対人関係に悩まない『嫌われる勇気』岸見一郎 古賀史健


「人から嫌われたくないんです」

 

 

 彼女は神妙な表情でそう言った。眼鏡の奥にある伏し目がちの瞳は、今にも泣きだしそうなくらいに潤んでいた。

 

 

 彼女は私が保険医を務める学校に通う学生である。彼女は休み時間になると、たびたび保健室に遊びに来ているため、仲の良い生徒のひとりだった。

 

 

 しかし、休み時間に保険医しかいない保健室に遊びに来るのは、仮眠を取りたい生徒か、あるいは友人と上手くいっていない生徒である。

 

 

 彼女は後者らしい。年頃なだけあって、人間関係の悩みを保険医に相談してくる生徒は珍しくはなく、彼女も例外ではなかったようだ。

 

 

「人から嫌われたくない。嫌われたらどうしようと思ってしまって、人と上手く話せない。そういうことかな」

 

 

 私が聞くと、彼女はおずおずと頷いた。ふうむ、と私は考え込む。私が迷っていたのは答えではない。どうわかりやすく説明するか、である。

 

 

「いっそ、嫌われてもいいって思えば?」

 

 

「え、い、嫌ですよ、そんなの」

 

 

 私の発言にぎょっとして、彼女が私を見る。その瞳には、失望の色があった。彼女の願望をぶった切った私の答えは、彼女にとって投げやりに聞こえたのかもしれない。

 

 

 苦笑しながら、まあまあ、と彼女を抑えて、私は机に立てかけていた本を取り出した。

 

 

 私が愛読している『嫌われる勇気』という本である。彼女にタイトルが見えるように、その本を見せた。

 

 

「これは私の愛読書なんだけれどね、たぶん、読めばあなたの考え方も変わるよ」

 

 

 今まで信じていた常識とか、そういうの全部、変えられちゃうような本だから。私がそう言うと、彼女は少し怯えを見せた。私はそんな彼女に、身を乗り出して聞く。

 

 

「自分を変える勇気は、ある?」

 

 

嫌われても自分を貫く勇気

 

 私は昔、八方美人だった。どの友人にも好かれようとして、他人に合わせ続け、疲弊した挙句に、最後には私の周りには誰もいなくなった。

 

 

 誰からも好かれるには、全ての人の要求に答え、全ての人の従者として尽くさなければならない。だが、そんなのは不可能だ。

 

 

 それでも、私は好かれたかった。人から好かれることが人生の豊かさにつながると頑なに信じていた。今まさに相談に来た彼女のように。

 

 

 そうして、結局失敗し、全てを失った私が見つけたのが、『嫌われる勇気』という本だった。

 

 

 それは哲学者と青年が議論を交わしている物語だ。哲学者の意見に賛同できない青年は彼を是が非でも論破しようとし、哲学者はそれに対して答えを返す。

 

 

 哲学者の考え方はアドラー心理学に基づいている。しかし、従来の考え方とは相容れないからこそ、青年は自分の常識と違うものを受け入れなれない。

 

 

 当時の私は仕事や人間関係を失敗して、それまでの考え方を疑っていた時期だったからこそ、その今までにない考え方は私を魅了した。

 

 

 中でも衝撃だったのは、人から嫌われてもいいという考え方である。それまでは人から好かれたいと考え、好かれようと努めてきた私とはあまりにも異なる考え方だった。

 

 

 人に好かれようとする。その本は、他者に委ねた人生は、自分の人生ではなく他者の人生だというのだ。

 

 

 そう言われたとき、私は心を刺されたような気分になった。私は私自身の人生を生きていないのだと宣告されたのだから。

 

 

 それからの私は、何度もその本を読んだ。哲学者の語る考え方は今までの私の人生の怠惰や甘えを刺し貫いてきて、苦しくなってきても、読み続けた。

 

 

 今でも私は哲学者のようになれたのかと問われればわからない。まだまだ及ばない、というのが現実だろう。

 

 

 けれど、あの頃の絶望感はもうない。それどころか、今まで何かに縛られたような人生が、ふっと軽くなったような気がするのだ。

 

 

 生きるのが難しい、なんてことはない。自分で難しいと思い込んでいるだけ。彼女を見ると、昔の私を想い出す。

 

 

 この本を読んで、彼女がどうするのか。何も変わらなくてもいい。それを選ぶのは彼女自身だ。彼女が助けてと言うならば、そっと手助けをしてあげればいい。

 

 

 子どもの道を整えるのが大人の勤めではない。子どもがどうやって歩くか戸惑っている時に、そっと背中を押してあげるのが大人の役目なのだから。

 

 

勇気の心理学が世界を解き明かす

 

 かつて古都のはずれに、世界はどこまでもシンプルであり、人は今日からでも幸せになれる、と説く哲学者が住んでいた。

 

 

 納得のいかない青年は、哲学者のもとを訪ね、その真意を問いただそうとしていた。悩み多き彼の目には、世界は矛盾に満ちた混沌としか映らず、ましてや幸福などありえなかった。

 

 

「議論に移る前に、今回の訪問についてお話させてください。わたしがここを訪れた第一の理由は、先生と存分に議論を交わすことです。そして、先生にご持論を撤回していただきたいと思っています」

 

 

「大いに歓迎します。わたし自身、あなたのような若者の声に耳を傾け、学びを多くしていきたいと願っていたところです」

 

 

「ありがとうございます。まずは先生のご持論に乗っかったうえで、その可能性から考えてみます」

 

 

 世界はシンプルであり、人生もまたシンプルである。もしもこのテーゼに真理が含まれるとするなら、それは子どもにとっての生でしょう。

 

 

 しかし、大人になるにつれ、世界はその本性を現していきます。複雑な人間関係、社会の諸問題、あなたはこれだけの現実を前にしてもなお、世界はシンプルだとおっしゃるのですか?

 

 

「わたしの答えは変わりません。世界はシンプルであり、人生もまたシンプルです。『世界』が複雑なのではなく、ひとえに『あなた』が世界を複雑なものとしているのです」

 

 

 人は誰しも客観的な世界に住んでいるのではなく、自らが意味づけをほどこした主観的な世界に住んでいます。問題は世界がどうであるかではなく、あなたがどうであるか、なのです。

 

 

 もしかするとあなたは、サングラス越しに世界を見ているのかもしれない。暗い世界を嘆くのではなく、ただサングラスを外してしまえばいい。あなたにその”勇気”があるか、です。

 

 

「……いや、まあいいでしょう。確認ですが、先生は「人は変われる」とおっしゃるのですね?」

 

 

「もちろん、人は変われます。のみならず、ひとりの例外もなく、今この瞬間から幸福になることもできます」

 

 

「大きく出ましたね! 今すぐ論破して差し上げますよ!」

 

 

 さあ、あちらの書斎にお入りなさい。長い夜になります。熱いコーヒーでも用意しましょう。

 

 

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