寂しい人。最後に別れた彼女は哀れみの目で私を見ていた。その通りだ。私はその言葉を、言い返しもせずに受け止めた。
結婚もせず、広い家の中にたったひとりで暮らす老人のことを、世間がなんと言っているかは知っている。隠していても、耳に入る。
私は常に孤独と共にいた。寂しさを募らせる私の唯一の友だった。彼はひとりでいる私をじっと見つめ、蔑むのだ。
水を飲もうと思い、立ち上がる。たったそれだけのことでも、杖が手放せなくなったのは、いつからだったろうか。
足を進めるだけで足と腰に鈍痛が走る。ただ、歩くだけでも憂鬱になる。しかし、他に頼める家族は誰もいない。
友はもう誰も残っていない。二十代の頃に別れて以来、恋人なんて持つことはなかった。家族ももう誰も生きていない。正真正銘、私はひとりだ。
私ももう長くはないだろう。誰にも看取られず、誰もいない部屋で、孤独に、終わりを迎えるのだろう。それが、数十年にも及ぶ私の人生の結果だ。
親に反発もしたが、それなりに親孝行もした。恋愛に溺れ、恋愛に飽きた。挫折を味わい、成功を収めた。破産を経験し、誰もが羨むような大金を手にした。
長かった、ともいえるが、短かった、ともいえる。そんな人生だ。それなりに多くのことを経験し、その集大成が今だ。
働かずとも生きていられるほどの金はある。しかし、それだけだ。老年を迎えた私のそばには誰もいない。
寂しい人。そう言ってきたかつての恋人の声を思い出す。もう彼女の顔すらも思い出せなくなってしまった。
私は、間違っていたのだろうか。問いかけるも、答えてくれる人などいるはずもない。
当時の私は必死だった。仕事で挫折し、どうにかして成功を収め、金を手にしようと血眼になっていた。
そんな私には、未来へと繋がらない何もかもが悪魔の誘惑に思えて仕方がなかった。だから、私は全てを拒絶したのだ。
その結果が現在ならば、はたして私が選んだ道は正解だったのだろうか。その答えは、今になってもわからない。
人とのつながりは人を強くする。それは事実だろう。しかし、孤独は人を強くする。それもまた、事実だ。
寂しい人。彼女の言葉は私にとっては、私を嘲る言葉になり得ない。私は寂しい人という称号を、自信として抱えていたのだから。
人は寂しさを拒絶する。誰かとのつながりを求め、つながりのないことに哀れみを覚える。
しかし、だからこそ、寂しさを抱えた人間ほど強い存在はいない。彼らは何よりも大きな原動力を持っているのだから。
最期に訪れる孤独
中森明夫先生の『寂しさの力』を読んだのは、はるか昔のことだ。どこで読んだかは覚えていないが、内容は今でも思い出せるほど刻み込まれている。
誰もが拒絶する寂しさを肯定し、奨励するその本をすんなりと受け入れることができたのは、私のすぐ近くにも寂しい人がいたからだ。
私の父である。仕事に人生を捧げた彼は、会社では高い評価を得ていたにもかかわらず、家庭は冷え切っていた。
私が寝た頃にようやく帰ってくる父の顔を私は覚えておらず、私はずっと家族は母だけだと思っていた。
母は仕事ばかりで家庭を顧みない父を嫌い、夫婦の仲は断絶にも近しいものだった。
それでも別れなかったのは、父も母も互いに便利なものとして見ていたからだろう。愛はなくとも、義務だけはあった。
父の最期を、私はよく覚えている。葬式に訪れた大人たちは、誰ひとりとして父のために涙を流してはいなかった。
私は父のことは家族とすら思っていなかった。それでも、その時、なぜか無性に寂しかったことは覚えている。
孤独はたしかに哀しいものかもしれない。しかし、哀しいからこそ、そこには凄まじい力が秘められている。
学生の頃は友だちと共に過ごす時間こそが最高だと思っていた私は、大人になって挫折を味わった後、全ての人間関係を拒絶した。
孤独を殊更に嫌っていた私が、自ら孤独になったのだ。捨て鉢になったわけではない。孤独が私にとって必要なのだと考えたからだ。
うん、そうだ。私はそう思ったから孤独になったのだ。不意に、私は思い出した。
ひとり寂しく、誰にも看取られることなく終わりを迎える。寂しい人生だ。それの何が悪いのか。
孤独とは、何年も共にいたのだ。彼はもはや私の旧年の間柄に等しい。私はひとりであるがゆえに、ひとりではない。
他人がいないと価値がない人生か。否だ。人生は他人に左右されるものではない。自分自身が価値をつけるものだ。
私は最高の人生を送った。それでいいではないか。誰も知らなくても、私だけがそれを知っていれば、それでいいのだ。
寂しさの強さ
人間の最も強い力は何だろう? さみしさの力だ。
ある日、そんな考えが浮かびました。さみしさは、ネガティブな感情だと思われています。できれば、あまり味わいたくないものだと。
だけど、どうでしょう。まったく反対に考えてみたら? 人間の本質は、さみしさであって、そこに根源的なパワーが宿っているはずです。
愛がないから、さみしいと言う。まったく逆です。人間のさみしい心が、「愛」を作り出したんじゃないですか?
人はなぜ、さみしいのか? それは生まれてきたからでしょう。生きるとは、さみしさを受け入れることです。さみしさを肯定することです。
さみしい人ほど、より生きている。私は、そう思います。
今、あなたは、さみしいですか? もし、そう感じたら、何も悲観することはありません。
さみしくても、大丈夫――ではない。さみしいから、大丈夫。さみしかったら、チャンス! です。
あなたは、すごい力を持っている。さみしさの力――その無限の可能性を秘めたパワーに満たされているのだから。
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