美女鑑定士が事件の真相を一目で見破る『万能鑑定士Qの事件簿』松岡圭祐


「なあ、『力士シール』って知ってるか?」

 

 

 いや、知らないな。私は彼の問いに首を振って答えた。それはなにか、と私が聞くと、彼はネットの記事を見せながら教えてくれた。

 

 

 それによると、どうやら力士シールというのは2008年頃から世の中を賑わせていた奇妙なシールのことらしい。

 

 

 二つの太った男性の顔が合わさったような独特のデザインのシールが都内中に貼られていた、とのことである。

 

 

 しかも、それは次第に範囲を広げていき、都市伝説じみた噂を巻き起こしていた、のだとか。

 

 

 犯罪組織の裏のサインか、はたまたカルト教団の暗号か、いやいや、あれは都内を守護するための結界なのだ。

 

 

 監視カメラにも、そのシールを貼った人物の正体がわからなかったことから、そんな非現実的な理由すら囁かれていた。

 

 

 結局、力士シールの目撃証言が次第に減少していくにつれ、噂は都市伝説として鎮静化していった。その正体を明かさぬまま。

 

 

 それが世にいう『力士シール事件』の顛末らしい。

 

 

「へえ、そんなことがあったのか」

 

 

「お前はネットに疎いからな。テレビにも特集されたってのに」

 

 

 私は肩を竦めた。ネット関連の扱いは昔からどうにも苦手だった。知り合いからは化石扱いされるほどである。

 

 

「じゃあ、結局、そのシールを貼ったやつってのは、わからないままなのか」

 

 

「ああ、そうだな」

 

 

 でも、おもしろいと思わないか。友人はにやにやしながら言う。

 

 

「きっといろんなところで噂されているのを、犯人はほくそ笑みながら見ていたに違いないぜ」

 

 

「お前、まさか自分が犯人だなんて言わないだろうな」

 

 

 彼はかねてから少し愉快犯じみた思考を持つところがあった。いわゆる、自分の楽しみのためには社会法規すら時に気にしない傾向がある。

 

 

「公共物にシールを勝手に貼るのは犯罪だぞ」

 

 

 わかってるよ。念のため、釘を刺しておくと、彼は頷いた。しかし、その顔からにやにやした笑みは消えていない。

 

 

日常に溢れる謎

 

 私は読み終わった『万能鑑定士Qの事件簿』のページを閉じた。本を読んだ後特有の余韻に浸る。

 

 

 『万能鑑定士Qの事件簿』は友人から借りた本だった。なんでも、力士シールのことが取り上げられているらしい。

 

 

 始まりはそこだったが、ミステリとして楽しんで読める作品だった。『面白くて知恵がつく、人が死なないミステリ』の名は伊達ではない。

 

 

 力士シールの一件も、上手く物語に取り入れているように感じた。現実とは違う創造上の犯人も、まるでそれが真実であるようにすら思わせる。

 

 

 しかし、私はそれが真実でないことを知っていた。なぜなら、力士シールを貼っていたのは、他ならぬ私なのだから。

 

 

 最初は出来心だったのだ。ほんのいたずらのつもりでしかなかった。思いのほか気味悪くできたイラストを、シールにして目立たないところに貼り付けた。

 

 

 力士シールというのを聞いていなかったのは本当のことだ。私はあれがそんなに話題になっていたことも知らなかったし、『力士シール』などと呼ばれていることも初めて知った。

 

 

 知らない、ということは罪だ。だからこそ、若い私はあれほどのバカらしい行動を続けていたのだろう。

 

 

 話題になっていたことなんて知らなかった。私は密やかな楽しみのつもりで力士シールを貼っていたのだ。

 

 

 友人から話を聞いた時、私を襲ったのは堪えがたい羞恥だった。まるで自分の隠していた趣味を暴かれたかのような。

 

 

 普通に話しながらも、内心、私は恐ろしくて堪らなかった。いつ、私が犯人なのだと知られたら。

 

 

 万能鑑定士Qがフィクションで本当に良かったと思う。心まで鑑定されるだなんて、なんと堪えがたいのだろう。

 

 

万能鑑定士Qはいかにして生まれたか

 

 凜田莉子。ここまでひどい成績の持ち主は沖縄広しと言えども、彼女ひとりぐらいのものだろう。

 

 

 五段階評価の裁定で、見事なまでのオール1。正確には、体育と音楽は3、美術は2だ。

 

 

 スマートな体型で腕と脚が長く、顔は小さくて、我が校でも屈指の美人であることは疑いの余地はない。

 

 

 成績でいえば極端な落ちこぼれの部類だというのに、莉子はそのことを気にかける様子もなく、いつも底抜けに明るい。

 

 

 にもかかわらず、莉子は進路希望として、勤め先を決めないまま上京することを選んだ。水不足に苦しむ波照間を救うために。

 

 

 卒業式の一週間後、十八歳の莉子は初めて飛行機に乗った。石垣島から羽田までの直行便。

 

 

 旅費はカンパでまかなわれた。上京後しばらくの生活費は、両親が工面してくれることになった。わたしは大勢の人たちに支えられている。そう実感した。

 

 

 翌朝から、一張羅のスーツに身を包んで莉子の就職活動は始まった。OLに慣れる日も近い、見るものすべてが目新しい。行く手は希望に満ち溢れている。

 

 

 だが、心躍る時はそれまでだった。さすがの莉子も、現実の厳しさを知らざるを得なかった。

 

 

 持ち前の明るさは何ものにも替えがたいが、学力に難がある。よって今回、採用は見送らせていただく。そんな回答を受け取るのが常だった。

 

 

 月末が近づき、莉子は最初の家賃を払うのも難しいという状況に立たされた。沖縄までの電話料金は高くつく。どうにか自力で現状を打破せねばならない。

 

 

 そんなある日の夕方、早めに帰宅した莉子がテレビを観ていると、ニュース番組の特集コーナーがふと目に止まった。

 

 

 チープグッズ。テレビのCMを何度か観たことがある。大手リサイクルショップとして、都内数か所にチェーン展開している店舗だった。

 

 

 宣伝されていたのは夢や熱意を語ってくれたら品物を高額で買取するというキャンペーンだった。

 

 

 思わず靴脱ぎ場のトランクに目が向く。引っ越しには必要不可欠だったが、もはや生活に不自由さをもたらす邪魔なしろものでしかない。

 

 

 まだ就職は決まっていないが、情熱だけは誰にも負けない自信がある。それを社長に伝えられたら、高値での買取も期待できるかもしれない。

 

 

 東京での生活、それはサバイバルにほかならない。当面の生活費、絶対にこの手に掴んでみせる。もしここで挫折するようなら、島の人たちを幸せにするなんて夢のまた夢だ。

 

 

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