私は家族のことが大好きだ。今まで育ててきてくれたことを感謝しているし、大切な人たちだと言えるだろう。けれど、彼らからできるだけ離れたいと思っているし、決してわかり合えることはないだろうと思っている。
日本ではよく、「親を大切にしなさい」と言われる。日本人にとって遥か昔から「家族」というのは特別なもので、何よりも大切なものだった。
温かなファミリードラマなんてよくテレビで見かけるし、家族がいないことを「かわいそう」とか言う。「家族になろうよ」なんて曲もあったっけ。
けれど、そんな家族賛美を目にする度、耳にする度に私は思うのだ。果たして、家族とはそれほど良いものなのだろうか、と。
もちろん、家族が居なければ今の自分は存在していない。それだけは間違いない事実である。家族がいたからこそ、今の自分自身がいる。
しかし、「家族」は絶対に自分の助けになってくれるか、と言えば、そんなことはない。昨今、世間では、親の虐待やネグレクト、果ては子どもによる親の殺人事件など、家族内での事件には事欠かない。
昔から、私の頭の中にある考え方。法律では、「家族」もまた、「他人」なのだ。自分以外の人は、みな他人と称するらしい。私はそれを知ってから、ずっとそのことが引っかかっていた。
言い換えるならば、「家族」はもっとも近くにいる「他人」である。「他人」である以上、親も子どももそれぞれ違った価値観を持ち、そこには軋轢が必ず生じてしまう。
「家族」の厄介なところは、その距離が近すぎるゆえに、「他人」だと認識しづらいところにあると、私は思っている。
幼い頃、「家族」であっても法律では「他人」と呼ぶのだと無邪気に母に話したら、険しい表情で「じゃあもう食事とか作ってあげないよ」と言われたことがあった。
「他人」とは読んで字のごとく、「他の人」という意味だ。つまり、自分以外は誰であっても「他人」である。同じ環境で育っていたとしても、まったく同じ価値観、まったく同じ考え方を持っているわけではない。
そのことを、よく理解しなければ、「家族」というひとつの居場所は途端に変貌し、互いを傷つけあうような、ぞっとする空間になってしまう。
『家族じまい』という作品を読んだ。桜木紫乃先生の小説だ。ひとつの家族を中心として、視点を変えたいくつかの短編が載せられている。この作品を読めば、同じ家族といっても、その関係はさまざまであることがわかるだろう。
長女の智代は人生を振り回した父を嫌って家族と距離を取るようにしてきた。逆に、家族を大切にすべきという考えから、次女は認知症になり始めた母とその介護をしている老いた父の世話を積極的に焼こうとする。
一方で、認知症になった母の姉は、実の娘から絶縁を宣言されても平気な顔をしている。自分と家族とを完全に分けているように見えるけれど、認知症になった妹への接し方には確かな愛情が感じられた。
世間では、家族を大切にする次女が「良い娘」だと呼ばれるのだろう。逆に、長女のことは「不良」と呼び、娘に絶縁されても涙ひとつ流さない老婆のことは「ひどい親」だと名付けるに違いない。
けれど、果たして「家族だから大切にすべき」と、さながらそれを義務のようにするのは、どうなのか。次女は理想の娘としての自分の職務と妻としての自分の役割に挟まれ、精神を摩耗させていった。彼女と同じような家族はきっと多いだろう。
日本で良いこととされてきた「家族賛美」は、横暴な親や兄弟から逃げる意思を奪い、家族を愛することを義務として背負わせる足枷のようになってしまった。
感謝したいならばすればいい。憎みたいなら憎めばいい。愛する家族だからこそ、世間の義務ではなく、自分自身の意思で愛したい。互いに「他人」であるからこそ、そんな家族になりたいと思うのだ。
崩れていく家族の形
月曜の朝、啓介の後頭部に十円玉大のハゲを見つけた。玄関先で見送ったあと、角を曲がるまでのあいだ、智代は窓から啓介の後ろ姿を追った。
師走に入り、土曜と日曜は智代が終日美容室のパートに出ている。啓介の後頭部にできた円形脱毛の、理由はわからない。
本人は気づいているのだろうか、という疑問が追いかけてくる。しなやかな柳のような男だと思っていた。しかしそんな夫の頭に、見事な肌色の円ができているのだった。
長男の高校受験が迫っていた頃、家族一緒の転勤生活はやめて札幌近郊の江別市に建売住宅を買った。理容師免許を持っている智代が近所のスーパー内にある美容室にパートで働き始めてから八年が経つ。
改めて振り返ってみれば、自分たちはそれぞれの仕事について話したこともないし、愚痴すら言い合ったことがないのだった。
いちいち言葉にしないことが居心地よくて一緒にいる男が、言葉のないまま円形脱毛を作って笑っているという現実を、さてどう受け止めよう。
啓介は高校を卒業した年から四十年間公務員生活を続け、北海道内の市町村を二年から三年で転勤という生活を送ってきた。智代はそのうちの二十五年という時間を一緒に過ごしている。
子どもたちは両家の祖父母とのかかわりが薄いまま育ったが、気楽さと引き換えに失ったものを数えようとしても、指を一本も折らずに時間は流れた。
啓介とは、ひとつところに落ち着けなくなることを承知の上で一緒になった。風に吹かれるように啓介の人生と手をつないで生きてきた。
二十六年前、修行時代を経てやっとの思いで父の店を継いだものの、その店も彼の借金と引き換えに失われた。父の生き方から離れたくて、実家にはほとんど顔も出さぬし、近年は電話をかけるのも年に一、二度となった。
ポケットの中でスマートフォンが震え始めた。函館に住む妹の乃理からだ。
「お姉ちゃん、今どこ。ちょっと長くなりそうなんだけど、いいかな」
「手短にお願いできるかな」
乃理の大きなため息が耳に流れ込んでくる。
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