戯作することの恍惚の喜び『戯作三昧・一塊の土』芥川龍之介


ただ書いていたい。それが生物としての営みに反した、常人には理解しがたい欲望であることは理解していた。しかしそれでも書かずにはいられない。それが私が私である唯一の証明なのである。

 

戯作三昧。私が好きな言葉である。意味もさることながら、何より響きが気に入った。思わず口ずさみたくなるような独特のリズムがある。

 

かの大文豪、芥川龍之介の作品にもそんな題名のものがある。『戯作三昧』。私はかの文豪を敬愛しているが、『地獄変』と並んで私がもっとも好きな作品のひとつであった。

 

滝沢馬琴、あるいは曲亭馬琴。かつて代表的な娯楽本として愛された大作『南総里見八犬伝』を書いた男である。『戯作三昧』は、彼を書いたものだ。作家を描く物語とはこれ如何に。

 

それは彼の作家としての輝かしい経歴を描いている、わけではない。創作者としての彼の葛藤と、身体につきまとう老い、世間からの勝手な評価、心躍る伝記小説には描かれない、生身の作家自身の内面を緻密に捉えていく。

 

同じく作家として名を馳せていた芥川龍之介にも重なるところはあったのだろう。だからこそ、これほどまで生々しく彼の内面を描くことができたのかもしれない。

 

彼の名声に絡みつく諸々に葛藤しながらも、最後には創作の愉しみに沈み込んでいくその作品は、『地獄変』と並んで芥川の芸術至上主義を象徴する作品だと言われている。

 

一方で、創作の傍らに「死」の香りが漂っているのも、『歯車』にあるような幻覚に悩まされた挙句の自殺によって人生の幕を閉じた芥川の生涯に重なるところがあるように感じた。

 

いわゆる作家が「死」に惹かれるとは言わないが、芥川は太宰と並んで、特別、「死」に魅せられていた作家のように思う。

 

作家は書くために生きねばならない。そのためには生活を蔑ろにすることはできず、ただ無垢に芸術を追いかけ続けるわけにはいかない。

 

滝沢馬琴は当時としては数少ない、小説によって生計を立てた人物である。しかしそれでも、『戯作三昧』では家族から「大した金にならない文字ばかり書いて」と苦言を呈されている。

 

彼ですらそうなのだから、名声も人気もなく、創作によって金を得るにもかなわない人が世間から如何なる目で見られるか、想像には難くないだろう。

 

世の人は必死に働き、それによってようやく生計を立てている。彼らからしてみれば、金にもならない創作なんぞはまったくの無意味に見えるかもしれない。

 

しかし、彼らは知らないのだ。その創作に捧げている人にとっては、生きることよりも創作する欲望の方が上に来ることを。書くことが許されないのなら、生きることの意味すらなくなってしまうのだということを。

 

私は物書きを自称している。だが、書いている作品も片手で足りるほどしかなく、もちろん、それで金を得たこともない。人から見れば物書きとすら言われないだろう。だが、それでも私は物書きを自称する。

 

書けねば生きる意味はない。だが、書くためには生きねばならない。しかし、書くことで生きることはできない。ならば、何らかの手段で金を得なければならない。だが、そのためには時間が必要である。そして、書くことにも時間は必要なのだ。

 

この矛盾は、私だけではなく、作家を志す人たち全てが抱いているものであろう。生きている限り、その耐えがたい矛盾から解放されることはない。

 

人間はそもそも多くの矛盾を抱えざるを得ない生き物である。だが、作家はその矛盾と真正面から向き合わなければならない。彼らの苦しみは、いくら有名になろうとも解き放たれることはない。

 

彼らとて、わかっていたのだろう。それは苦痛に満ちた道である、と。だが、それがわかっていようとも、書かずにはいられなかった。

 

その矛盾している思考を、常人はなかなか理解できないに違いない。だが、そんなものは関係ないのだ。世間も、社会も、自分の生死までも、関係はない。

 

自らの肉体にまとわりついている、あらゆるものを削り落とした末に最後に残ったもの。それが創作への欲求である。私もまた、そうありたいものだと願っている。

 

 

戯作三昧

 

天保二年九月の或午前である。神田同朋町の銭湯松の湯では、朝から相変わらず客が多かった。式亭三馬が出版した滑稽本の中で「みないりごみの浮世風呂」と云った光景は、今もその頃と変わりはない。

 

つつましく隅へ寄って、その混雑の中に、静かに垢を落している、六十あまりの老人がひとりあった。老人は片々の足を洗ったばかりで、急に力がぬけたように手拭いの手を止めてしまった。そうして、濁った止め桶の湯に、鮮やかに映っている窓の外の空へ眼を落した。

 

老人の心には、この時「死」の影がさしたのである。一切の塵労を脱して、その「死」の中に眠ることができたなら、どんなに悦ばしいことであろう。自分は生活に疲れているばかりではない。何十年来、絶え間ない創作の苦しみにも、疲れている。

 

「いや、先生、こりゃとんだところでお目にかかりますな。どうも曲亭先生が朝湯にお出でになろうなんぞとは手前夢にも思いませんでした」

 

老人は、突然こう呼びかける声に驚かされた。見ると彼の傍らには、血色のいい、中背の細銀杏が、止め桶を前に控えながら、濡れ手拭いを肩へかけて、元気よく笑っている。

 

「相変わらずご機嫌で結構だね」

 

馬琴滝沢琑吉は、微笑しながら、稍皮肉にこう答えた。

 

 

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