「あなた、街から出た方がいいですよ」
私がその言葉に何も答えることができなかったのは、まさにそんなことを考えていたからというわけでもないし、その言葉に呆気に取られたからというわけでもない。
ましてや、電車で偶然正面に座り合っただけの、初対面の見知らぬ老婆にぶしつけにそんなことを言われたから少し苛立ったから、というわけでもなかった。
ただ、昼に食べようと思って買ったサンドイッチを口にしこたま放り込んでいたからである。
私は慌ててお茶で流し込んで、口の中をすっきりさせてから、改めて老婆に視線を向けた。
やはり見知らぬ老婆である。どこかですれ違った程度ならば、あってもおかしくはないが、少なくとも知り合いではない。
つばの広い帽子に落ち着いた色合いの洋服を着て、黒い薄手のストールを巻いた姿は上品な老婦人といった風情である。
だからこそ、なおさらわからなかったのだ。なぜ、そんな人から街を出ろなどと言われなければならないのか。
「怪訝に思っていますね」
彼女はふふふと穏やかに笑って言う。私は少し気まずく思いはしたけれど、事実、思っていたから、迷いながらも頷いた。
「実は私、あなたが住んでいた新宿の裏路地で占い師をしているのよ」
私は思わずドキッとする。まさしく私が住んでいたのは新宿だったからだ。占い師を名乗るほどなのだ、これは只者ではない。
と、思ってはみたけれど、実際のところ、私は彼女のことを信じたわけではなかった。私の住んでいたところを当てられたのも、私が新宿駅から乗り込むのを見ていたのかもしれないし。
つまり、私は彼女を胡散臭く思っていたのだ。そもそも、私は占いなんてものを信じるつもりがなかった。
「信じなくてもいいのですよ。そもそも、こうして声をかけたのも私のお節介ですしね」
だから、あなたは聞くだけでいいのですよ。そう言われたから、私は黙り込んだままだった。といっても、さっきから私は一言も発していないのだけれど。
「黒い川が渦巻いて流れ、山は剥がれ落ち、街は荒れ果てています。あなたは逃げなくてはなりません」
さもなくば、悲惨な未来が待っているでしょう。彼女は穏やかな笑みのままであったけれど、その口から紡がれるのはやたらと物騒だった。
「黒い川を渡って街から逃げなさい。そうすれば、この悲劇の未来からも逃れることができるでしょう」
川を渡るか、渡らないか。選び取るのは、あなたです。彼女の占いの意味は、よくわからなかった。
私がその本当の意味を知るのは、ほんの少し先のことである。
占いの導く未来
中学生の頃、占いに熱中した時期があった。その頃は雑誌やアプリを使って、自分のことや友達のことをやたらと占っていたからだ。
けれど、その結果が当たっているかどうかはそんなに重要じゃなかった。ただ、自分の未来や自分のことがわかった気になれるというのが占いの真髄なのだ。
自分の未来はこういうことが起こるんだと、信じ込む。自分と当てはめて、『当たっている! すごい!』なんて喜ぶ。
それが占いなのだ。だから、聞きたくない真実を当てるのは、占いではない。ただの預言であり、宣告でしかなくなってしまう。
私が占いへの熱が冷めてしまったのは、占いが当たらなかったからではない。むしろ、逆だ。当たったからやめたのだ。
占いというのは何か。私は考える。それは、未来にこんなことが起こるかもということや、私という人間はこんな人間だということを教えるだけのものではないんじゃないのか、と。
私たちの未来を占いで見るのではなく、占いが私たちの未来を決めるのだとしたら、どうだろうか。
彼女が不幸な目に遭ったのは、私のせいになる。私が占いによって彼女の未来を決めてしまったから、彼女はあんなことになってしまった。
老婆の占いは、その報いなのだろう。黒い川が渦巻いて流れ、山は剥がれ落ち、街は荒れ果てる。私はその不吉な未来を、宣告されてしまったのだ。
その結果が、今、まさに私の目の前にある。大きなうねりを上げる巨大な黒い川が広がっていた。その果ては、見えもしない。
川を渡るか、渡らないか。選び取るのはあなたです。老婆の声が頭の中に響く。
占いは未来を指し示すだけで、導いてくれはしないのだ。未来を選び取るのは、結局、自分自身なのである。
迷いがある人のためのレストラン
カラスが一羽、私の前にとんと立ちました。私が思わず話しかけると、カラスが返事をしたんです。それも人間の言葉で。
「あなた、今、悩んでいますね。どこかに良い占い師がいないか、と考えています」
私は嫌な気分になりました。私の悩みなんて誰にも言えないのよ。放っておいてちょうだい。私がそう思っていると、カラスはにやっとしました。
「まあ、そう言わないで。占いレストランへ来てください」
なんだか面倒くさいなあ、と思ったけれど、カラスに誘われちゃあ、ね。カラスは先に立っていきます。飛ばないで、足をそろえて跳ねていく。
そのうち、霧が立ち込めてきました。囁き声や笑い声がするけど、あたりは本当に白い霧なんです。でも、前を行くカラスの姿はちゃんと見えて、気がつくとそこは深い山の中でした。
見回すと、すうっと霧が晴れて、目の前に不思議な館が建っていました。二羽の大きなカラスが、羽を打ち合わせるようにしている。占いレストランの入り口でした。
そして、その入り口で深々と頭を下げているのは、ぴしっと黒い服できめた、カラスのような、人間のような。案内人のカラスを目で探したら、もういませんでした。
「どうして占いレストランなんて、おつくりになったんですか?」
「ここは占いの場所ではありません。しかし、ここで食事をすると、今、迷っていることに答えが出るのです。迷いがある人のための、レストランなのですよ」
主人がドアを開け、私はロビーに入りました。ロビーには、ひとつ、台があって、古びた和紙の本が八冊、扇のように並べてありました。
その上をガラスのカバーがすっぽりと乗っていて、触ったり、開いたりはできません。占いレストランの主人が話してくれます。
遠い遠い昔。八卦の本は十六冊ありました。この本は怖いほど当たるのです。あまりにもよく当たるので嫌になった。
だから十六冊のうち、八冊だけ焼いてしまったのです。その灰の中からカラスが生まれた。
「さあどうぞ、この本を覗かなくても、あなたが今知りたいことはレストランで食事をなさればわかりますよ」
ドアを開けると、静かな音楽と、何とも言えないおいしいご馳走の匂いが流れてきました。
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