平和な理想郷とは何か?『PSYCHO‐PASS』深見真


 日夜、テレビでは暗いニュースが流れている。私は真剣な顔で解説を続けるリポーターをぼんやりと眺めていた。

 

 

 ニュースの内容は昨日の事件についてだった。行方不明になっていた女性が山中で変わり果てた姿で発見されたとのことである。

 

 

 容疑者の表情のない顔写真が画面に映され、名前と年齢が晒される。これで彼は社会的に危険人物として認定されたわけだ。

 

 

 この事件だけでなく、凄惨な事件が放送されない日はない。ニュースは毎日のように一度は沈鬱な表情に染まる。

 

 

 支払い機を狙った大胆な強盗。男性による女性への執拗なストーカー行為。生活苦を理由とした母親と子どもの心中。

 

 

 どうして、この世は平和にならないのだろう。私はそんなことを考えていた。

 

 

 とはいえ、正義感が強いでもないのだけれど。たわいのない、ただの暇つぶしも兼ねた思考でしかない。

 

 

 犯罪はどうして起こるのだろう。

 

 

 露見する犯罪を起こすと、その事件はメディアによって晒され、社会的に充足な生き方はできなくなるというのに。

 

 

 警察の捜査網は広範囲に及び、その目から逃れることは難しいという事実を知らないわけではないだろう。

 

 

 社会的な不安、経済的困窮、反社会的精神。

 

 

 科学の発展により社会は昔よりも便利になったはずなのに、犯罪を起こす理由はむしろ増えているような気がするのは、ただの気のせいなのだろうか。

 

 

 私はちらりと読み終わったばかりの小説に視線を飛ばした。深見真先生の『PSYCHO‐PASS』である。

 

 

 発達したシステムによって未然に犯罪を防ぐことで犯罪率の低い理想を実現した社会が描かれている。

 

 

 常守朱は公安局の刑事課に所属しており、潜在的は犯罪者だとシステムに判断された人たちと共に、犯罪者を捕らえる仕事をしている。

 

 

 犯罪を徹底的に管理し、未然に犯罪を防ぐことができる世界であっても犯罪がなくなることはない。だからこそ、主人公たちがいるのだけれど。

 

 

理想郷とは何か?

 

 かつて、物語では多くの理想郷が口伝によって語り継がれてきた。

 

 

 牧歌的なアルカディア、アダムとイヴが暮らしていたエデン、チベットのカイラス山の麓にあるというシャングリ・ラ。戦乱を逃れた者たちが暮らす桃源郷。

 

 

 理想郷は人間たちが完全に平等で理性によって厳格に管理された社会として描かれている。人工的で規則正しい社会こそが理想とされていた。

 

 

 しかし、理性の管理を楽観的に見ていた理想郷は、後世には一転してディストピアへと姿を変えた。

 

 

 平等で秩序正しく、貧困も紛争もない理想的な社会。しかし、その実態には科学による制約によって人間性を失った徹底的な管理社会である。

 

 

 シビュラシステムによって精神的に管理された『PSYCO‐PASS』の社会は、どちらかといえば従来のディストピア文学じみた性質を持つと言えるだろう。

 

 

 システム化されたからこその矛盾。管理された監視社会。廃棄区画の存在という貧富の差すらも意図されて生み出されている。

 

 

 この小説が描くのはシステムから逸脱した人間である。執行官も、潜在犯も、システムによる被害者たちだ。

 

 

 犯罪は人間が起こすものである。犯罪はすなわち、非管理的なもので、ある意味では人間的なものだ。

 

 

 人間性を残した上での完全な理想郷を成立させるのは不可能だ。するとなれば、まさにディストピアのように人間を完全にシステム化するしかない。

 

 

 真に争いのない、平和な理想郷とは何か。それは、人間が全ていなくなった世界である。理想郷を求めるならば、自分たちが消えるしかないとは。なんとも皮肉であろう。

 

 

 ニュースは相変わらず陰鬱な内容ばかりを伝えている。私はリモコンを掴み、テレビの電源を切った。暗転。

 

 

システムに管理された社会で犯罪者を追うSF

 

 この街は最初から幻影によって装飾されていた。ホログラムで彩られた、鮮やかな完璧都市。首都、東京――。

 

 

 しかもこの都市の完璧さは、いくつもの失敗を抱え込むことによって成立している。たとえ失敗に見えても、それが運営する側の計算に組み込まれているのならば、完璧さに傷はつかない。

 

 

 街には巨大な塔が建っていた。厚生省本部――ノナタワー。シビュラシステムの完成によって、厚生省は絶大な権力を手に入れた。

 

 

 ノナタワーは新世界秩序のシンボルだった。大混乱の二一世紀をやっとのことで乗り越えた西暦二一一三年。

 

 

 サイマティックスキャンにより、人間の精神状態は機械装置で測定されるようになった。善人か悪人か、数字を見ればわかる。犯罪係数の概念。

 

 

 犯罪係数が規定値を超えれば、いわゆる潜在犯として逮捕、隔離される。犯罪を未然に防ぐことができる。

 

 

 しかしそこに矛盾が生じた。犯罪係数が高い人間を処理するためには、同じく犯罪係数が高い人間のほうが適しているという、矛盾。執行官の誕生。

 

 

 潜在犯の摘発、登録住民の徹底的なストレス管理、メンタルケアを行う厚生省の巨大監視ネットワーク――シビュラシステム。

 

 

 シビュラシステムが確立して以降、犯罪による死傷者は激減。この街はまさに理想郷になったと人は言う。

 

 

 狡噛に言わせればこの街は理想郷に似た迷宮だった。槙島に言わせれば、この街は理想郷のパロディにすぎなかった。

 

 

 公安局監視官刑事としての初日。朱は本部に出勤するつもりだったが、突然先輩の監視官から電話がかかってきて、現場に来るよう指示を受けた。事件発生。

 

 

 こんなに廃棄区画に近づいたのは、朱にとって初めてのことだった。朱は落ち着きなく周囲を見回しながら、やがて覆面パトカーと、公安局刑事らしき人物を発見し、近づいていく。

 

 

 宜野座伸元。先任監視官だ。朱は敬礼する。対象の名前は大倉信夫。逃亡の途中で通行人を人質にしているらしい。

 

 

 宜野座のパトカーに並んで装甲バンが止まった。後部ドアが開いて、四人の男女が降りてくる。執行官を制御するのが、厚生省キャリア監視官の仕事だ。

 

 

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