祖父が亡くなったときのことを今でも覚えている。母方の祖父は私の覚えのある頃にはもういなくて、私の知っている祖父はひとりだけだった。
誤解されるかもしれないからあらかじめ言っておくけれど、私は祖父がそこまで好きなわけでもなかった。かといって嫌いというわけでもない。
よくお菓子をくれるおじいちゃん、という印象だった。家族のひとりという意識すらもそこまで持っていなかった。
どちらかというと、父方の祖母や母方の祖母の方がよく話していたから家族という感覚が強かった。だから、とにかく私の中では印象がそこまでない人だった。
もう記憶にある頃には布団にいた姿しか見ていないような気がする。彼が立った姿を、私は知らない。
とにかく痩せていた人だった。まさしく骨にそのまま皮がくっついているのではないかと思ったくらいには痩せていた。
当時の私は小学生でも低学年くらいで、小さかったものだから彼の状態をあまり聞くことがなかった。
ただ、突然に父と母から「おじいちゃんが亡くなった」と聞かされて葬式に出るよう言われた。
あとから聞いたところによると、気難しさのある人間ではあったようだが、家業と役所仕事を二足のわらじで貫き通した、結構立派な人だったらしい。
しかし、私は葬式でのことすらもよく覚えていない。それほどまでに家族という認識も薄く、とにかく知り合いの老人程度の感覚の人だったのだ。
それなのに、どうしてだか私は葬式の後、夜にお風呂に入っていた時、ふと唐突に寂しくなった。喪失感。まるでぽっかりと穴が開いたかのようだった。
目を閉じると、風呂場の天井近くを、祖父がふわふわと漂って私を見ているように思えた。目を開くと、もちろん彼はいないのだけれど。
今にして思えば、私はその時から「死」というものを本当の意味で認識し始めたのだと思う。
それは私がそれはもう小さい頃で、成長していく時間の中で、もちろん、知り合いや家族が何人か亡くなった。
親戚のおじさん、母方の祖母、父方の祖母、父の仕事場によく来ていたおじいさん。葬式にも、何度も参加した。
祖母にはよく面倒を見てもらっていた。おじいさんやおじさんからはお年玉をもらっていた。思い出は祖父のそれよりも断然多かった。
それなのに、彼らの葬式の時はどこか冷めたような感覚で見ていた。祖母が亡くなった時の葬式でさえ、祖父の時ほどの寂寥感は感じなかった。
幼い頃の私が私をなじる。どうして悲しくないの。私はきっと、その頃に持っていた大切な何かを、どこかに落としてしまったのだろう。
「死」というものについて
私が「死にたい」というと、どうしてだか誰もが言うのをやめるように言った。
父や母は「そんなことを言うな」と怒り、仲の良い友人は「何かあったか」と心配した。
「死」というものについて、なぜだか人は口にしたがらないし、むしろ口にしてはならないタブーのように思っている。
だから私がそう言った時に、誰もが私を止めたのだ。しかし、私は本心から言っていたのだ。
「死にたい」なんて言うと、よほど辛いことでもあったのかと思われる。果ては、うつ病なのではないかと疑われることだってある。
実際、私は一時期、精神科医のお世話になっていたこともあった。軽度のうつと診断されて薬をもらった。
しかし、「死にたい」という感情はただ、うつ病からきたものではない。だって、うつ病になる前から、その感情は私の中に居座っていたのだから。
むしろ、どうして理由がなければ死んではいけないのかとすら思う。大した理由もなく「死」そのものを渇望してはいけないのか、と。
それなのに、人に言うと、怒られたり、心配されたり、泣かれたりする。私にはそれが、どうしても理解できなかった。
人は誰でも最後には同じ結末を辿る。祖父や、祖母や、おじさんのように。私もいずれは塵となるだろう。
父や母がもしも死んだら、と考えたこともある。親戚がいるし、疎遠なわけでもないから、『キッチン』のように天涯孤独になるわけではない。
しかし、もしもそうなったら私には何が残るんだろう。
私が生きているのは父や母が私のことを愛してくれているからだった。しかし、転じていれば、彼らがいなくなった時、私をつなぎとめる理由がなくなる。
「死」は喪失だ。まさに、心にぽっかりと穴が開いたように感じる。死んでいった人たちのことを好き勝手言うのはみんな生きている人たちのエゴでしかない。
私たちは辛いことから目を背ける。死、仕事、貧困、現実。逃げることを非難する人は多い。
でも、私は逃げることも大切だと思うのだ。ぽっかりと空いてしまった穴を埋めるために。
「死」を前向きに捉えればいいのにと思う。今を楽しめれば、それでいいと思えるようになるから。だって、いずれはみんな死ぬんだもの。
身近な人の死の悲しみをどう受け入れていくか
私がこの世でいちばん好きな場所は台所だと思う。私と台所が残る。自分しかいないと思っているよりは、ほんの少しましな思想だと思う。
本当に疲れ果てた時、私はよくうっとりと思う。いつか死ぬ時が来たら、台所で息絶えたい。台所なら、いいなと思う。
田辺家に拾われる前は、毎日台所で眠っていた。
私、桜井みかげの両親は、そろって若死にしている。そこで祖父母が私を育ててくれた。中学校へ上がる頃、祖父が死んだ。そして先日、なんと祖母が死んでしまった。
葬式がすんでから三日は、ぼうっとしていた。祖母がいくらお金をきちんと残してくれたとはいえ、私は部屋を探さねばならなかった。
しかし、引っ越しは手間だ。いくらでもあげられる面倒を思いついては絶望してごろごろ寝ていたら、奇跡が牡丹餅のように訪ねてきたその午後を、私はよく覚えている。
ピンポンとふいにドアチャイムが鳴った。薄曇りの春の午後だった。あわてて半分寝間着みたいな姿で走り出て、何も考えずにドアの鍵を外してドアを開いた。
そこには田辺雄一が立っていた。葬式の手伝いをたくさんしてくれた、ひとつ年下のよい青年だった。同じ大学の学生だという。
彼は、祖母の行きつけの花屋でアルバイトしていた人だった。長い手足を持った、きれいな顔立ちの青年で、素性は何も知らない、赤の他人だった。
彼は言った。
「母親と相談したんだけど、しばらくうちに来ませんか」
悪く言えば、魔が差したというのでしょう。しかし、彼の態度はとてもクールだったので、私は信じることができた。彼は、じゃ後で、と言って笑って出ていった。
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