最強の二人組が運命を変える『傾物語』西尾維新


「もしも、タイムマシンがあったら、何をしたい?」

 

 

 私なら、あなたに告白されたときかな。私の恋人はうっとりと頬を赤らめてそう言った。

 

 

「私、恋愛とか、今まで経験なかったのだけれど、憧れてて。それに、あなたのことも気になっていたし。だから、告白されて、すごくうれしかったの」

 

 

 ぼくは小学生の頃に戻りたいね。私の会社の中年の上司はどこか懐かしむようにそう言った。

 

 

「実はぼくは小学生の頃、いじめられっ子でね、不登校になっちゃったことがある。だから、負けるなって、そう言いたいんだ。過去の自分自身に」

 

 

 あたしは高校の頃が良いわね。画家として生計を立てている私の姉は堂々とそう言った。

 

 

「高校の時、付き合っていた恋人がいるのよね。でも、あいつ、浮気してたのよ。だから、あの頃に戻って思いきり引っぱたいてやるわ」

 

 

 俺はガキの頃だな。私の数年来の友人はにやにや笑いながらそう言った。

 

 

「ほら、お前、小学生の頃に舞台の幕に吊り上げられたことがあったろ。服が引っかかってよ。あれ、面白かったからもう一度見たいんだよな」

 

 

 もしも、タイムマシンがあったなら。私は一枚の写真を見つめた。それはもう色褪せてしまっているけれど、私の頭の中にはいつまでも鮮やかに残り続けている。

 

 

 もしも、タイムマシンがあったなら、私はあの頃に戻りたい。あの何も知らなくて、この幸せが永遠に続いていくのだろうと無邪気に信じていた愚かな頃に。

 

 

 その幸せはある日、唐突に奪われてしまった。もう二度と、帰ってくることはない。

 

 

 それは果たして、運命だとでも言うのだろうか。あの子がいなくなったのは、決まっていたことだとでも。

 

 

 あの時、こうしていれば。今までどれだけ悔やんだかわからない。あの時、私の全てが失われていたのだ。

 

 

 あの事故は防げていたはずだった。私が。あいつが。彼が。彼女が。もしも、こうしていたのなら。

 

 

 黒いスーツをまとった怪しげな男が腰を折って恭しく礼をする。私は彼がその慇懃な態度の下で人間を小馬鹿にしていることも知っていた。

 

 

「契約、ありがとうございます」

 

 

 だからこそ、私はこの男の話に乗ったのだ。不快な笑みを浮かべる、この悪魔に。

 

 

 あの子がまた私に笑いかけてくれるなら、私は世界すらなくなって構わない。そんな私もまた、世界から見たら彼と同類なのだろう。

 

 

 私は思わず自嘲した笑いを零した。

 

 

運命を曲げた対価

 

 毎晩のように夢に見ていた。あの瞬間、私の全てを奪い去ったあの瞬間の光景を。

 

 

 ボールを追いかける娘。そして、彼女に迫り来るトラック。ブレーキ音。悲鳴。そして、衝突音。

 

 

 娘の小さな身体はゴムまりのように飛んで、そして、二度と動かなくなってしまった。

 

 

 その後のことは正直記憶にない。どうでもよかった。あの子の時計が止まった時、私の時計もまた、止まったのだから。

 

 

 トラックの運転手からの謝罪も、いつまでも悲しんでいる私に愛想を尽かして出ていった妻のことも、何も心に入ってこなかった。

 

 

 ただ、彼のあの言葉だけは、どうしても無視することはできなかった。

 

 

「娘さんを、取り戻したいと思いませんか?」

 

 

 スーツを着た彼は私に取引を持ち掛けた。娘ともう一度で会わせてくれる、と。

 

 

 彼はどう見ても尋常のセールスマンなどではなかったが、私には関係がなかった。娘ともう一度会える。私の頭にはそれしかなかったのだ。

 

 

 だから、私は彼の提案に頷いたのだ。彼の提示する対価を聞くこともせずに。

 

 

 運命を変えるには犠牲が伴う。誰かを助けようとすれば別の誰かがその災害を被ることになる。

 

 

 だが、娘を助けた対価が、私の命であることに気付くには、私はあまりにも遅すぎたのだ。

 

 

 この手紙が届くかどうかはわからない。だが、この手紙が届いた時、私はすでにこの世にはいなくなっているだろう。

 

 

 それでも構わない。私は君に、ただ生きていてほしかったのだ。

 

 

 ただひとつ、心残りだったのは、君をもう一度抱きしめることができなかったことかな。

 

 

 愛している。君のことを、いつまでも。

 

 

 少女はその手紙を読み終えて、目を閉じた。事故で命を落としたという父の遺した、その手紙を。

 

 

運命に立ち向かう史上最強の二人組

 

 僕は八九寺を家に招いた時に、彼女が忘れていったリュックサックを返すために八九寺を探していた。

 

 

 その最中に少しばかりの因縁がある斧乃木余接と会って雑談をするも、結局、僕は八九寺を見つけることはできなかった。

 

 

 もう帰ってしまったということらしい。いや、帰ったという言い方は違うのか、彼女には帰る場所も、帰る道もないのだから。

 

 

 それを思うと、僕は悲しくなる。どうしようもなく悲しくなる。

 

 

 どんなに気丈に振舞い、どんなに陽気にお喋りしたところで、八九寺真宵というすでに生きていないあの子は、悲劇にまみれている。

 

 

 楽しくお喋りして、面白いトークを交わしていながらも、僕はあいつと、ちっともわかりあえちゃいないのだ。あいつは僕に何も教えてくれないから。

 

 

 お前はどうしたいのか。お前は僕に、してほしいことは何もないのか。お前の望みを、僕は叶えてやりたいのに。

 

 

 と、そんなことを考えていると、忍野忍から説教された。悩むべきことはもっと他にあるはずじゃ、と。

 

 

 僕は羽川と戦場ヶ原に付き添われ、受験勉強に励んでいた。しかし、あろうことか、僕は夏休みの宿題をまるっきり手をつけていなかったのである。

 

 

 僕は机の上の宿題の山に視線を戻す。時間さえあれば、物の数ではないと言ってよかろう、そう、時間さえあれば。その時間がない。

 

 

 八月二十日、日曜日。残された夏休みは、たった二時間である。

 

 

「忍。タイムマシンを出してくれ」

 

 

「出せるか」

 

 

 と言って、忍は。不意に窓の外の方へ視線をやった。

 

 

「しかしまあ、時間移動がしたいというならば、協力せんでもないぞ」

 

 

「え?」

 

 

「昨日に戻りたいんじゃろう?」

 

 

 そして僕の方へと視線を戻し。いつも通りに凄惨に笑い。至極気軽に、ゲーム感覚で言う。

 

 

「やっちゃお」

 

 

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