ようするに、誰でもよかったのだ。それが真実かどうかは関係がない。真実でなくても、選ばれた時点で、それを世間が真実にするのだから。
「違う! 私は魔女じゃない!」
半狂乱になりながら必死に叫ぶ彼女を、裁きの場に居合わせた人々は擁護することもなく、ただ眺めていた。
いつもにこやかなおじさんの、優しい大好きなお兄さんの、頭を撫でてくれるおばさんの、彼らの口元には隠し切れない笑みが浮かんでいた。
それは優越か。それとも、嘲笑か。自分ではない罪人が裁かれるのを見るのを、彼らは楽しげに見ていた。
「お願い! 助けて! 助けて!」
きれいだった黒髪も色褪せて、激しい拷問の末に美しかった顔はやつれている。彼女も、先日までは彼らと同じところで笑みを浮かべていた。
いつもきれいで羨ましいわ。あなたがいい人を見つけたら、生まれてくる子供もさぞかわいいんでしょうね。
そんなことを言って、いやだそんな、と恥ずかしげに顔を伏せる彼女を微笑ましく見ていたおばさんが、今は笑みを浮かべながら変わり果てた彼女を見ている。
あの子、魔女なんですって。まあ、私はわかっていたけどね。それにしても、騙されるところだったわ。怖いわね。
魔女だという疑惑が、彼女への言葉を変えさせた。彼女に向けられていた賛美の言葉は、瞬く間に中傷に姿を変えた。
「何を言っている。お前は白状したじゃないか」
査問官の偉そうな男が言うと、彼女はびくっと肩を震わせて、やがて、力なく項垂れた。査問官は嗜虐的な笑みを浮かべて、ふんと鼻で笑った。
『魔女に与える鉄槌』を参考に考案された魔女の発見方法は凄惨の極みと言えよう。たとえ、魔女であろうとなかろうと、女性がそれに耐え続けることは難しい。
彼女たちが永遠とも続く苦痛から逃れる術はたったひとつ。「自分が魔女だ」と自白することだ。
自白すれば、苦痛からは逃れられる。けれど、邪悪な魔女は生きてはいけない。だから、処刑される。
「魔女」だと疑われた時点で、彼女たちの平穏な人生は終わったようなものだ。耐え抜いたとしても、そこから先は村八分にされることは目に見えている。
「お願い……誰か……誰か……」
力なく呟いている彼女が魔女ではないことは知っている。いや、見ている彼らはみんな、彼女が魔女ではないことなんて知っているだろう。
けれど、彼らが助けることはない。それは、彼女が魔女であろうとなかろうと、彼女が内心では嫌いで、苦しむ姿を見るのが楽しいからだ。
都会と違って、辺境のこの村には、何の娯楽もない。この魔女裁判は、いわば一種の最高の娯楽だったのだ。
くだらない、と私は思う。日頃、大人は偉そうに「人に優しく」だとか、「みんなで助け合って」なんて言っていても、所詮はこんなものでしかない。
彼らも面白半分に虫を潰す子どもと同じだ。脚を千切られてもがいている虫を、じっと眺めて歪な笑みを浮かべている。
彼女は魔女じゃない。それ以前に処刑されてきた人たちも。だって、彼女たちを、魔女だと告発したのは私なのだから。
お前も魔女だ
魔女なんていない。教会は「魔女はいる」と言っていたけれど、何人もの魔女を告発してきた私が知った結論はそれだった。
いや、厳密に言えば、いる、ともいえるかも。でも、それはたとえば、鬼ごっこの「鬼」みたいなものだと思う。
追いかける人を見て、「鬼」が来た、と言う。でも、彼が本当に「鬼」ではない。それと同じ。
ようするに、誰でもいいのだ。どうでもいいのだ。それが本当に「魔女」かどうかは重要じゃない。
自分じゃない誰かにタッチして、「魔女だ」と言う。そうすれば、彼女は事実がどうあれ、「魔女」になる。
それはただの遊びに過ぎない。最初からそうだったし、今もそう。人の命を弄ぶ遊び。
魔女を見つける方法を試して、査問官は楽しむ。そして、裁判で決まりきった結末を告げて、処刑する様を見て、みんなが楽しむ。
それはショーみたいなもので。「正義」だなんだというけれど、そもそも「正義」ってなんだろう。
どちらが正しいかを決めるのは、きっと私たちじゃない。査問官も、あなたたちも、教会も。
私が魔女だと何度も告発して、たくさんの罪のない人たちが苦しんでいるのは、楽しかったでしょ? ざまあみろって思ったでしょ?
そんな邪悪な笑みを浮かべるあなたたち「正義の善人」が、誰よりも裁かれるべき「魔女」だと思うね。もちろん、私も同罪だけど。
次に生まれた時は、火星がいいな。何がどうなったって、私たち「善人」がいる限り、世の中は良くなったりなんてしないんだから。
多くの魔女を告発してきた彼女は、子どもらしからぬ凄惨な笑みを浮かべたまま、短い人生に幕を下ろした。
正義と正義
防災訓練の打ち上げという名目で、各町内会の役員たちがお店に集まっていた。
「安全地区」となっている今年は、大掛かりな対策を実践しなくてはならなかったため、役所や警察の関係部署の人間たちも、無事に終わったことにほっとしていた。
「嘘発見器の悲劇、という話を知っていますか」
その話題を口にしたのは、岡嶋の前に座る体格のいい男、蒲生義正だ。彼が何の仕事をしているのかは聞いたことがなかった。
「犯罪者を見つけるために嘘発見器を使うとしますよね。その機械をどの程度、厳しく反応させるのかが重要らしくて」
たとえば、的中率九十パーセントの装置があるとする。しかし、十万人を調査したとすれば、残りの十パーセント、一万人弱の無実の人間が誤って、犯罪者だと判定されてしまう。
「ようするに、嘘発見器を使っても、たくさんの濡れ衣の人たちを巻き添えにしちゃうってことなんですよ。それもあって、地域安全の『あれ』が採用されることになったんじゃないか、と」
あれ、が何を指すのか岡嶋にはすぐにぴんと来た。岡嶋以外の人間も同様だったはずだ。心なしか体を強張らせ、肩を竦め、首を短くする格好になる。
怪しい人物がいないかどうか、不審な言動の人物はいないかどうか、一般住人から情報を得ることで、調査対象の範囲を狭めることができる。
警察の部署、「平和警察」はその狭められた対象に対し、調査を行えばいい。ある程度人選した後であれば、嘘発見器を使う選択肢もあるかもしれない。
平和警察の公開処刑は四か月に一度、公開される。テレビはもちろん、ネット中継もされない。そのことが余計に、人々の関心を強くした。
「中世の魔女狩りは、社会の不満や不安を解消する目的もあったみたいですね」
ただ、今の平和警察が処刑するのは、危険人物とされた人だけですから、普通の人たちには関係ないですよ。岡嶋は言った。
「そうよね、真面目に生きている分には」
「ええ」
頭に、ひとつ、但し書きめいた言葉がよぎる。嘘発見器の悲劇がなければ、と。
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