「お前、オズワルドになる気はないか?」
彼の言葉の意味を、私は聞いた瞬間、理解できなかった。彼が何を言いたいのか、どうにも意味を掴みかねた。いつも率直にものを言う彼との会話では、珍しいことだった。
「オズワルドって誰だよ」
「アメリカのケネディ大統領の事件、知ってるだろ。その犯人だ。リー・ハーヴェイ・オズワルド」
あの事件の犯人はそんな名前だったのか。ケネディ大統領の事件は知識として知っていた。とはいえ、パレード中に撃たれた、とか、その程度だが。
「あの事件には未だに不可解な点がいくつもある。それなのに、オズワルドが犯人だと半ば断定されたのはどうしてだ?」
メディアがそう報道したからだ。彼がそう言い切る。不可解な点があっても、メディアがそう言ってしまえば、世間はそう言うことになるんだ。
「なんだそれ、陰謀論みたいだな」
私は思わず笑ってしまった。けれど、彼の表情は崩れない。普段はにやついている彼の表情は、今日に限っては笑みひとつもなく、常に緊迫したように引き攣っている。
落ち着きなく身体を揺らし、視線をあちらこちらへと移動させている。まるで何かを探しているようだ。
「考えたことはないか。お前たちはテレビで見た情報を、こんなことがあると自慢げに友達に話す。それは、テレビで見た情報が本当だと信じているからだ。そうだろ」
「それはそうだろう。テレビが嘘をつくわけがない」
「なぜだ。なぜそう言い切れる」
「それは、法律でそう決まっているじゃないか」
「じゃあ法律を守らせる側がテレビに嘘をつかせていたとしたら」
「そんなこと、ありえないだろう」
「なぜだ。なぜありえないと言い切れる。そんな保証なんてどこにもないのに」
私は何も言い返せなくなって黙り込む。あまりにも荒唐無稽だと思いつつも反論できない。それは、たしかにそうだと感じ始めていたからだ。
私たちはテレビで見た情報は正しいだろうと信じている。しかし、テレビを流しているのはテレビ局だ。
もしも、その放送内容を自由に操作することができれば、国民の意識をある程度操作することが可能なのではないだろうか。
ならば、もしも警察や政治家がそれをしたとするならば、国民すべてが国家権力の思い通りに信じ込まされている、ということだって。
そこまで考えて、私は首を振る。あまりにも幼稚な陰謀論だ。そんなことが現実に起こりうるわけがない。
「お前が信じている現実は、本当に正しいのか?」
彼の問いに、やはり私は答えられない。
真実は自分だけが知っている
「前に貸してやった本があるだろ。あれ、憶えているか」
私は少し記憶を辿る。思い出したのは、伊坂幸太郎先生の『ゴールデンスランバー』だ。
彼は伊坂先生の作品が好きで、何冊かを貸してくれていた。『ゴールデンスランバー』はその中の一冊だった。
元宅配ドライバーの青柳雅春は、首相を狙った事件の犯人として警察に追われるようになる。
しかし、それはまったくの濡れ衣だった。にもかかわらず、そう主張しても、耳を貸してはもらえない。
それどころか、犯人を青柳だと示すような証拠が次々と出てきて、世間は青柳を犯人だと決めつけているようだった。
青柳は昔の友人や行く先で出会った人たちの助けを借りながら、自分の無実を証明しようと試みる。そんな話だったはずだ。
読んだ時、私は今まで自分が信じていたものが崩れていくような不安感を覚えた。犯人役として押し付けられた青柳は日本中から追われることになった。
警察やテレビ、社会そのものが彼を犯人に仕立て上げた。それは、いつ自分の身に降りかかってきてもおかしくないのだと思わせる恐ろしさがあった。
イメージで世界は動いている。そこに真実なんてものは関係ないのだ、と。そのことを実感できるような作品だった。
「そういえば、あの作品にもオズワルドって出てきたな。青柳が『お前、オズワルドにされるぞ』って言われて」
「そうだな」
私は言葉に詰まった。彼の言葉を思い出したからだ。オズワルドになる気はないか。もしも、それが『ゴールデンスランバー』になぞらえたのだとしたら。
「なあ、オズワルドになるってのは、そういうことなのか」
彼は何も答えない。けれど、彼の視線がどうして忙しないのか、わかった気がした。私たちは監視されているのだ。社会そのものから。
事件の背後にある真実
二十年前、金田貞義首相の事件が仙台で起きた際、マスコミは当然ながら大騒ぎだった。
テレビや新聞は警察庁の発表を垂れ流し、真偽不明の一般人からの情報を次々と放送し、視聴者の感情を煽った。
青柳雅春を犯人とした根拠は状況証拠ばかりだったにもかかわらず、その実名が異常なほど初期の段階から、テレビで流れたのは驚くべきことだった。
平穏な状態では、誰もが正論を吐ける。人権を主張し、正攻法を述べる。が、嵐が始まればみんな、浮足立つ。正しいことを考える余裕もなく、騒ぎに巻き込まれる。
金田貞義事件の真相については、二十年が経過した今も明らかになっていない。
二十年が経過しても、事件の真相が見えてこない理由の最大のものに、関係者の多くが亡くなっている、ということがある。
このように、金田貞義首相の事件に関連する者たちが、事件から年月を空けず、亡くなっている事実はやはり、興味を惹く。
さまざまな人間の口が閉ざされた今、真相については推測するほかない。
ただ、ひとつだけ確かなことがあるとすれば、それは二十年前のあの時、日本中が追いかけた青柳雅春が、犯人であると信じている者は今や一人もいないだろう、ということだ。
逃げ続けていた二日間、青柳雅春がいったい何を考えていたのか、誰にもわからない。
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