4つの事件が絡み合う『陽気なギャングの日常と襲撃』伊坂幸太郎


「偶然は人を無防備にする、っていう定説があってね」

 

 

「はあ」

 

 

「たとえば、飛行機とか新幹線でたまたま隣り合わせになった相手とか、待合室でいっしょになった相手とか、そういう相手のことは意外と信用したくなるらしいんだよ」

 

 

「それは、たとえば今みたいに」

 

 

「そう、今みたいに」

 

 

 新幹線で隣の席に座った彼は悪戯げに微笑んだ。しかし、その説はどうも正しくないようだ。なにせ、私は彼を胡散臭い相手と思っているのだから。

 

 

 私が車窓から外をぼんやり眺めていると、彼が、ここ、空いてますか、と聞いてきたのだ。私が頷くと、彼はほっとした様子で席に座った。

 

 

「いやあ、どうも。今日は随分と人が多いですねえ」

 

 

 どこも席が空いてなくて、いやはや参っちゃいましたよ。彼は苦笑しながら荷物を下ろして、そう話しかけてきた。

 

 

「連休ですからね」

 

 

 私も連休だったから、有給を使って休みを取ったのだ。この後は遊園地に行く予定だった。

 

 

「ああ、でもまずは銀行でお金下ろさないと」

 

 

「何か言った?」

 

 

 どうやら、頭の中で考えていたことを思わず口走っちゃったらしい。私は恥ずかしさをごまかすようにああ、いえ、と口ごもった。

 

 

「えっと、ああ、そうだ。さっき言っていた、ほら、偶然はナントカって」

 

 

「偶然は人を無防備にする?」

 

 

「ああ、そう、それです。それって誰かの言葉なんですか?」

 

 

「誰かの言葉かって言うなら、雪子さんだね」

 

 

「お知り合いで?」

 

 

「雪子さんだよ。知らないかな。伊坂幸太郎先生の『陽気なギャング』の」

 

 

 ああ、そういえば、なんとなくそんな登場人物がいたような。私はおぼろげな記憶を手繰り寄せようとするけれど、なにしろ読んだのも随分と前のことになる。上手くいかなかった。

 

 

「ちょっと思い出せませんね。もう覚えていません」

 

 

「電車での出会いと言えば、有川浩先生の『阪急電車』なんかもあるよね。電車で会った二人の恋愛」

 

 

「……それって告白だったりします?」

 

 

「おっと、いやいや、そういうわけじゃあないよ」

 

 

 彼は手を顔の前で振って否定した。苦笑しているけれど、その頬はかすかに赤い。初めてこの男に好感が持てた。

 

 

「どこに行く予定なの?」

 

 

 彼は照れてしまったことをごまかすように急に話題を変えた。このまま続ける気もなかったから、私もその新しい話題に乗る。

 

 

「この後、遊園地に行こうかと」

 

 

「ふうん。大阪の?」

 

 

「ええ、大阪の」

 

 

「じゃあ、こうして出会ったのも何かのご縁と言いますし。いいことを教えてあげよう」

 

 

 彼は楽しげに声をひそめた。屈託のない素直な笑顔が、どうしてだか少しだけ怖く見えた。

 

 

「銀行に寄るのはやめた方がいいよ」

 

 

偶然は人を無防備にする

 

 そういえば、ネットで有名な話にも電車の話があったな、と思い出す。

 

 

 電車で隣り合った男と意気投合して仲良くなる。その彼から「明日のアメリカ行きの飛行機には乗らない方がいい」と言われるのだ。

 

 

 翌日、飛行機がジャックされて事故に遭ったというニュースが流れる。語り手は彼の言うことを聞いておいてよかった、と思う、という話。

 

 

 しかし、実はその男はハイジャック犯だった、というのが、この話の真相である。犯人だったから、その飛行機が事故に遭うことを知っていたのだ。

 

 

 私はあの後、彼と別れて電車を降りた後、お金を下ろして遊園地に行った。約束していた友人と合流して散々遊んだ。

 

 

 銀行には寄っていない。お金はコンビニで下ろした。彼から聞いた忠告と彼の笑顔が頭に浮かんでいたからだ。

 

 

 その銀行は今、テレビ画面の中に映っていた。どうやら、銀行強盗が入り、かなりの額の被害が出たらしい。

 

 

 多くの人の命も失われた、とも書かれている。事件は、機動隊の突入によって重い代償とともに幕を下ろした。

 

 

 あの中に、はたして彼はいたのだろうか。私の頭からは、その疑問が離れることはなかった。

 

 

四人の天才がそれぞれ事件に巻き込まれるハイテンポサスペンス

 

「さて、みなさん」

 

 

 カウンターの上で響野が声を発するのを背中で聞きながら、成瀬は椅子に座った男を脅して鍵を受け取る。

 

 

 成瀬は後ろを振り返り、銀行内を見渡した。左から右へ視線を走らせ、ひと通り、彼らの顔を眺める。

 

 

 向かって右手、キャッシュディスペンサーの脇、記帳用の機械の近くに、立ち尽くしている男女が目に入った。二十代と思しき蒼褪めた女性と、後ろにぴたりと寄り添う男だ。

 

 

 男は深緑のニット帽を被り、色のついた眼鏡をかけている。さらに女性の顔を見て、どこかで見たことがある、と感じた。知り合いではない。

 

 

 金を詰め込み終わると、カウンターへ飛び乗る。成瀬は、響野の右側に、久遠はその成瀬の右に立った。

 

 

 人質に向かい、深々と礼をした。カウンターから飛び降りて、出口へ向かって走る。

 

 

 普段であれば、銀行を襲った後はすぐに集まらないことになっていた。それが、翌日だというのに、成瀬から集合の連絡があった。

 

 

 成瀬は、テーブルの上に新聞の折り込みチラシを広げる。薬局チェーン店のチラシだ。筒井ドラッグという店である。

 

 

 筒井ドラッグの社長には一人娘がいる。筒井良子というらしい。銀行を襲った時、男と一緒にいた女性だった。そして、彼女は成瀬の部下の交際相手でもある。

 

 

 しかし、彼女が一緒にいた男は彼の部下ではない。昼食時、訊ねてみると、その部下は彼女と連絡がつかなくなったらしい。

 

 

 実は昨晩、彼女の父親から電話があったのだ、と明かした。「誘拐したとか、ありゃいったいどういうつもりだ」と言ったらしい。

 

 

 成瀬は彼女があの寄り添っていた男に誘拐されたのだろうと考えた。そして、その男の居場所を特定する手段があった。

 

 

 男の怪しげな風貌を不審に思っていた久遠が男に発信機をつけたのだ。つまり、筒井良子の居場所がわかるかもしれない、ということだ。

 

 

「だから、助けに行こう、とかそんなことを言い出すわけじゃないだろうな」

 

 

「だから、助けに行こう。まずいか?」

 

 

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