働く、とは、いったい何だろう。僕たちはいったい、何のために働いているんだろう。
考えるまでもなく、答えは浮かぶ。もちろん、お金のためだ。お金を稼ぐために働く。決まっているじゃないか。
じゃあ、どうしてお金を稼がなければならない。生きていくのにも、お金が要るから。多くの人は、そのはずだと思っている。
でも、たまにそうじゃないような人たちがいる。仕事そのものが、生きていく理由になっている人たち。
「ほら、何を難しい顔してんの。笑顔だよ、笑顔」
上司に背中を軽く叩かれて我に返った。ぎこちなく、無理やり笑顔をつくると、彼は色黒の顔をにかっと気味悪いくらいの笑顔にして、そのまま去っていった。
彼は、まさに「仕事好き」の人だろう。会話する内容と言えば仕事のことばかり。仕事をすることが楽しくて仕方がないようだった。
そういった人たちのことを、羨ましいとは思う。けれど、彼らのようになりたいとは、微塵も感じない。
僕は心底、働くことが嫌で嫌で仕方がなかった。今の仕事をやめたいわけじゃないけれど、「働く」ということ自体が嫌いだったのだ。
僕はいっそ、仕事なんてやめたいといつも思っていた。けれど、「働かずに生きていきたい」というと、誰もが冷たい目で僕を見る。
どうやら、世の中の人たちは働きたくて仕方がないらしい。日頃どれだけ仕事の文句を言っている人でも、僕が「働きたくない」というと、軽蔑の視線を向けるのだ。
僕はどうしても理解ができなかった。どうして、誰も彼もが「働く」ことを当然のように受け入れているのだろう。どうして「働かない」という選択肢を、考えようともしないのだろう。
図書館の本を眺めていると、随分と刺さるタイトルの一冊を見つけた。海猫沢めろんという変わった名前の先生の、『ニコニコ時給800円』という作品だ。
マンガ喫茶やアパレルショップ、野菜の直営販売にオンラインゲームのGMなど、低収入で働いている人たちのちょっとヘンな仕事風景を覗く短編集。
思っていたよりも楽しく読めたのは、マイナーな職種の裏側が見られて新鮮だったのと、登場人物が個性的だったからだ。
正社員に就くよりは、僕はバイトとして働く方が断然好きだった。なにせ、正社員になると相応の責任が求められるし、会社に縛られてしまう。自由度がなくなるのだ。
バイトは給料こそ安いけれど、気楽だ。やめさせられることがあるというのも、そもそも働くことが嫌いな僕からしてみれば苦じゃない。お金にこだわりもないし。
だからだろうか、安い給料で雇われて正社員ではない形で働く彼らには、むしろ共感を覚えた。
でもやっぱり本質は違う。それほど安い給料であっても、やっぱり彼らは当然のように働いているのだ。
と思って読んでいたけれど、ふと、ぼくはひとりの人物に惹きつけられた。それは、最後の短編に登場する、ヒキオタニートを自称する男だ。
「遊んで暮らして、誰かを楽しませて、カネをもらう」
これだ。僕は思った。これこそまさに、僕がやりたかったことだ。僕はその言葉を自分の中に刻み込むように、繰り返し読んだ。
その言葉を否定されたときの、彼の「できる」という力強い断言が、いっそう僕の心を奮い立たせた。
楽しさはお金じゃ買えない。楽しさの価値が上がれば、お金の価値は下がり、夢のような暮らしができるようになる。
無理に決まっている、なんて、最初から否定するから、できないのだ。僕もいっそ、テントで生活してみようかな。なんて、想像して思わず笑ってしまった。
時給800円の仕事
履歴書を見たカザマ店長は、なぜ彼がこんなところに来ているのかさっぱりわからぬというように、きょとんとした顔をした。
それは隣の椅子に座っている社長も同じであったらしく、社長は伸ばした両腕で履歴書を持って、ずれたメガネの上からそれを睨み、彼にこうたずねた。
「キノキダさん。東大法科大学院修了予定ってあるんだけど。えーと、弁護士とかになるの?」
「はい」
「そうなんだ。研修期間ってことで時給は800円だけどだいじょうぶ?」
「はい。だいじょうぶです」
「どう思うカザマ店長」
中卒のカザマ店長にわかることといえば、面接に来ているキノキダとかいう子の青年が、鬼のように勉強ができるということだけだった。
やばい。東大生とか、初めて見た。東大に行くくらいだ。たぶん家は大金持ちで、昔から執事とか家庭教師とかに帝王学とかを叩きこまれてきたのだろう。なんてこった。同じ人類とは思えない。
「カザマ店長?」
「え? あ。はい。ええ、いいんじゃないッスかね」
電器店の二階にある「まんが合衆国」は、創業三十年の老舗マンガ喫茶というキャッチコピーを掲げているが実のところその歴史は捏造で、十年前までは今時珍しい貸本屋であった。
老舗であるからして、多くのマンガは近所の床屋の待合室にあるような具合に日焼けしてくたびれているし、セレクトがわりとシブい。
面接が終わった後、履歴書をしげしげと見つめて社長が言った。
「東大かあ……すごいな。東大生って何食べるんだろうな。店長。どう思う」
「松屋の牛めしとかじゃないッスか。てか、普通に同じ人間じゃないスか?」
嘘だった。超人だと思ってた。カザマ店長は帝王学という言葉を何度も呟く。自分で想像したにもかかわらず、頭から離れない。
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