争いはなくならない。有史以来、我々は戦争の空しさを、争いの結末を知りながらも、争いをやめられないでいる。ライバルも、嫁と姑も。なぜか。争いは、我々が進化するために遺伝子コードに刻まれたシステムだからである。
台所から荒々しく皿をガチャガチャと鳴らす音がする。苛立ちを食器にぶつけているのかもしれない。俺もまた、呼応するように読んでいた本をわざと音を立てるように荒々しくめくった。
結婚して数年。新婚の頃の甘い日々はとっくの昔に思い出せないほど過去に通り過ぎて、今や妻とは毎日のように喧嘩する仲である。
最初からどこか違和感はあったのだ。上司から引き合わせられたその時から。この女とは、歯車がかみ合わない。そんな漠然とした感覚。
だが、上司からの縁ということもあって断りづらく、また彼女はなかなかに美人だったものだから、漠然とした違和感などでは断る理由にはならず、結局、結婚までこぎつけることになったわけだが。
ともに過ごしていくうちに、我々の間にあった歯車の噛み違いは次第に表面化してきた。相手が何を言っても腹が立つ。相手が何をしても腹が立つ。とにかく理由もないのに、その仕草のひとつひとつ、言葉のひとつひとつが癪に触って仕方がないのだ。
それはまた、妻の方も同じであるらしかった。俺の言動のひとつひとつに食ってかかってくる。我々が喧嘩を繰り返すようになったのも、むしろ当然といっていいだろう。
俺が今まさに読んでいる『シーソーモンスター』という作品に、ちょうど気になることが書いてあった。『争いはなくならない』俺は頷く。うん、その通りだ。
作中に出てきているのは嫁姑摩擦だった。それもまた、夫婦間の戦争と同じで、歴史の中で幾度となく繰り返されてきた戦いだろう。
面白いのは、結婚して専業主婦をしている嫁には、とある秘密があることだ。彼女はそれまで、「機関」と呼ばれる組織に所属していて、いわゆるスパイのような活動をしていたのだという。
だから、実は感情の演技なんかはお手の物。調査もできるし、大の男を相手に武器も持たずに昏倒させることすらできる。でも、そんな彼女が、姑とだけは反りが合わない。
嫁が姑を疑い、スパイ活動を夫に隠しながら彼女の過去を調べている傍らで、臆病だけど時には勇気のある夫は勝手に事件の渦中に巻き込まれていく。
ハラハラするのにどこかユーモラスでクスッと笑えるストーリーを読んでいくうちに、俺の胸中に渦巻いていた妻への苛立ちもいつの間にやら消えていた。
代わりに浮かんできたのはちょっとした茶目っ気であった。それは、嫁姑の話を読んだからかもしれないし、その嫁がスパイだったという話を読んだからかもしれない。
「なあ、実はスパイだった、とかしないか?」
「は? そんなわけないでしょ」
「だよな」
普段は苛立ちを感じる妻の冷たい声も、今はどこか心地よい。争いはなくならない。俺と妻も同じことだ。問題なのは、それを是としたうえでどうするのか、ということなのだ。
俺はふっと笑って、テレビをつける。だから俺は気づいていなかった。台所で作業をする妻が、ほっと安堵のため息をついていることに。
姑と仲が悪い嫁のヒミツ
日米貿易摩擦が新聞を賑わせていますが、その一方で、我が家の嫁姑摩擦は巷間の噂になることもなく。私が嘆くと、隣の席で向き合っている綿貫さんが、乾いた笑い声を立てた。
「いや、言いたいことはわかる」「本当ですか?」「特にニュース性はなくても、ありきたりの問題でも、当事者にとっては大問題、大きな苦しみだからな」「そうなんです」
私は身を乗り出すように、気持ちの上では綿貫さんの身体を抱きしめんばかりの感激した。精神の柱がぽろぽろと毀れてきているのも事実で、ささやかな労いの言葉を誰かにかけてもらいたい、と願っていたのだ。
同じ製薬会社の四期上の綿貫さんは、私からすれば手本となる尊敬する先輩で、その綿貫さんから誘われ、それだけで心の暗雲が晴れる思いだったが、さらに自分のつらさを理解してくれたものだから、涙を流しかけた。
「同居しているんだっけ」
「はじめは別居という話だったんですけど、父が亡くなった後、母をひとりにするのが心配で。それで妻に話したら快く」
そうね、お義母さんひとりは寂しいかもしれないからね。妻の宮子は笑顔を見せた。家事とかも分担すればわたしも楽できるだろうし。
「奥さんだってはじめから、お母さんとうまくいかないと思っていたわけじゃないんじゃないかな。同居前はどうにかなる、うまくやれると思っていたんだろうな」
「綿貫さんは何でもわかりますね」
結婚前の妻は、「わたし、両親すぐに亡くしちゃったので家族が多いのに憧れるんだよね」と言っていた。だから、私に対して言ってくれた、「直人の両親とも一緒に暮らしたい」という言葉も本音として受け止めていた。
とはいえ、蓋を開けてみないとうまくやっていけるかどうかはわからないだろうな、と警戒は緩めていなかったものの、まさか、「本当に蓋を開けたらこんなことに」「蓋のあるとないとでは大違い」という心境だった。
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