思い込みが真実を歪める『夜の国のクーパー』伊坂幸太郎


「『ガリヴァー旅行記』って知ってるか」

 

 

「ああ、知ってる知ってる。あれだろ、テイラー・スウィフトが書いたやつ」

 

 

 僕が言うと、彼は顔をしかめた。違ったらしい。

 

 

「違うわ。テイラー・スウィフトは歌手だろ。『ガリヴァー旅行記』を書いたのはジョナサン・スウィフトだ」

 

 

「ああ、そうそう、それそれ。その人その人」

 

 

 お前、本当に知っているのか、なんて目で見てくる友人に、肩を竦めた。知っているのは、知っている。知ったかぶったのも、また事実だが。

 

 

「たしか、あれだろ。ガリヴァーが小人の国に辿り着いて、そこで大暴れするって話」

 

 

「そんな単純な話じゃないぞ。まったくの見当外れだ、とも言いにくいけどな」

 

 

 彼は呆れたように僕を睨む。僕は気を取り直すようにコホンと咳払いをして、それで、ガリヴァー旅行記がどうしたの、と聞いてみた。

 

 

「いやなに、同じ出来事でも、別の視点から見て見ると、実際は全く違った内容にすらも見えることがあるよなって、ふと思ったんだ」

 

 

「どういうことさ?」

 

 

「リリパット国とブレフスキュ国だ。二つの国は争っている。その原因は『卵の殻は大きい方から剥くか、小さい方から剥くか』だ」

 

 

「しょうもないね」

 

 

 僕が思わず言うと、彼は肯いた。

 

 

「そう、くだらないよな。でも、それはガリヴァーにとっては小さな問題かもしれないが、リリパット国とブレフスキュ国からしたら戦うほど大きな問題だってことだ」

 

 

 俺たちに目は二つしかない。でも、物事を本当に理解するためには、いろんな方向から見なくてはならないんだ。

 

 

「リリパット国の国王はブレフスキュ国を支配するつもりだった。じゃあ、こういう風には考えられないか。卵の殻の剥き方なんてのは何の関係もなく、戦いを起こすこと自体が目的だった、と」

 

 

「そんなのはただの妄想だろ」

 

 

 僕が言うと、彼は苦笑する。

 

 

「ああ、その通りだ。ただの妄想に過ぎないさ。でも、そうかもしれないと考えれば、俺の妄想が現実になる」

 

 

「何が言いたいのさ」

 

 

 ああ、つまりな。

 

 

「俺たちはあまりに自分の二つしかない目を過信しすぎだよなってこと。たかが言葉ひとつで、現実なんてあっという間に姿を変えるのに、な」

 

 

小さな目から大きな目になっていくように

 

 彼から『ガリヴァー旅行記』の話を聞いて、僕が思い出したのは『夜の国のクーパー』という本だった。

 

 

 それはひとつの小さな国のお話だ。その国は鉄国という国と戦っている。二つの国は同じくらいの大きさで、互角の戦いを八年以上も続けてきたらしい。

 

 

 けれど、戦いには負けた。国の王である冠人は国民を落ち着かせるのだけれど、彼は鉄国の兵士に撃たれてしまう。

 

 

 混乱に襲われる国民たちは、鉄国の兵士によって厳重な支配体制に置かれることになった。

 

 

 絶望する国民たちの希望はたったひとつだけ。おとぎ話に出てくる透明なクーパーの兵士。

 

 

 国民が困った時に助けてくれる。その存在に向かって祈り続けながら、彼らは兵士たちの支配に抗う。

 

 

「僕が読んだのは、そんな話だったよ」

 

 

「へえ、それで、続きはどうなるんだ?」

 

 

「さあね」

 

 

 さあね、って。彼が呆れたような視線を向けるけれど、仕方がないじゃないか。僕はそこまでしか読めなかったのだ。追われていたから。

 

 

「でも、もしかしたら、この話も、別の視点から見たら、違う姿をしているのかもしれないね」

 

 

「だろうな。どんな物語だって、いろんな顔があるもんさ」

 

 

 世の中って大変だねえ。そんなことを言って、二人で首を振る。まるで老人みたいだ。僕たちはまだ爪先ほどしか生きていないのに。

 

 

「でも、この物語、本当に恐ろしいのはそんなところじゃないんだ」

 

 

「ほう」

 

 

「実はこの物語」

 

 

 猫が話しているんだよ。僕がそう言うと、彼は、それは恐ろしいな、と言って、長い尻尾をふるふると震わせた。

 

 

猫の目から見た人間の争い

 

 欠伸が出る。人間からすれば、欠伸はどこか長閑で大平楽な気分の象徴らしく、僕たちがそれをするたびに皮肉めいた言葉を投げかけてくる。

 

 

 耳の裏側を後ろ足で掻き、前足を舐め、その唾で今度は目を撫でる。尻尾が顔のすぐ横で揺れる。

 

 

 円形の広場に人が立っている。これほど大勢がいちどきに集まっている光景は初めてだ。

 

 

 八年間の戦いが終わり、敵である国の兵士がこれからやってくるのだから当然か。そう思うと僕も少し、緊張してくる。

 

 

 やがて、地面が鳴り始めた。足音だ。兵士たちが北側から入ってきた。すぐ後で、広場がどよめいた。兵士たちが入ってきた道から、見たことのない動物が二匹現れた。

 

 

 薄茶色の、牛にも似た大きさではあったが、それにしては脚が長く、首も伸びている。背中には人間が乗っており、動物を操るためなのか、綱を握っていた。

 

 

 壇の上には、冠人が立っていた。この国に住む、国王だ。中肉中背で、髪は白く、肌の色は良く、目や鼻が大きい。

 

 

 鉄国の兵士が、この国の人間を害することはない。彼らはこの国を効率的に統治することを第一に考えている。怖がることはない。冠人はそう繰り返した。

 

 

 鉄国の兵士がひとり、壇上に立った。特徴的なのは、右目についた覆いだった。黒く丸い布がついている。左眼だけが露わになっていた。

 

 

「俺は、鉄国から来た、この兵士たちを束ねる兵長だ。この町は、今、この瞬間から俺の、俺たちの管理下に入る」

 

 

 空気が破裂するのにも似た、大きな音が響いた。破裂するような音は、鉄国の兵士が持っている武器が出したのだ。

 

 

 壇の上の冠人は堂々としていた。顔色を変えず、立っていた。冠人は落ち着き払い、町の人間たちに、その武器を「銃」と呼ぶこと、見慣れぬ動物は「馬」と呼ぶことを説明した。

 

 

 片目の兵長はと言えば、冠人をじっと見つめたままだった。そして、おもむろに右手を腰にやると、ゆったりと持ち上げた。手には見たことのない武器が握られている。

 

 

 兵長は少し目を細め、方眉を動かすと冠人の頭に、銃の先を向けた。冠人の目が大きく見開かれる。

 

 

「自分が偉いと思ってるのか?」

 

 

 重いものが石畳を破壊するかのような、短くも激しい響きがあった。冠人の頭に穴が開くのが、僕には見えた。

 

 

 冠人は斜めに傾き、演壇の上にどさんとくずおれる。僕は手を舐める。この町の命が急速に弱っていくように見えた。欠伸が出る。

 

 

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