金さえあればなんでもできる。私は昔からそう信じていた。お金で買えないものはたくさんある、なんてよく言うけれど、ただのきれいごとだ。世の中はそんなにきれいなものじゃない
私の家はとても貧乏だった。欲しいものは何も買えなかったし、クラスのみんなと比べても汚かったり安かったりする服を着ている自分が恥ずかしくて仕方がなかった。
だから、大人になって、私はとにかく給料が高い職業に就いた。私の物事の基準はお金だったし、それがもっとも確実で、もっとも揺らがない基準値だったのだ。
「守銭奴」だの「金がすべてじゃない」だの、いろいろなことを言われたこともあるけれど、そんなのはちっとも気にならなかった。金がすべてだからだ。すべては金額によって価値がつけられている。
「ねえねえ、この本の主人公さ、どこかあんたに似てるよぉ」
友人がそう言って一冊の本を見せてくる。『元彼の遺言状』というタイトルである。いかにもキャリアウーマンっぽい女性が髪をたなびかせているけれど、私はそれより、ひらひらと舞っているお金に目が眩んだ。
「貸してあげるからさ、読んでみなよ」
「お金取らないよね?」
「どうしよっかなぁ」
と言いつつ、無料で貸してくれた。だから彼女とは友達を続けているのだ。ともかく、「お金はいらないけど感想は聞かせて」とのことだったし、せっかくだから読んでみることにした。
主人公、剣持麗子は弁護士である。しかし、それはもうインパクトの強いキャラクターだった。なるほど、彼女と私が似ているということか。私は読みながら納得した。
彼氏からのプロポーズを、指輪の小ささを理由に断り、彼氏を残して店から出る。ボーナスが減額されたことに怒り、上司に啖呵を切って仕事を休職する。とにかく金に対して貪欲な女性だ。
休職中、彼女は元彼の森川栄治が亡くなっていることを知る。共通の知り合いだった篠田の話では、その彼の遺言状が動画でアップされ、話題になっているという。
『自分の命を奪った犯人に自分の財産を全額譲渡する。三か月以上犯人が特定できなかった場合、財産はすべて国庫に帰属させる』
森川栄治の死因はインフルエンザであるらしい。そして、篠田は自身がインフルエンザに罹患した直後、栄治に会っているとのことだった。篠田は、「遺産を受け取ることはできないか」と麗子に持ち掛ける。
麗子は、受け取った遺産の半額をもらうことを条件に、彼と手を組むことを決める。策を練って森川家に近づいた麗子は、次第に、奇妙な遺言状に隠された真実に迫ることになる。
遺言状の謎を解明することが目的のミステリ。であると同時に、この物語のもうひとつのテーマは「お金」だろう、と私は感じた。
遺産相続の話は現実でも泥沼になりかねない。そこにはいつだってお金に対する人の欲望と執着がある。お金は人の醜悪さを表に引きずり出す。
だが、この作品は莫大な金額の遺産相続の話であるにもかかわらず、驚くほどお金については淡泊だった。執着しているのは主人公の麗子くらいで、篠田も、森川家も、その金額に対する執着は見られない。
お金よりも大切なものがある。この物語は、そう訴えているような気がした。今まで、多くの人たちが私に対して言ってきたきれいごと。
それが今までよりもすっと胸に入ってきたのは、その「大切なもの」が、決してきれいなものではないのだということを、この作品が隠していないからかもしれない。
私がお金を好きな理由。それは、もちろん、お金があればなんでもできる、というのもあるけれど、本当の理由は、お金がとてもきれいなものだからだ。
愛。友情。家族。本当に汚いのは、お金を取り巻く、人間の情や業だ。「お金で買えない」とされているそれらが、一番汚くて、醜い。それこそ、人の命を奪ってしまいかねないほどに。
お金に罪はない。罪はいつだって人にある。お金に対する欲望に目を背けて、自分の醜さをお金に押し付けているその姿こそが、何よりも汚いものだと私は思っている。
奇妙な遺言状
栄治が亡くなったのだという。栄治は年齢でいうと私の二つ上だったから、まだ三十歳にすぎない。
どうしてだろう。それが最初に思ったことだった。いったいなぜ亡くなったのか、不謹慎ながら興味がそそられた。ちょっと考えてから、大学のゼミの先輩で、栄治とも交友が深かった篠田という男にメールを打った。
私たちはマンダリンオリエンタル東京で落ち合った。もともと背の低い男だったが、数年ぶりに会っても、やはり当然ながら、背は低かった。
「相談したいことって?」私は話を切り出した。「栄治の死にも関わることなんだけど。弁護士である麗子ちゃんの意見も聞きたくって」
篠田はそういうと、携帯電話を取り出して、ある動画投稿サイトを画面に表示させた。
「栄治の叔父、銀治さんっていうんだけど、いい歳して、動画投稿の収入で生活しているみたいで」
そう言って篠田が見せてくれた動画には、「門外不出! 森川家・禁断の家族会議」という大袈裟なタイトルが付されていた。
六十歳前後と思われる、短い銀髪の、よく日焼けした精悍な男が、画面に入ってきて、「えー、みなさん」と画面にむかって声をひそめて話し始めた。この男が銀治のようだ。
「先日、僕の甥の森川栄治くんが亡くなってね。その遺言が発表されるってことで、今日、僕たちは集まりました。栄治くんは数年前に、かなりの遺産を婆さんから相続したんだよね」
間もなく、栄治の顧問弁護士という老年の男が登場し、栄治が作成したという遺言状を読み上げ始めた。その内容が、一度聞いただけでは自分の耳を疑ってしまうほど、誠に不可思議なものだった。
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