べるための具体的な計画を説明した。私が聞いてもそれはあまりも非人道的で異常な実験の真相である。

 

 

 しかし、私はその皴だらけの手を取った。彼はメフィストフェレスかもしれないし、このことがきっかけで私は破滅するかもしれない。

 

 

 彼は私の理解者だ。望むものをなんでも手に入れた私たちを苦しめるのは退屈である。

 

 

 我々は世界を買った。箱庭を買えば、中にある小さな人形を動かして遊ぶのは当然だろう。たとえば、その人形をわざと壊してみたり、とか。

 

 

 彼の手を取る私の顔にも、きっと彼と同じような笑みが浮かんでいるだろう。残酷な好奇心に囚われた醜悪な笑みが。

 

 

疑心と恐怖

 

 米澤穂信先生の『インシテミル』という作品を、私は映画として初めて知った。

 

 

 主演を俳優の藤原竜也さんが演じ、他にも綾瀬はるかさんや石原さとみさんなど、名優が多く出演したことで当時は大いに話題になった。

 

 

 私がその作品を知って、まず思い浮かべたのはアガサ・クリスティ先生の『そして誰もいなくなった』である。

 

 

 実際、その作品をオマージュしたモチーフがいくつも登場している。十二人のインディアン人形。閉鎖空間に複数の男女が閉じ込められる。

 

 

 しかし、もしも私が『インシテミル』のゲームの主催者であったなら、あの実験は期待した結果を得られなかったろうとも思う。

 

 

 「隔離された閉鎖空間で欲望によって活性化された命の駆け引きを目前にした男女の行動」を実験するのだとしたら、失敗だったのではないだろうか。

 

 

 その原因は「主催者」という明確な敵が共通の悪として存在していたことだ。そのことが原因で主催者の思い通りにならないことを指針にした者もいる。

 

 

 これでは実験の真意を測れないのではないか。本当に実験していたにしても、悪趣味な娯楽としていたにしても。

 

 

 老人の手を取った時、私はその本を読んだ時に思ったことを思い出していた。作中でも指摘がある通り、主催者のやり方には穴があり過ぎるのだ。

 

 

 私だったらもっと上手くできるだろう。私はそんなことを思ったのだ。老人の話はそのことを試すのにぴったりだった。

 

 

 出資は彼がしてくれる。退屈を紛らわすためにはカネを惜しまないとのことだった。彼は理想のパートナーだ。

 

 

 準備は万全だ。参加者も選定した。舞台も用意した。あとは実行するだけだ。

 

 

 私はかすかな緊張感を胸にモニターを見つめた。今までに感じたことのない高揚感に、自分の口角が持ち上がるのを感じた。

 

 

富を求めて集められた十二人が互いに疑い合うデスゲーム

 

 車がないと女にモテない。そう考えて、結城理久彦は車を買うことにした。車を買うことにしたので金が必要になった。

 

 

 ところが彼はただの学生で、金になる芸はいまひとつ備えていない。何も方法が思いつかなかったので、地道にアルバイトを始めることにした。

 

 

 大学は夏休みの真っただ中。結城はキャンパスを抜け出してコンビニに入った。探すのはアルバイト情報誌。一冊抜き取ってぱらぱらとめくり始めた。

 

 

 さあ、どうしよう。考えていると、横からふと声をかけられた。

 

 

 いつの間にか彼の横にひとりの女が立っていた。彼女は明らかに結城とは住む世界が違う雰囲気の美女であったから、結城は思わず後ずさった。

 

 

 彼女は須和名祥子と名乗った。アルバイト情報誌をどう読めばいいのかわからないから教えて欲しいとのことだった。

 

 

 彼女に教えながら塩梅の良いアルバイトを探していると、やがて彼女がひとつのモニター募集のアルバイトに目をつけた。

 

 

 年齢性別不詳。一週間の短期バイト。ある人文科学的実験の被験者。食事は三食提供。七日間、外部から隔離されたところで二十四時間の観察を行うとのことだった。

 

 

 時給は、なんと十一万二千円。

 

 

 あまりにも破格の条件だった。結城はアルバイト情報誌の誤植だろうと疑ったが、須和名はそのバイトに決めたようだった。

 

 

 ただ、もし、本当に自給十一万二千円なんてことがあったなら、中古の軽自動車どころかセダンを新車で買えるかもしれない。

 

 

 結城理久彦は、車が欲しくて応募した。

 

 

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