私はじっと天井を見つめていた。飾り気のない石天井の片隅に主のいない蜘蛛の巣が張っている。
黴だらけの薄い毛布を掛けただけの寝床から身を起こすと頑強な鉄格子が目に入った。
鍵のかけられたその扉が開くことはない。そこが開かれるのは鐘が鳴らされた時だけだ。
鐘が鳴った。労働の時間だ。鍵の開く音がして、鉄格子がゆっくりと開かれた。
見れば、隣の格子の奥からも私と同じようなみすぼらしい服をまとった青年がゆっくりと出てくる。
その表情は彼から若さゆえの精力を根こそぎ奪われていた。生気の抜けきった濁った瞳が茫然と虚空を眺めている。
彼の幽霊じみた足取りの後ろに、私もついていく。私の足取りも、瞳も、顔つきも、また彼と同じなのだろう。
ただ、無心でツルハシを振るう。腕が労働による痛みを訴えているが無視をする。金属質の石を叩く音がそこらじゅうに響いていた。
再び鐘が鳴ると、私たちは元いた鉄格子の中へと戻る。疲れた身体の節々が軋む。格子の中で、私はほうと息を吐いた。
すぐに疲れた身体を横たえて、泥のように眠りたい欲にも駆られたが、私はそれを抑えて机に向かった。
小さな電気スタンドをつけると、蛾がふらふらと近寄ってくる。それを手で払いのけて、明かりの下で一冊の本を開いた。
安部公房の『砂の女』である。閉じ込められた男の姿が、今の自分の現状と重なっていく。
住んでいると思えば家になり、閉じ込められていると思えば牢になる
私は本を閉じて、電気スタンドを消した。灯りに執心していた蛾が所在なさげに飛び回って、とうとう石壁の隅に落ち着いた。
もう見慣れてしまった天井を見つめて、私はまだその天井を見慣れていなかった頃の自分に想いを馳せる。
ここに来たばかりの頃、私はどうにかしてこの場所を出ようとしていた。ここから出るためならば、一切の手段も問わなかった。
しかし、そのどれもが失敗に終わった。
私にはもう、再び脱出を試みるほどの気力はない。私の中に常に燃え続けていた熱量が、今や尽きたかのように燻ぶっているだけである。
思いつく限りの方法を次々に挫折した私は、いつしか脱出に向けた意志それ自体が折り曲げられてしまったのだ。
そもそも、私はこの劣悪な環境に順応しつつあった。最初は嫌で嫌でたまらなかったこの場所が、今では少し居心地が良い。
労働で疲れた身体をこの汚い寝床に横たえた時、私の胸にはまぎれもない安堵と癒しがあったのである。
まさしく『砂の女』の男のようだ。私は思わず天井に向けて自嘲した笑みを浮かべた。
女こそいないが、この鉄格子の中はまさに砂の中に開いた穴そのものだ。見えない砂が私を呑み込んでいく。
また鐘が鳴る。砂掻きの時間だ。鉄格子の鍵が開けられる音が聞こえた。
砂に呑まれていく集落で女とともに閉じ込められた男の脱出劇
ある八月の午後、ねずみ色のピケ帽の男がひとり、S駅のプラットホームに降り立った。
彼の目的は新種の虫を捕まえることである。海を目指して歩き続けた彼は、やがて小さな部落に辿り着いた。
砂丘を登っていくにつれ、厳しくなっていく傾斜に比例するように家はどんどん窪みに沈んでいくかのようだった。
男は集落にいた老人に話しかける。しかし、彼の言うところによると、もう上りのバスはないらしい。
泊まる場所を尋ねると、案内されたのは部落の一番外側にある穴のひとつだった。
老人は縄梯子の場所を教えると、下には降りずに引き返していった。男は老人に言われた通りに縄梯子で穴の下まで降りる。
穴の底でランプを掲げて迎えてくれたのは三十前後の小柄な女だった。花の女にしては色白である。
家は我慢しかねる代物だった。壁は剥がれ落ち、柱は歪み、窓には板が打ち付けられ、畳はほとんど腐る一歩手前というものだった。
女と話していると、集落の人からスコップを渡される。女が言うには、砂掻きをしないと家が埋まってしまうらしい。
客人にも手伝わせるのかと釈然としないものの、男は足元の砂に先のめくれたスコップの刃を力任せに突き立てた。
翌朝、目をさまして外に出た彼は愕然として砂の壁を見つめた。昨夜はそこにかかっていたはずの縄梯子がなくなってしまっていたのである。
砂の壁は傾斜がなく、それは断崖絶壁であった。登ろうと手を掛けると、砂の中に手が沈んでいって一向に登れない。
彼は閉じ込められたのだ。女と二人、この砂掻きをしないと潰れてしまうような家に。
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