「ここにコーラがある。そこらで売っている100円の普通のコーラだ。さて、君たちはこれを1000円で売ることはできるだろうか」
先生が缶に入ったコーラを掲げて、教室にいるみんなに問いかけた。本当に、何の変哲もないコーラのようだ。
「先生、そんなことは無理に決まっています」
委員長が立ち上がって言う。けれど、先生は楽しそうににやにや笑うだけだ。どうして、と問いかける。
「だって、10倍の値段ってことじゃないですか。そんなの、誰も買いませんよ」
「そうとは限らないさ。よし、じゃあ、いいことを教えてあげよう」
100円のコーラを1000円で買う人は少ないが、たしかにいる。かく言う先生も、先日、それを買ってきたところだ。
「先生、それ、騙されてるよ」
お調子者の生徒が先生に言う。声には出さないけれど、誰もが同じことを考えているようだ。しかし、先生は笑みを浮かべたまま首を横に振った。
「騙されてはいないよ。先生も、そしてこれを買う人たちも、それを知っているうえで買いましたから。買ったことを後悔していないしね。価格に見合うものだったよ」
クラスの誰もが首を傾げていた。普段ならはきはきと答える優等生たちも、今日に限っては他の多くの生徒と同じだった。
誰も答えられないとわかると、先生は肩を竦める。そうして、一冊の本を取り出した。
「実はこんな本があるんだ。永井孝尚先生の本だ。タイトルは『100円のコーラを1000円で売る方法』。そのまんまだよね」
私の問いの答えは、全部ここに書いてあるよ。
形のないモノを売る
「答え合わせをしようか。100円のコーラを1000円で買うことができるところは、ある高級ホテルだ」
先生は説明してくれる。クラスのみんなが黙っているのは、先生の話を真剣に聞いているからだろう。先生の言葉とともに、私たちの頭の中でその光景が描かれる。
美しい夜景。体が沈み込むようなソファ。様々な色に輝く窓からの光景は、まるで宝石を並べているかのようだった。
「コーラは、銀の盆に乗せられてね、恭しく運ばれてきたよ」
冷やされたグラスに注がれたコーラの泡が弾ける音が響く。グラスの縁には、輪切りにされたライムが添えられていた。
「あれほどおいしいコーラは初めてだったよ。口の中で弾ける炭酸。口の中に注ぐとひんやりとした甘さが広がって、果実の酸味がそれをさらに引き立てるんだ」
クラスの何人かがごくりと喉を鳴らした。先生の語る幻のコーラが、まるで目の前にあるかのようだ。
「でも、コーラはそこらで売っている100円のコーラと同じものだ。じゃあ、ここまで聞いたうえで、何がコーラの値段を1000円にしているのだと思う?」
けれど、先生の問いには誰も答えなかった。みんな想像の中のホテルでコーラを飲んでいたからだ。先生はやれやれといったふうに肩を竦める。
「答えは”体験”だよ。ホテルが提供する最上のサービス。いっぱいのコーラにかける手間暇。夜景を見ながら最高のコーラを飲めるという体験。それが、100円を1000円にしているのさ」
私たちはものの価値で考えがちだ。100円のものには100円の価値しかないという思い込み、だね。
けれど、実際には形のないものの方が、その何倍も価値のあるものだ。普段はわからないけれど、こうして値段で示してくれると君たちでもわかりやすいだろう。
マーケティングの教科書
朝8時。鈴木信彦が東急田園都市線鷺沼駅から電車に乗り込むと、与田誠がいつもどおり吊革につかまりながら、新聞を読んでいた。
鈴木は会計ソフトウェア専業の駒沢商会で、商品企画部の部長である。駒沢商会に中途入社してからは主に業務畑で仕事をしてきた。
ここ数年間の駒沢商会の主力商品である会計ソフト〈現場の会計〉を育てるのが、目下の課題だ。
ただ、これまで業務畑にいた鈴木にとって、商品企画の仕事はわからないことばかり。幸い、マーケティングの経験が長く、知見が深い与田がいた。スズキは何かにつけて与田を頼りにしていた。
「今度、地方の営業所から女性のセールスが東京に転勤してくるんですよ」
「名前は何でいうんですか?」
「たしか、宮前久美だったかな?」
午前9時の商品企画部のオフィス――。今朝は10時から商品企画部会議だ。まだ1時間ある。
鈴木は自席でコーヒーに口をつけながら、会議で話す内容を確認していた。異動してきた宮前久美を紹介することも入っていたが、彼女の出社は急用で11時ごろになるそうだ。
商品企画部会議では、商品企画部がほぼ全員揃う。お互いの業務連絡をしているうちに、終了の11時が近づいてきた。締めの言葉を話していた時、突然、ドアが開いた。そこには、長身の女性が立っていた。
「あのー、もしかして、宮前さんですか?」
名前を呼ばれた女性は、「はい、そうですが何か?」と言って、鈴木を見上げた。
「部長の鈴木です。自己紹介していただけますか。みなさん、こちらは今日から商品企画部に異動していただいた、宮前久美さんです」
宮前久美ははじめて他人の存在に気付いたかのように辺りを見渡すと、長い黒髪を払いながら、一呼吸おいて言い放った。
「この会社の商品、みんなガラクタです! 私が東京に戻ってきたのは、この会社のガラクタをちゃんとした商品に変えるためです」
久美の思いもかけない言葉で、会議室にいた20名の空気は一瞬で凍りついた。
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