その男は唐突に現れた。疲れ切った表情の、年老いた男。ぼくはその男とは会ったことがないはずなのに、その顔をどこかで見たような気がしていた。
「ああ、こんばんは」
彼は当然のような顔をして、チキンレッグを食べるぼくの前に座った。あまりに自然な態度なものだから、ぼくは思わず呆気に取られた。
誰かと間違えているのではなかろうか。周りを見渡してみるが、他の客は誰もぼくと男には注意を払っていないようだった。
仕方なく、ぼくはおそるおそる男に話しかける。
「あの……誰かと間違えていやしませんか」
「いいや、間違えていないとも」
しかし、男ははっきりと断言した。そのあとに、ぼくの名前を続ける。彼が告げたぼくの名前は、まさしく正しかった。男はぼくのことを知っているのだ。
「えっと、ぼくに何かご用でしょうか」
「そうだな、君に用があって来たのだ」
もしや、知り合いなのだろうか。しかし、どれだけ記憶を辿っても、彼のような男とは会ったことはなかった。
見たこともないはずの相手から自分のことを一方的に知られているというのは、かなり不気味なことだった。
「あの、あなた、誰なんですか。どうしてぼくのことを知っているんですか」
すると、彼はこう答えた。
「私は君だよ」
「え、あの」
「だから、私は君なんだ」
この人、やばい人だ。ぼくはおののいた。今までそんな人とは会ったことがなかったが、いざ出会ったとなると、どう対応すればいいかわからなかった。
しかし、彼は身を乗り出して、ぼくの目をまっすぐに見据えた。ぼくは動けなくなる。
恐怖で、ではなかった。彼の瞳の奥に秘められた激しい感情に圧倒されたからだった。それは、燃えるような、言いようの知れない怒りの奔流だった。
「いいかね。私は未来の君だ。信じられないだろうが、本当のことだ。私はかつて君であり、君はいずれ私になる」
彼は強い口調で言った。とても信じられない話であるのに、私の中では不思議とすとんときれいに当てはまるような確信があった。
いわば、納得してしまったのだ。この、疲れ果てたようにくたびれた老人が、未来の自分自身である、と。
自分の未来を変えるために
ぼくは大学を卒業したばかりだった。販売職の内定をもらっており、あと数日後にはめでたく社員として働き始める。
未来のぼくが言うところによると、ぼくは四十代までその会社で働き続けるとのことだった。仕事が好きにはなれなかったが、安定したキャリアを築くことができた。
しかし、そこで急転する。経営不振と汚職によって信頼が失墜し、会社が倒産してしまったのだ。ぼくは突如として無職として野に放たれてしまった。
ぼくはなんとか次の職を探そうと奔走するが、四十歳の中年を雇ってくれる会社はどこにもなかった。
ずっと販売の仕事に勤めていたぼくは、技術を身につける時間がなかった。ぼくはその時になって初めて、自分が何の技能も持っていないことに気がついた。
世の中は深刻な就職難に陥っていた。技術が発展し、単純労働を機械が台頭したためだ。単純労働しかできない中年男性に、就ける仕事なんてどこにもなかった。
ようやく職にありつけたのは、それから一年後のことだった。しかし、賃金は安く、日々を食べていくのでやっとの生活だった。
働き続けても給料は増えない。家庭で過ごす時間は減り、家庭は冷え切っていた。妻とは、もう長い間、口すら聞いていない。
定年を迎え、ようやく解放されると思っていた。長い勤労の報いを、ようやく得ることができると信じていたのだ。
しかし、そうはならなかった。納めていたはずの年金は僅かな額しか返ってこず、残りの人生を過ごすには貯金はあまりのも少なかった。
三十五年。あまりにも長い人生だった。その余生を年金と貯金だけで過ごすことは不可能であることは明白だった。
働き続けるしかなかった。現在のぼく、いわゆる未来の私は八十歳だった。今でも彼は、休むこともできず低賃金の労働を続けていた。
ぼくは、彼の口から聞かされた過酷な未来図に恐怖せざるを得なかった。そんな未来が自分に訪れるなんて信じたくなかった。しかし、彼は嘘を言っていない。それだけはわかった。
ぼくは頭を抱える。これから働こうという時に、どうしてこんな現実を知らされなければいけなかったのか。
「ぼ、ぼくはこれからどうすれば……」
ぼくは頭を抱える。未来が真っ暗になった気分だった。年老いて身体が上手く動かなくなってもずっと働き続けるなんて、想像するだけで恐ろしかった。
「行動するしかない」
暗闇の中に、声が聞こえた。未来のぼくの声だ。彼は、ぼくをまっすぐに見据えて言った。
「いいか、未来は自分で変えるしかない。今からでも未来のことを考えて行動しろ。そうすれば、未来は変えることができる」
頼むから、私のようにはならないでくれ。涙を滲ませながら必死に訴える私に、彼は言った。
「私は後悔したんだ。あの時、そう、就職を決めた時に未来を考えて行動していれば、他の未来もあったのだ、と。だから、私はここに来た」
わかるか、ここがひとつの分岐点だ。これから先の人生を決める分かれ道のひとつだ。選ばなければならないんだ。このまま先が見えている崖へと向かう道を進むか、暗闇の中で光を探すか。
ぼくは答えられなかった。先が見えないのは恐ろしいことだ。しかし、確定した未来にも残酷な未来が待っている。
やがて、ぼくは答えを出した。彼を見上げると、彼は満足げに頷く。彼は重い腰を大儀そうに持ち上げて立ち上がった。
気がつけば、彼の姿は消えている。最初から誰もいなかったかのようだった。まるで夢でも見ていたかのように。
しかし、夢ではなかった。彼の去った後に、一冊の本が置かれていたからだ。それは、『LIFE SHIFT 100年時代の人生戦略』という本だった。
「自分の人生を変えたいと思う時、あるいは、自分の未来が不安になった時、読んでみるといい。参考になるだろう」
彼の声が聞こえた。ぼくは意を決してその本を開いてみる。そこには、ぼくの知らない生き方が描かれていた。
人生100年時代をどう生き抜くか
日本は、世界でも指折りの幸せな国だ。平均寿命という極めて重要な基準で日本は世界のトップに立っている。
2007年に日本で生まれた子どもの半分は、107年以上生きることが予想される。今、50歳未満の日本人は100年ライフを過ごすつもりでいた方がいい。
長寿化の潮流の先頭を歩む日本は、世界に先駆けて新しい現実を突きつけられている国だ。日本は早急に変化する必要がある。
しかし、もっとも大きく変わることが求められるのは個人だ。長く生きる人生に向けて準備する責任は、私たち一人一人の肩にかかっている。
問題は、多くのことが変わりつつあるために、過去のロールモデルがあまり役に立たないことだ。
あなたの親世代に有効だったキャリアの道筋や人生の選択が、あなたにも有効だとは限らない。
長寿化を恩恵にするためには、まず視野を広げるべきだ。職業生活と家庭生活の両面で「よい人生」とはなにかについて考え方を変えることが不可欠だ。
古い働き方と生き方に疑問を投げかけ、実験することをいとわず、生涯を通じて「変身」を続ける覚悟を持たなくてはいけない。
LIFE SHIFT(ライフ・シフト) 100年時代の人生戦略 [ リンダ・グラットン ] 価格:1,980円 |
関連
人生を変えるビジネス書の金字塔『チーズはどこへ消えた?』スペンサー・ジョンソン
迷路の中には二匹のネズミと二人の小人がいた。彼らはチーズを探して、毎日迷路の中を走り回っていた。ある時、彼らはチーズがいつも手に入る最高の場所を見つけた。
変化とどう向き合えばいいかわからない貴方様におすすめの作品でございます。
価格:921円 |
オリエンタルラジオ中田敦彦が教える新時代の働き方『労働2.0やりたいことして、食べていく』中田敦彦
時代は移り変わる。私たちは働き方を改めて考えていかなければならない。場所にもキャリアにもとらわれず、好きなことができる。そんな働き方を、『労働2.0』と呼んだ。
働き方に疑問を抱いている貴方様におすすめの作品でございます。
労働2.0 やりたいことして、食べていく [ 中田 敦彦 ] 価格:1,540円 |